Hの章



 ずっと、本当は何かを探していたのかもしれない。


 目が覚めると身長が縮んだような錯覚があった。年下になったからかと思ったら、さらに車椅子にのっているからだった。僕の体はいきなり身長が高くなって驚いているようだ。使用人に押してもらいながら帰宅する。


 帰宅すると、もう使用人がいないから自分で動かなければならない。家族の制止をふりきり、記憶を頼りに松葉杖をついて、階段をゆっくり登っていくと、体の持ち主の部屋があった。


 川瀬浩樹。
 サッカーの名門校南高校のエースにして得点王。これまでサッカー漬けの日々だったようだが、それも怪我で終わった。僕は何も好きなこともなかったし、長く続いたためしがなかったからちょうどよかった。

 横になって天井を見上げる。見渡す限りサッカー関係のものばかりだ。本棚は題名が同じ文字だし、壁には有名選手のポスターばかり。幼稚園の頃から習ってたらしいそうだ。自分の大学推薦が怪我によりなくなっただけでなく、相手校の有望選手を巻き込み推薦を取り消させてしまったとか。それが試合初めての怪我だったとか。それはいくら一生治らない怪我ではないとはいえ、人生嫌気もさす。

 何もすることがなかったが、体が違うからかいつものように寝るだけということにはならなかった。気分が少し変わったのもあるのかもしれない。足は動かないが手は動く。最近の高校生が好きそうなゲームを一通りやってみる。どれもしっくりこない。世代が違うからなのか、僕が何もしたくない性格だからか。ゲーム開発者の今後に期待しよう。

 サッカー以外のものは本当に何もなくて、連絡先を調べてもそれ以外入っていない。これだけ活躍していれば、女子からも人気で彼女の一人や二人いそうなのだが。

 やはり、他人の体になってはみたものの何をしてもつまらないと感じるあたり、僕は相当つまらない人間らしい。

 このまま怪我が治ったら何をしようか。何をやり直したいんだろうか。サッカーを少しやってみてもいいな。そう思って漫画を手に取ったら、時間があるからなのか、深夜まで読みあさってしまった。記憶で漫画の内容もルールも知っていたが、なるほど、なかなか奥が深い。脳内では都合よく体力あるように体が動く。それは、浩樹君の体の記憶によるものかもしれない。確かに、これだけ体が動けばとても楽しいだろう。漫画のストーリーもわかりやすく都合がいいようになっているのもあるのだろう。

 本当はどう違うのか、次の日は実践練習のような本を読みあさった。やはり記憶があるので、読まなくても知ってはいるが、読むと自然に練習や試合の場面を想像する。足が動くようになったらやってみたいとさえ思った。それは他人だから思うことなのかもしれない。本人はこんなに好きなサッカーをやめて、他人として生きたいと思ってしまうほど悩んでいたのだから。


 それでも僕にとってはうらやましかった。努力がすべて報われるわけではない。それどころか、報われる人間の方が稀だろう。あとは好きだからとか、報われた気になって続けているかだろう。

 僕は身長は高くて、周りから羨ましがられたり、主にスポーツ面で期待されたりしたが、期待を裏切ってばかりいた。それが辛くてなるべく目立たないように生きてきた。

 それなのに、初めて好きになった名張さんの前で思い出したくないくらい恥ずかしい思いをしてしまった。もう生きていたくなかった。それで異人転生計画を応募した。他人からすれば大したことないと思うかもしれないが、僕にとっては、あの人にだけは少しでもかっこいいままでいたくて距離をおいていたというのに。

 このまま忘れてしまえるはずなのに、サッカーの本を読んでも思い出してしまう。


 仕方がないから外出することにした。記憶を頼りに初めての道を車椅子で進む。思ったよりも大変だったから、信号の手前までにしよう。すれ違う人は何も言わない僕を不審そうに見る。あっ、挨拶するのが部活のしきたりか。僕の素のまま挨拶してみる。


「お前、ふざけんじゃねぇよ!」


 突然青年に後ろから話しかけられて首だけ振り向いた。記憶から顔を探してみるが見当たらない。ジャージから浩樹くんが怪我させてしまった学校の生徒だろうと推測する。


「どの面下げて生きてるんだよ」


 よく浩樹君の家まで来たと思ったが、彼も思うところがあるのかもしれない。それから暴言をしばらく吐かれたが、何も答えられなかった。どこか知らない人のような気がしてしまう。それは僕が他人だからかもしれないが、浩樹くんの記憶を辿ってみても、彼が罵倒するに値する人間を創りあげているようにしか思えなかった。しかし、それでも浩樹くんにとっては辛かっただろう。

 僕がいないことに気づいた浩樹君のお母さんが出てきてくれて、頭を下げているのを見たら、僕は部屋にひきこもっているのが正解な気がした。


 浩樹君のお母さんに謝罪をすると、お母さんは頷いただけで通り過ぎた。浩樹君を必要以上に責めないようにしているのかもしれない。僕はまたベッドに横たわり手の届く範囲で生活をする。

 ふとうまく寝られなくて枕の下に手が潜り込んだら、ノートを見つけた。『練習ノート』と書かれている。

 記憶には朧げだったので、最初から開いてみる。驚愕するくらい書きこみがびっしりだった。ページがすべて灰色にかすれている。僕は受験勉強の時もここまで書きこみはしなかった。すべてのページをなんとか解読して読んだ。中身は試合内容だったり、反省だったり、フォームの研究だったり。記憶をつかっても読めないのもあったけれど、どんな漫画や本よりも面白く感じた。僕自身は全くサッカーをやろうとは思ってはいないのだが、ページをめくる度に、書いた頃の記憶が鮮明に思い出される。

 僕はそれでも努力が報われるのは幸運だと思ってしまうほど擦れた大人ではあったが、浩樹君が報われるに値する人間であることは納得できたし、年下だが心から尊敬した。敬服といってもいい。


 それと同時に感じてしまった。それは他人だからかもしれない。浩樹君、君はもう一度サッカーやるべきだ。当然、僕は当事者ではないから実感は伴っていないだろうが、他人の言葉に踊らされてるくらいでなくしてはいけないものばかりではないか。


 自分のことに置き換えてみる。僕が異人転生に応募する程のことは、片思い相手の名張さんに僕の好意が噂で聞かされてしまったこと。知られたくなかった。恥ずかしかった。僕は、釣り合わないことなど理解しているから、一生隠して生きるつもりだったのに。距離をおかれてしまうくらいなら、こんな恥ずかしい思いをするくらいだったら、他人として生きていきたいと思ったのが理由だった。

 他人には大したことないと思われるかもしれないが、僕にとってはそうではない。それほどまでに経験がないし、どうすればいいかわからないことだったのだ。

 僕がそう感じても、浩樹君はサッカーを再開するために彼に体を返すべきだ。僕も、もう少し名張さんに向き合ってみる。別に噂なのだから、否定してもいいのだが、浩樹君の体になってみた後だと、それはさらにとても情けないことに思えた。

 いっそのこと、玉砕覚悟で告白してみようか。いや、遠回しに聞いてみて、駄目だったら諦めてもいい。

 でもこれからの僕は、何となくそんなことはしない気がした。


 確かに、努力が報わるのは幸運だが、そこまでしないのは違う。浩樹君が物語っている。

 何よりも、僕だって、他人がつくりあげた都合のいい人物にならなくたっていいのだ。



 携帯電話を開くと、マスター代理の電話番号が一番上にあった。迷わず電話をかける。

 電話をかけてから考えたけれど、浩樹君が元の体に戻ることを躊躇ったら、この練習ノートを見せることにした。



後書き

読んでいただきありがとうございました!

重いというか、語り手が何もしたくない性格なので核になる展開が思いつかなくて、先にGの章を書いていましたが、思いついたら一気に進みました*

私としては正反対のタイプなのでとても困りましたし、結論を出さないのはどうなのかと思っていました!
しかし、彼が戻ってサッカーに熱中するとは思えないし、何かするとも思えませんが、これが彼の結末としていいのかなとも思います。

残り2週間ほどですが、Gの章も終章もプロットできてるし、1000字ほど進んでるし、時間があれば期限内に書ききれると思っております!

何より、毎日10分限定(過ぎることも多い)のですが、創作できてとっても幸せです*
それもあって、この章は10代の頃ノートを布団に隠して創作したり、中学時代の部活ノートのことを思い出しながら書きました*

私が仕事をはじめた頃からずっと書きたかったことも書けて、私的にはとても盛り沢山な内容でした!
今でしか書けない文章だったと思います!
さらには対になるDの章から5年ほど経ってるのに、無意識で陰口の理由の伏線を回収できて自分でも驚いています(笑)

何よりも、彼が結局純粋だったので、とっても楽しく書けました!
ちゃんと口調で重くしようと思ったのですが、成功したのでしょうか?

次のGの章はがらっといろんな意味で変わるので、書くのも楽しみです*





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