short novel

傾倒





 私は、本当は全て知っている。



 運命など都合の良い言葉を、一体誰が創り出したのだろう。

 未来は決まっているとも決められているとも思わない。しかし過去を全て分析すれば、全ての未来は分かってしまうだけなのに。

 人の行く末が全て見えてしまうのは、果たして喜びだったのだろうか。彼女より先を生きた人々は、誰1人としてその問いにぶつからなかったのか。



 現在この小国で『神の代弁者』として神のように崇められていて、今日も教会から出られない彼女は、再度自問した。



 幼い頃から察しが良くて物分りの良かった彼女は、年を重ねるにつれてさらに聡明になっていった。彼女が住んでいた村で『予言者』として重宝されていたことが、この小国の隅から隅まで広まるまで時間は大してかからなかった。

 少女の頃に小国のほぼ中心部にあるこの教会に連れて来られて以来、彼女はここに留まることを自主的に選択していた。


 表向きでは、人々の願いを叶えるために神託として神に使わされた彼女が、ここに閉じ籠って神からの言葉を神に代わって伝えているとされている。

 いつもどこまでも自分のことしか考えない人間を、見放すことも飽きもせずに。



 彼女は世間では、そのように既知外なほどお人よしだということになっていた。人間というのは、どこまでも欲と偏見にまみれている。


 だがその顔をしている以上はその役割を果たさなくてはいけないわけで。ここに閉じ籠っているだけでは、『神の代弁者』という虚構が通じるわけもなく。


 真実は変わらないが、見る人は変わっていく。彼女はそのことを理解していて、神の言葉を“代弁”するために情報集めに毎晩のように奔走していた。



 食料や最低限の生活必需品は捧げ物として持ってこられるが、それ以外は神として扱っている割に人々は全くの無頓着で、自分の望みをどのようにすれば叶えられるか、その1点のみにしか関心がない。

 その人々から、真実をそのまま伝えるのではなく、争いが起こらないように相手が望むように歪め、時に真実と程遠いことを伝えることで彼女は自らを守ってきていた。


 運命などない。だから条件を変えることができるのならば、思いこみだけでも未来は変えられるものもある。






 その日太陽が沈んだ頃、彼女はやっと至聖所から出た。色鮮やかなステンドグラスはすでに蝋燭の灯りを受けてぼんやりと色を灯すのみである。


 今夜は情報収集にはどこが最適か考えながら、頭の片隅で今日はなぜこんなに人が多かったのだろうと彼女は自問した。

 祭壇の前を通り過ぎる頃、同じく頭の片隅で彼女は1日も終わりに近づいた現時点で自答する。


 今日はクリスマスだ。神の誕生を祝う人が多いのは当然だ。


 それに加えて、いくら彼女が『輝かしい未来が待っている』と言っても、皆先々の戦争が不安なのだろう。そこまで不安ならば、抵抗すればいいのに。

 とはいっても、彼女は彼らを責めることはしなかった。真実が現実になるまで伝えないために、彼らをその気にさせないのは紛れもなく彼女であるのだから。



「意外と美人だな」


 青年の声がしたので、彼女は視線を上げた。扉の前に、顔だけ浮かび上がった影と同化している人物がいた。


「意外とってどういう意味よ」


 彼女は身を隠すことは声が聞こえた時にあきらめていた。吐息さえ騒音になってしまうこの場所で、音もなく彼女に近づけるのだから相手は只者ではない。よって動揺は得策ではない。


 最悪の事態を覚悟すると、代わりに彼女は含みをこめて、かの有名な絵画の女性のように微笑する。


「そのままの意味さ。陰に埋もれている割には美人だ」


 彼は影から輪郭を出したが、服装はやはり陰の一部だった。彼の胸の書物で見た紋章を見て、彼女は彼の正体を確信した。


「あなたも意外と美形じゃない。陰として生きるのはもったいないわ」

「驚かないのか」

「予想の範囲内よ」


 彼は立ち止ったが、驚愕の表情はすでに消えていた。


「さすが聡明と名高い『神の代弁者』」

「隣国まで名声が届いているなんて光栄だわ。だけれど私がその名を授かったのは、聡明だからじゃないの」

「ああ。存じ上げていますとも。だがあえて言わせてもらった。俺らの国にとっては、あんたは神なんかじゃない。悪魔だ」


 この国にとっては招かれざる客である彼は淡々と言う。


「そう。私が神だと分かっていないなら話は早いわ。では、代償を。犠牲なくして何かを得ることは契約に反するわ」

「その口調は伊達に神をやっていないな。ここまで来ることで、俺は代償を払った。あんたが望みを叶える番だ」

「褒め言葉として受け取っておくわ。悪魔扱いされたのは初めてだから言ってみたかったのよ。
確かに代償は払われているわ。では、望みを。隣国の密偵の名を持つ使者よ」



 彼女は自分の身が危ういことも分かっていたが、それ以上に彼に感心していた。と同等に興味を惹かれた。

 開戦を止めるためにここまで来ることを選択する信念と、実際に無傷で達成してしまう能力とは如何なるものなのか。

 さらに自分を神の眷属として扱わないことにひどく安心していた。


 対する彼も、最初は彼女を自分の望みのために利用するつもりでいたが、自分の服装だけで目的まで分かること、さらにそれを知っても何も変わらず対等に話そうとする潔さに感服していた。



 それは同じ陰の中で生きなければならないことに共感してしまったからだということには、お互いまだ気がついていなかった。



「俺の望みはたった1つ。この戦争を止めてくれ」

「……悪魔に願うには美しすぎる願いね」


 彼女は彼の正体が分かってからというもの、彼の願いも自分の最期も分かっていた。


 彼はこの戦争の扇動者を、彼と彼の国に不幸をもたらしている彼女を、決して許しはしないだろう。

 だがこの場所で何もできないまま蝕まれていくだけならば、彼にこの場で息の根を止められた方が幸せだと彼女は判断もしていた。


「不可能ということか」

「私には何もできないという意味ならそれは正しいわ。目的を達成するには、私たちは必ず代償を支払わなければならない。
それは等価交換なんて生温いものでもなく、払ったからといって必ず達成されるという生易しいものでもない。
それでも達成したいというならば、制約か、手段が犠牲になる」

「だからといって、他国の民をその天秤にかけてもいいと?」


 吐息よりも沈黙が騒々しい。彼女は感情を出さないようにと目を伏せたが、表情まで伏せることはできなかった。


「まさか。私だって手は尽くした。だけれど私にできることは、失敗に終わる内戦を止めて犠牲者を減らすことに努めるだけ。大きな力の前では、綺麗なだけでは無力なのだから」



 そう、彼女はずいぶん前に全て知っていた。


 新政が始まることも、それがどのような考えを持つ人物が筆頭に行うかということも。

 そして、それによって何が起こって、どれほどの人々が犠牲になるのかということも。


 いずれ反戦を要求する民が立ち上がったところで、反戦は叶わない。しかし内戦が起こったことにより彼女が犠牲にしたくない人々が犠牲になり、この国は敗北の可能性を濃くする。


 だが仮に内戦を防いで勝利したところで、その勝利は別の人々が犠牲になったものの上にある。



 それは果たして、正しいのだろうか。



 それに勝利したとしても、北の大国は南の豊かな土地を求め近い内に攻めてくる。

 勝算がないという事実をどこかで分かっていたとしても、勝利したばかりの人々はまた開戦に臨むだろう。


 近々、さらに大きな脅威が待っている。それを踏まえた上で、どちらが最善なのだろうか。



 いや、どちらも本当は、最善ではない。



 しかし彼女がどんなに悩もうとも、最悪の結果を招くわけにはいかない。最善ではないならば、より最善に近いものを、最善に向かうようなものを選択するしかない。





 彼女は、全て知っていた。そして自分が何をするべきなのか、どうすれば最も救えるものが多くなるのか、ということも。そのために全てを知ろうとしていた。


 彼女は自分が全てを救うことのできる神だと思うほど高慢ではなかった。救えるものだけを救って“神の代弁者”として満足してしまうほど傲慢でもなかった。

 それでも、なるべく全てを救いたいと願い、その願いのために選択するのが間違いだとは思ってはいなかった。そう思うことで自分のできることまで諦めたくなかった。



 一縷の望みをかけて現状を維持したままだった現在、彼女は待ち望んでいた条件が変わる瞬間にいる。

 彼女は自分の呼吸が止まるか、あるいはこの世から切り離される覚悟をした。だが彼女の呼吸は少し乱れたものの、まだこの聖堂に響いていた。





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