short novel

追悼シンデレラ




『幽霊の存在を信じるかい?』

『まさか。永遠の存在を信じるのと同じくらい愚かよ』



 その会話をしたのもこの場所だった。


 その日も外は雨が降っていたことを思い出しながら、少女はその会話をした場所である、カフェの端の席へ向かう。彼がこの世を去ってからも、少女は何度も1人でこの場所に足を運んでいた。



 今となっては数カ月前になってしまう会話をまた繰り返してしまうことで、未だに彼を自分は忘れられないのだと少女は思い知らされていた。


 彼の存在は数か月前のその日から、現実という少女がいるこの世界には存在していないはずだった。

 しかし少女の中では、約束すればまた会えるような気さえする程度に存在している。今でも少女の目には、半透明ではないが時々彼の姿が映る。少女は幽霊なんて信じていなかったはずなのに、幽霊は少女にとっては本当に存在したらしい。


 こうなったら、自分で否定していた永遠の存在も信じなくてはならない。少女はそう思ったところで、説明のできない笑みがこぼれた。楽しいという割には儚くて、悲しいという割には幸せすぎた。



 その日、彼がこのカフェで飲むはずだったコーヒーという名前のついた真っ黒の液体をそのまま飲もうとして、少女は手を止める。かといって少女がかつて入れていた砂糖やミルクを入れる気にもならなかった。

 この席に持ってきてから時間が経ったようで、もうずいぶん冷めてしまったが、それでもまだ飲む気はおきない。



 いつか、彼と同じようにこの真っ黒の液体を何の抵抗もなく飲めるようになったら、彼に追いつける。そう思うことで、少女は時が流れを受け入れようとしていた。

 今はまだ、その時ではない。彼は少女が無理しているのなんて、すぐ見抜く。時間が経てば、前に進むことのない彼は少女を見抜けなくなるのかもしれない。

 しかし少女にとっては、無理する段階を踏まなくてはならないのなら、目的地にたどり着けたとしてもそれは何の意味のないものに思えた。




 今となっては少女が遥かに昔に忘れ去ったはずのシンデレラも、幽霊と同じように少女の中でまだ生きているらしい。少女がシンデレラの物語と同じように落とした片方のガラスの靴は、王子様が拾ってくれている。その王子様は、シンデレラ役である少女のことも見つけてくれている。

 しかし彼が少女を追ってくることは、もうない。少女はもう片方のガラスの靴を、まだきっと片足に履いたまま必死に彼を追おうとしている。彼が少女の前を去ってから頼むようになったコーヒーと向き合うことも、それを表す1つだ。

 本当に現実に生きるならば、シンデレラを忘れて、さっさとこの歩きにくいガラスの靴を脱がなくてはならない。こんなヒールの高い壊れやすいガラスの靴では、さらに片足だけという歩きにくい状態で歩いて行けるほど現実はやさしくはない。


 そう、この現実で生きるならば高く売れそうな綺麗な状態のうちに、綺麗なだけが取り柄のガラスの靴を売って、新しい王子様のところまですぐに走って行けるスニーカーと、新しい王子様の前でかわいく見えるようなパンプスを買わなくてはならない。しかし現実的だと自負していたはずの少女には、まだそれができなかった。





『その方がらしいよ』


 まるで少女の心の声を聞いたかのように、タイミングよく彼が言った。どうやら彼は幽霊になってから、少女の会いたい時に必ず会いに来るというだけでなく、少女の心をよむという特殊能力をも身に着けたようだ。



 彼がそう言った度に、少女は目を伏せて笑ったものだった。


『らしい?それで損してたら、何の意味もないのに』



 その後の彼の答えがあまりにも甘ったるいものだったので、少女は彼の言葉をそのまま思い出すことはできなかった。

 きっとこんな苦い液体を無理して飲んでいるから、それを中和するためにあんなに甘ったるい言葉を言うのだ。



 『守ってあげるから』?言った本人は、とっくにこの世から消えていて、もう二度と私の前に戻ってくることなんてないじゃない。よくもまあ、そんな適当なことが言えたこと。



 しかし感情に呑まれながらも、少女は理解している。『少女の中で彼は生き続ける』なんて、そんな綺麗なものでも、生ぬるいものでもない。少女の一部分は彼との日々でできていて、それがこの先どんなに少女を占める割合が小さくなっていたとしても、確かに存在している。


 それによって少女は守られるだろう。そう、今のように。少女が彼との距離を一気に0にしてしまわないことが、何よりもその証拠だ。



 少女は認識を改めた。あんなに甘ったるい言葉を言う彼は、どうやら相当現実的だったらしい。こんな苦い真っ黒の液体を平気で飲めることから、気づいているべきだった。



 少女は本の中に存在するシンデレラにはなれない。それは現実がそんなに美しく綺麗なものでも、本の中に少女が入れないことも挙げられる。しかしそれは、少女が本の中だけにいられないからでもあった。




『幸せになれよ』




 彼が初めて、少女が望まないタイミングで、少女が最も望まない言葉を口にした。そのことによって、少女は彼が本当にいるのではないかという錯覚にとらわれて、それに溺れそうになった。だがそうしてしまうには、少女は片方のガラスの靴で長く歩きすぎた。

 かといって真実を知って、その言葉の無責任さに腹を立てる気さえおこらなければ、その言葉の眩しさに絶望することもなかった。




 少女は心の中で、彼にも聞こえないように静かに決めた。いつか再会した時に、今履いている残りのガラスの靴の片方も王子様役の彼にきっちり返そう。シンデレラを置いていく王子様なんてお話にならない。彼には少女のシンデレラの話が成り立たなかった責任を取らせなくてはならない。

 そのためにもガラスの靴がそろった時に不自然にならないように、傷つけないように、汚さないように、このまま履いているのは止めよう、と。


 少女は片足に履いていたガラスの靴を、そっと脱いで、両手で大切に握りしめる。そうしたところで、ガラスの靴で現実を歩いてきた少女は気づく。この選択はもしかしたら、両手もふさがってしまうから最も愚かな選択かもしれない、と。



 それでも、少女はその靴を手放すことはしなかった。裸足のまま彼のいない未来へ歩きだす。




 室内でも少女の頬が濡れるのは、屋根が少女の上だけ今だけ壊れていて、外の雨が入っているからだと少女は思い込んだ。



 少女がその日そこで飲んだコーヒーは、砂糖とミルクと雨と、現実の味がした。



追悼シンデレラ
夢を追えない少女の物語



fin.

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