short novel

擬装




「あたし、他の人とも付き合いたいんだけれど」


 すでに他の人と付き合ってることは、私も彼も知ってることだからわざわざ言わない。


「知ってるよ」

「でも分かってないわ」


 相手はまだ余裕だった。私は嫌な予感がした。もしかしたら、さらに私にとっては悪い状況になってしまったかもしれない。



「分かってないのは君だよ」


 ヤバイ。私は相手の次の言葉が分かって遮ろうとしたけれど、遅かった。





「俺は君をあきらめないから」



 いつもみたいに『勝手にすれば』とは言えなかった。そんなことを言えば、状況は最悪のものになるだろう。


 中途半端にモテる人のマネをして、嘘っぽい泣き落としの演技でもしてみようかと迷っていると、相手が手を伸ばしてあたしの唇に触れた。



「愛してるよ」



 そんなの、ズルい。

 相手の動作に心拍が乱れることはなかったけれど、口から言葉を出すのはできなかった。せめて思いっきり抗議したいのを視線にこめる。


「何?キスしてくなった?」

「そんなわけないでしょ!!」


 相手の指が数本まだ唇にあるのを無視して叫ぶと、相手はその指を離すことなくおかしくてしかたないといった感じで笑い出した。


「知ってる」


 笑い出したのは数秒で、まだ指を離すことなく余裕たっぷりに言った。


「君が何人付き合っても、最後には俺のところに来てもらうよ」



 『だから君が何人と付き合っても平気だよ』



 そういってそっと扇動的に唇をなでて、やっと手は離れた。そのまま彼は、何のためらいもなく席をたっていた。




 気が付けば着信音が鳴っていた。ディスプレイには男の名前が表示されている。それを見て、やっとデートの約束を思い出した。



 不覚にも彼に惹かれている自分には気づかないふりをした。





擬装
隠しきれない真実と変わることのない本物




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