66* 「大丈夫だよ」 暗闇の中で、彼の7音の呪文が聞こえる。 「……何が?」 期待をこめて、木に寄りかかっていた彼女は顔を上げる。 初夏を迎えていくら日がのびても、夜が暗いことは何も変わりがない。何も見えないことも、未来が不安になることも。それと同じように、時間がいくらのびても、どれだけ必死になっても、暗闇に蝕まれていく。 何も、変わらない。変わっていないじゃない。 それなにのなぜ、彼がこうも飽きもせず気休めを言えるのか、何を知ってそう言うのか、彼女には今日も理解できなかった。 「大丈夫だよ」 それで彼女を救えるわけではないのに、彼はまた7音の呪文を口にする。それを毎日聞き続けている彼女にとって、それは呪いのようでもあった。 「だから何が?何が大丈夫なのよ!」 この世界に、小説のような魔法は存在しない。この時代に、漫画のような奇跡は存在しない。ただ平凡な毎日が繰り返されて、時間がこの身を衰えさせていく。最も恐ろしいのは、自分がここにしかいられなくて、ここでさえ何もできないという焦燥。 彼女にとっては彼のお得意の呪文よりは、彼の声そのものが彼女の安らぎの対象である。その声で、他に言ってほしい呪文がたくさんあるのに、彼はどれも口にしなかった。 「だから、全部だよ」 そして彼はまた、彼女が望まない、彼女にとっては未知の呪文を口にするのだった。 「どこが?」 「だから、どこも」 彼女の瞳には絶望にしか見えない暗闇も、彼からすれば無限に見えるのかもしれない。 「そう、たとえこの言葉で未来は変わらなくても、見える世界は変わるだろう」 そう呟く彼の瞳には、満点の星空と月が照らす夜空が映る。風に柔らかに舞う蛍の灯が"現在この場所"の美しさを語る。 彼は知っている。"現在この場所"を大事にできないことが、最も恐ろしいことだと。 彼は彼女の慟哭を聞きながら、彼女の手をいつまでも握っていた。 『大丈夫だよ』 奇跡に気づく魔法の呪文 |