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「大丈夫だよ」


 暗闇の中で、彼の7音の呪文が聞こえる。


「……何が?」


 期待をこめて、木に寄りかかっていた彼女は顔を上げる。

 初夏を迎えていくら日がのびても、夜が暗いことは何も変わりがない。何も見えないことも、未来が不安になることも。それと同じように、時間がいくらのびても、どれだけ必死になっても、暗闇に蝕まれていく。


 何も、変わらない。変わっていないじゃない。


 それなにのなぜ、彼がこうも飽きもせず気休めを言えるのか、何を知ってそう言うのか、彼女には今日も理解できなかった。



「大丈夫だよ」


 それで彼女を救えるわけではないのに、彼はまた7音の呪文を口にする。それを毎日聞き続けている彼女にとって、それは呪いのようでもあった。


「だから何が?何が大丈夫なのよ!」


 この世界に、小説のような魔法は存在しない。この時代に、漫画のような奇跡は存在しない。ただ平凡な毎日が繰り返されて、時間がこの身を衰えさせていく。最も恐ろしいのは、自分がここにしかいられなくて、ここでさえ何もできないという焦燥。

 彼女にとっては彼のお得意の呪文よりは、彼の声そのものが彼女の安らぎの対象である。その声で、他に言ってほしい呪文がたくさんあるのに、彼はどれも口にしなかった。



「だから、全部だよ」


 そして彼はまた、彼女が望まない、彼女にとっては未知の呪文を口にするのだった。


「どこが?」

「だから、どこも」


 彼女の瞳には絶望にしか見えない暗闇も、彼からすれば無限に見えるのかもしれない。


「そう、たとえこの言葉で未来は変わらなくても、見える世界は変わるだろう」



 そう呟く彼の瞳には、満点の星空と月が照らす夜空が映る。風に柔らかに舞う蛍の灯が"現在この場所"の美しさを語る。

 彼は知っている。"現在この場所"を大事にできないことが、最も恐ろしいことだと。



 彼は彼女の慟哭を聞きながら、彼女の手をいつまでも握っていた。


『大丈夫だよ』
奇跡に気づく魔法の呪文