Hello,new phase.の続き あの日から、心の中で何度も届くことのない手紙を書いている。何を書けば相手に伝えられるのか、青年はまだ見つけることができないのだった。 僅かな風が、青年の薄汚れた歪な裾を背後の漆黒へ流す。永遠の入り口を歩いているようだった。それでも歩くほどに隣に流れる水は流れを増し臭いは薄れていく。腐っても王都だ。 隣の無精髭の男とは必要以上の言葉を交わさない。隣の賞金首にかけられた金額は実力相応であると先日の件で理解はしているが、何千人と相手しても同じことが言えるとは思えない。何よりこの男が何のために王都へ向かっているのかも理解できなかった。王族である自分を連れ戻すためにこんな暗い道を選んでいるとも思えない。 しかし、賭けは賭けだ。かついずれ逃げ切れなくなることを分かっていたのだから、どこかで戻らなければならなかった。 宗教から青年の体は離れているが、心は離れていない。時間になると熱くなる群青のピアスに従い一日に一度深夜に祈祷をする。ここからは見えないがそれでも夜空に広がる小さな星々へ。 「まさに夜空の信者のやることだな。少しは俺に感謝してもいいんじゃないか」 「まさか。俺は今日また祈りを捧げられることに感謝しているだけさ」 青年にも習慣があるように、この男にも習慣があるようだった。一日に何度か地面に爪先をつけ蹴る仕草をする。青年が何度聞いてもはぐらかすだけで理由を話すことはなかった。 青年が下水道管に入ってから祈祷を三回繰り返した頃、男はようやく実のある話を口にした。 「明朝王都に着く。俺達は短期決戦しか道はねえ。ここを出たらすぐ玉座に向かう」 「場所が分かるのか?」 男は一瞬ふと淋しげな表情をしたが、青年が理由を問う前に不敵な笑みを取り繕った。 「場所が変わってなければだけれどな。まあ、お偉いさんってのは自分の足元掬われるなんて考えちゃいねぇから、特等席から動かないもんだ」 「そういえば、お前は何故王都へ向かうのだ?」 「俺は自分の賞金額を上げてもらうために行くのさ。王都から王子を連れて来たのを見せて、そこからさらに逃げる。この先誰も越せないように上限を釣り上げてやんのさ」 「ずいぶん命知らずだな」 「スリルを味わってないと生きているって実感できないのさ。そういうお前は、命が惜しいから戻るわけではあるまい?」 そう、その通りだ。青年は王族の末裔。これまでの所業から目を背けてきたが、いつか取り返しのつかないところまで逃げていたら信じてくれた師に顔向けできない。信じるべきものが何であるかを知った今は、戻らなくてはならなかった。 「夜空が何故くるかを説かなくてはならない」 「聞く耳を持っていればな。ああいう連中は自分が間違っていると指摘すると凶暴になる」 「提案するだけだ」 「まず俺達と同じ言語を使っていない可能性が高い。提案も反論と同じ意味に捉える輩もたくさんいる。特に今までろくに話し合いをしたことがない人種にはな。そしたらどうするんだ」 「違う手段に出る。それはまた逃げてから考えよう」 「大物だな。侵入する前から次の侵入について考えている。こりゃあ賞金あげられないようにせんとな」 走馬灯のように昨夜の記憶が脳裏を駆けた。そういえば、その後も何度か地面を蹴ってから眠りについていた。丁度今のように。この男はまだ諦めていないのかもしれない。首に刃物を押し当てられ、敵に囲まれている中だとしても。 あっさり玉座の間に入ることには成功したが、案の定そこから衛兵に囲まれ、今玉座の前につれて来られている。予想通りの展開だ。 「おいおいおい。俺はともかく、この方にその扱いは止めた方がいいんじゃねぇか? 外見はそっちの偉い人のお仲間だぜ」 男の言葉に衛兵は態度を変えない。 「フードをとれ」 奥からの男の声に、衛兵は青年のフードをとる。 「間抜けな侵入者だとは思ったが、お前だったか。裏切り者が裏切り者を連れてくるとは」 視界が広がった青年は衛兵の壁の奥に立つ人物に目を向ける。忘れもしない諸悪の根源である側近の男の貴族が立ち、主君より先に言葉を発する。その隣には、青年と全く同じ外見の青年が玉座に座っている。 「弟よ。戻ってきたら私はお前を殺さなくてはいけなくなる。分かっているだろう? 何故戻ってきた」 悲しそうに告げる王、いや兄に青年は目を背けない。聞く耳をもたないとしても、発したい言葉があった。 「兄さん、こんなこともう止めよう! しきたりとか、そんなことに囚われなくていいだろ! この国の人全てとここで生活しよう! このままじゃみんな悲しい思いをするだけだ」 先日の青年の外見を見た時の人々の反応を思い出す。あれは、敬っているのではない。恐れて頭を垂れるのだ。もうこれ以上何も奪われないために。寒さと飢え以上の苦しみを避けるために。ここは物で溢れかえっているのにそんなのは間違っている。 「ご覧なさい。王族は一人しか残してはならないというしきたりを破るからですよ。見た目は王族でも、言うことは貧民ではありませんか。今すぐここで殺してしまいましょう。大体お前は夜空の信者だろ。宗教に縋るものが何を言っているんだ」 「夜空の信者は、変わりなく訪れる夜に感謝し、目には見えなくてもどこかで光る星々を信じる考えだ!」 声を荒らげる青年であるが、頭の片隅は冷静で理解している。側近政治にはなっているが、それを周知しないために兄が命令するよう仕向けることしかできない。 「しきたりを破って何か悪いことが起こったのか? 俺が今まで生きのびて何か悪いことは起こったか?」 「まさに今だ! 邪な考えで我が国を滅ぼそうとしている! 若、決断ください!」 「せめて自分の手を汚せよ」 今まで黙っていた男が口を開く。また爪先で床を蹴る音がしたと思えば、衛兵の武器が全て天井へ舞った。次の瞬間、衛兵が体勢を崩し、床に膝をつく。全ての衛兵が床に沈んでいた。後ろを見れば、数人の衛兵が無精髭面へ頭を垂れる。彼の習慣のように爪先を打ちつけるのは忘れない。 「ジム、お前は何故戻ってきた」 「答えはあの頃と同じだバルドー。世界をよりよくするためだ」 国に追われるジムは側近のバルドーと旧知の仲であるようだった。間に流れる空気に親しさは微塵もないが。 「私と同じではないか! 何故違う道を選ぶ! 元騎士団長のお前ならば、国を思うのが最善ではないのか!」 「そりゃあ、見えている世界が違うからだろうな。ちょっと砂漠にでも行って違う世界を見てこいよ」 青年の脳裏に幼い頃剣の稽古をしてくれた最強の剣士の姿が思い浮かんだ。確かにジムという名であった。彼は容赦はなかったが、それはどんなことがあっても青年が生き延びられるよう早く力をつけてほしいからであるとことあるごとに言うのであった。 「知ってるか? 馬鹿は死ぬまで治らないらしい」 「ならば私を殺すかジムよ」 「まさか。死ぬっていうのを俺はこう考えている。死ぬほど辛い目にあわないとってことだ。だからこれまで上手くいっていたのを変えないのはいいだろう。 でもな、残念ながら王というのはいろいろな考えに目を光らせてなくちゃいけないんだ。いつかそのうちのどれかに殺されないようにな。それは抑えつけていても人しれないところで芽吹くもんなんだよ。俺達は世界の全てを抑えていられるわけではないからな」 「だからといって、宗教などといった作り物に傾倒する気はない!」 「全てのことはきっかけにすぎない。作り物にふれて傾倒する奴もいるが、そこから新しく変わっていけるものもいる。それは死ぬ気でいろんなものと戦ってきたかどうかの1つの答えだ。 だから、バルドー。お前の答えも必ずどこかにある。さて、これからどうしたいのかな王よ」 玉座の兄は立ち上がる。弟の前まで行くと、膝をおった。 「僕のこと、怒っているかい?」 「まさか。また一緒に頑張ろうよ」 いつまでも完成しなかった兄への手紙は、心の中でも完成しなかったが、もうどうでもよくなった。 「そんなこと言うんだったら賭けてみようじゃないか。バルドー」 ジムが銀貨を宙で回しながら言った。 「この国としきたりと、俺の考え。どちらが正しいだろうな。表が出たらお前さんの考えが正しいことにしよう」 「何だそれは」 「知らないのか? 神が答えを教えてくれる銀貨のことを」 「表だったら、神が俺が正しいといっているということになるのか」 「その通り。神に決めてもらおうじゃないか」 一瞬青年の方を向いて、ウィンクする。 「それがいいかもしれないな」 何も知らないバルドーは疑いもせず頷く。知っていたとしてもジムにゆだねたかもしれない。 朝日は青空高く昇っていた。銀貨が宙で回る刹那、青年の瞳に太陽も霞むほどの輝きを放つ。 確かに、夜空よりもいいものが見られた。未来を信じてよかった。 青年はそう思うのと同時に、結局は自分の信じるもののためにしか生きていけないことの脆さを痛感していた。 しきたりは終わる。世界は変わる。 そうだとしても、未来はまだ終わらない。 |