project

姉弟の夏休み


 姉が帰ってこなくなってから3日が経った。

 始まりは、帰宅が遅かったこと。僕が帰ってくるよりも遅かった。


「あれ? 姉さんは」

「ああ、遅くなるって」


 始めは珍しいこともあると思っただけだったが、次の日、姉の会社から連絡が入った。

 有給の書類は出ているそうなのだが、何日とるか書いていないこと、何よりも、有給を取る理由が『夏休みを満喫するため』だそうだ。要するに、もっとちゃんと申請の書類を作れと。姉の携帯と連絡がとれないから家にかかってきたそうだが、僕らは何も聞いていないので、そう答える他なかった。会社の情報すら、僕らは知らなかったのだから。

 ついでに、姉の有給が何日あるか聞いてみたところ、20日ほどあるらしい。……全部使えば、夏休み半分くらいにはなりそうだ。ともかく、20日以内には戻ると見たが、事件や事故だった場合、20日経っていたら手遅れなわけで。焦るも何も、こちらからも連絡がつかないことは同じだ。とりあえず、待ってみることにして、僕らは姉がいない日常を過ごした。


 今日は土曜日。昨日までの週間が残っていて、ずいぶん早起きしてしまった。日差しはもう今日は暑くなることを宣言しているかのようだったが、窓からの風は爽やかだった。窓を開けたままにしておくと、風鈴を優しく揺らす。

 ああ、休日って、こんな穏やかだったのだな。

 そんなことを考えながらいると、二度寝をしてしまいそうだ。

 姉のことは心配だし、嫌いなわけではないが、いないとこれほどまでに違うようだ。


 ピロリン。


 突然の携帯の音。会社の休日出頭命令ではありませんようにと祈りながら画面をつける。そこに書かれていたのは、自分と同じ名字の、女性。

 失踪していた姉から連絡がきた。さっきまでの二度寝モードから慌てて飛び起きる。ロックを操作する手が少し震えていた気がした。パスワードを間違えそうになった気がした。

 ようやく、文面が見えた。


『我が弟よ、元気にしてる?
 姉さんは、夏休み中です。
 3日間東京の旅行会社を全部回った結果……
 今日は海へ行くことにしました。』


 何て、平和ボケしたような文面だろう。いやいやいや、惑わされちゃいけない、行き先決めるのに3日もかかってんのか! しかも何でわざわざ東京の旅行会社制覇してんだよ、バカ! 1番訳分かんないのは、どこの海だよ!!


 返信をうとうとしたら、写真が添付されてきた。このタイミング……。

 弟のカンで、これ以上は返ってこない気がして、母さんに報告しに行った。とりあえず、姉は無事だ。それだけでよかった。



 日曜日、同じ時刻に同じ文面がきた。違うところは、海から山に変わっていたところ。海は一日で挫折したらしい。


 月曜日、また同じ時刻に同じ文面。今度違うところは山から遊園地に変わっていた。姉さんにぴったりなところだ。笑っていたら、遅刻しそうになった。全く、いなくても僕をひっかき回す天才だ。


 火曜日、同じ時刻に連絡はなかった。僕は出勤するしかなかった。不安で連絡しようとは思ったが、文面を考えているうちに遅刻しそうになった。全く、連絡がなくても僕をひっかき回す天才だ。

 よくよく考えみたら、『どこにいるんだ?』とか『早く帰ってこい』だけでもよかったのに。そう送ろうと思う前に会社に着いて、仕事に追われ、お昼になって、日程が急に変わって、会議に追われ、気がついたら、家に帰ってきていた。


 そうだ、『早く帰ってこい、バカ姉』にしようと思って、連絡しようとしたら、先に姉から連絡が来ていた。

『我が弟よ、元気にしてる?
 姉さんは、夏休み中です。
 3日間東京の旅行会社を全部回った結果……
 今日は家へ行くことにしました。』


 疲労と眠気で頭が回らない。今日はどこに行くんだ? あれ……。


 気づいた瞬間、インターホンの音。


「ただいまー!」


 のんきな久しぶりの聞き慣れた声がした。


「おい! 遅い! ってか、有給の書類くらい、ちゃんと書け!」

「あれ? ちゃんと書いたよ。夏休みって」


 大人に夏休みはない、というつっこみは姉には効かなそうだ。


「でもさ、どこ行ってもつまんないのよ。東京行ってもなんか足らないし、海行っても広いだけだし、山いっても大きいだけだし、遊園地に行ってももの足らないし。やっぱり、夏休みは家にいるのが1番だなって」

「じゃあ、あと3日間は家にいろよ。僕仕事だから」


 これまでのことがあるので、少しいじわるに言ってみたら、姉はすぐさま答えた。

「えー、それもつまんないな」

「じゃあ、訂正しろよ。夏休みは家族といたいんだって」

「そうだね」


 姉はそう言って微笑む。珍しい表情に僕の顔も綻んだが、すぐさま姉がいつもの表情に変わる。これは、何か嫌なことを思いついた時だ。


「ということで、明日から有給とりなさいよ」

「何で!」

「私は、家族で夏休みを満喫することにしたから。今までの夏休みは、下見。これから今まで行ったところ全部連れ回すんだから!」

「何日連れ回す気だよ! そもそも理由に『夏休みを満喫するため』なんて書けない!」

「あら、私は書いてきたけれど」


 この家にいると、まともなつっこみは意味をなさないからしなくなる。そもそも、僕も姉がいないこの数日退屈していた。最初は平和でいいとは思ったけれど、すぐ飽きた。常識で考えたらおかしいのだろうけれど、そこはやっぱり、僕も、この人と同じ血が流れているから。


「……分かったよ、明日書類出して、引き継ぎしてくるから」

「今日申請しなさい」

「はぁ? もう誰もいないけれど」

「1番偉い人の電話番号どれ?」

「おいおいおい!」


 そんなこんなで、この夏休みも波乱になりそうです。





- ナノ -