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ケトルモラトリアム


 真夏の気配が輪郭を浮き上がらせている。日の出は先程だと思われるが、朝から酷暑を告げる容赦ない晴天だった。一晩中つけていて贅沢にも少し肌寒いくらいのエアコンを切って、今日もケトルに手をかける。シルバーがわずかな光を反射させる。

 このケトルは仕事が落ち着いたとかお金が貯まったというよりも、静かに過ごしたくて一人暮らしをはじめた際に買った家具の一つだった。買った当初はついでと買い物かごにいつの間にか入れていた品物。量産することで価格が抑えられているということが最大の利点であることを示している飾りのないシンプルなデザインだった。それでいて注ぎ口は細く緩やかな曲線にいつしか愛着が増していた。

 日差し以外は静かな朝だ。ぼんやりと今日が何曜日か思い出す。そうそう、今日は土曜日。街の喧騒が静かなわけだ。昨日までの仕事半分虚ろな思考をそのままに、目覚めの一杯と紅茶を眺める。カラフルなハーブティーやブレンドティーが並ぶが、どれも今朝の一杯には決め手にかける。余裕はあるのでケトルに視線をうつす。まだ沸ける気配はない。

 若い頃は何もしていないというのがとても苦手であったが、三十をこえた今となっては、この空白が心地よい。何もしていなくても許されるような気になってしまう。特に何も予定がない休日は、秒針が余白に全て濃い太線を刻む程の多忙な日々は忘れるべきだ。けれど休日にも別の問題が差し迫っていた。

 メッセージアプリを起動するが、返信はどれもなかった。尻尾をふって、媚を売ればメッセージは適当に続き、会うところまではたどり着ける。会ったら何かが合わなくともいつか結ばれると信じてメッセージを続けるが、相手から離れていく。本当に男性というのはよく分からない。

 それでも、実家の母に孫の顔が早く見たいと言われれば何も言い訳はできない。精神的には何の準備もできていなくても、身体的には容赦なくタイムリミットは迫っている。

 別のメッセージアプリを起動すれば、そこには返信がたくさん来ていたが、どれにも返信する気はなかった。

 若さというのをただ無意味に消費していくのが嫌で、知り合いのすすめで登録した、老人の話相手探しのツール。最初の頃は、時間も潰せたし、お金も手に入ったのだが、どの老人も二回目会う時には身体の交渉が始まる。話し相手とはどこまでをさしているのだろう。さらに男性がよく分からなくなった。

 結婚というものと多少なりとも向き合っているが、さすがに遠回りをこれ以上する気にはなれない。しかし、なぜかいつまでしなくてはいけないか分からない遠回りを勝手にさせられている。

 私の中で、どのような結婚がいいか、家庭がいいか全く思い浮かばないのが原因かもしれない。周りはどんどん結婚していく。遂に、昨年結婚した学生の頃同じ学部だった友人も今月出産するらしい。

 その友人は、つい最近まで自分の遺伝子を受け継いだ子どもはもちたくないと言っていたが、それを変えてしまう程の相手とはどれほどのものなのだろうか。結婚相手のことも知っているが、無理やり意見を変えさせようとする傾向はなかったはずだ。自分の不安を払拭できる程の関係を異性である赤の他人と時間をかけて創ることができる。そこまでの幸せが私にもあるのだろうか。そんな未来が私にもあると信じたかったが、未来は全く分からない。少なくとも現時点でも私の言葉は私の意志とは程遠いところにいったっきり戻ってこない。


 ケトルはまだ沸けなかった。外の日差しとは裏腹に、締め切ったカーテンの内側で何の光も放たない。見ていてとても安心する。


 私が願うことは、ただ一つだけなのかもしれない。せめて誰にも何にも脅かされることがなく、何も変わらない良くも悪くもない今の状態が続きますように。理想とか未来とか眩しいもの全てが私を見過ごしてくれますように。他には何も望んでいないのだから、それくらいは叶えさせてほしい。


 そして、やはりケトルはまだ沸けない。



 別の音がポケットから鳴った。画面には新規メッセージを告げる明かりがぼんやりと灯っている。



 数日後、気に入らないけれど慣れてきたフォーマルなワンピースを着て、スーツを着た男性とホテルの喫茶店で向きあっていた。顔に好みをいっている場合ではないが、必要最低限整っているように見える。この市場ではなかなかの当たりといわれる分類だろう。声も話し方も穏やかだったが、どこか気が進まない私にとっては、面倒なくらいもったいない話だった。


『趣味は何ですか?』

『最近はまっていることは何ですか?』

『休日は何をしていますか?』

『お仕事は何をしていますか?』


 緊張と不安の中、場数は踏んでいるが進歩しない会話を最初からもう一度する。一問一答で質問数ばかりが増えていく。もう同じことの繰り返しに疲れている。


「私、ケトルを眺めているのが好きなんです」


 疲れすぎて、『今日の朝何をしましたか?』という相手からの質問に正直に答えていた。相手からしたら訳の分からないことだというのに。


「分かります」

「は?」


 慌ててつけたそうとした言葉よりも先に、相手が答えたので、失礼な1文字が空間に飛び出す。


「何もしなくていいような気がして、安心しますよね」

「そうなんですよ」


 共感には聞こえないような温度で私は答えていた。本当は歓声をあげたいくらいだが、まだ警戒心が壁をつくっている。


「電源を入れないままお昼まで放置していることもよくありますよ。時間がいつの間にか経ってて、その頃は暑くて結局冷蔵庫から麦茶を出して飲んでるっていうね」

「そうなんですよ!」


 ここまでくると、ただ単に私に話を合わせるという感じではない。ニメートルほど離れた他の客の耳には届きそうなくらいの共感になっていた。その後何を話したかは覚えていないが、ぼんやりと居心地の良い時間がニ時間過ぎていた。


『また会いましょう』


 別れ際相手はそう言って、私の分までお金を払っていった。おごってもらったのは久しぶりだった。お金は次回でいいという。期待したくはなかったから社交辞令だと思いたかった。


 そして次の週の日曜日、また光もしないケトルの輪郭を眺めている。誘いが来たのが一昨日のこと。相手に何と返信したらよいのか、どうすればうまくいくのか迷っている間に夜は明けていた。前回会った時の居心地の良さが現実だったのか、自分だけの思いこみなのか、それとも幻想だったのどれであったのか自信がない。返信がないことが一番うまくいかないことのはずなのに、それを選ばされている自分がいる。

 また期待を裏切られるのが怖い、また先の分からないことをはじめるのが面倒くさい。どうせうまくいくわけがないのだから無意味なように思える、期待したくない。今の状況が心地よい、何も変えたくない。このまま未来が私を放って通り過ぎてくれることがやはり一番の私の望みだった。それでも、その数分後には現状のままでもいたくないという気持ちは確かにあって、どの感情よりもほんのわずかに強いのだ。

 仕方がないからと重い指をあげる。今日はいいとして、来週に予定を入れてみよう。返信がここまでかかってしまったのだから、相手からメッセージがくることは期待したくなかった。

 恋がはじまるなんて願うことさえいけないような気がしていたし、結婚までは考えられないし考えたくもないけれど、本当に久しぶりに居心地がいいと感じた相手ならば、会う価値は高い。難しいこととか、先のことは考えなくていい。大体、また会いたいと相手から言われるなんて本当に稀なことではないか。それでも感情を動かすことに疲れていて、また暗闇の中で見えるか見えないかのケトルの輪郭を見つめている。



 どのくらい経ったか分からないが、しばらくすると私はやはりケトルはそのままに、冷蔵庫から麦茶を出した。返信を告げる小さな緑の光がケルトにわずかに反射している。