この執着に適切な名前をつけてしまえば、手放せなくなってしまうに違いない。
隣にヤマギが座った気配がした後も、俺は急に味のしなくなった昼飯を機械的に口に運び続けた。昼時特有の、年少たちの喧騒が遠く聞こえる。バルバトスや他のモビルスーツの修理はまだまだ終わる気配はない。鉄と油のにおいに満ちた空気をおかずに、パンの固い部分を流し込む。アトラのつくってくれた弁当を丁寧に開けたヤマギの表情は、俺のいる場所からでは金のカーテンに遮られて良く見えなかった。
けれどその瞳が、今も焦燥に満ちていることだろうことは容易に想像がつく。ヤマギは最近、どこか焦った表情でいることが多い。タブレット片手におやっさんと話しているところに出くわすことも多く、整備の時間以外も何かと忙しそうにしていた。今も、飯をひとくち含んでは、眼前の機械に顔を向けている。その動きを追って、同じように仰々しい兵器を見上げながら、俺は頬に詰めたパンを嚥下した。

「あのモビルスーツ、ちゃんと動きそうなのか」

はっ、と喉が震える音と同時に、彼は俺の方へ振り返った。この驚きようだ、俺が隣にいることすら忘れていたのかも知れない。握り締められた左の拳、所在無さげに揺れる青は、きっと宝石よりも煌びやかだ。動揺を隠しもしないメカニックを見つめながら、どんな重要なことを聞いたのか分かっていない表情を作って、少しだけ首を傾げて見せる。再び隠される表情、彼は俺の問いに小さく、もちろん、と返した。
跡形もなくピンク色に塗り上げられたモビルスーツは、昭弘の機体からシノの機体となった。昭弘が動かしやすいように調整されていた機能はひとまずニュートラルに戻され、それから主にヤマギの判断で、訓練の値を元にいくらかバイアスが掛けられている。初陣となる戦でどんな効果をもたらすかわからない、博打とも言える調整に、ヤマギは全身全霊をかけて挑んでいるように見えた。

「でも、まだ出来ることはあるから。出来るだけのことは、全部したい。名前だって、仲間を失うのは嫌でしょ?」
「まあ、ね」

でも、それは三日月や昭弘の時だって同じだったはずだ。むしろ彼らの方が、ずっとタチの悪い状況で戦場に放り込まれることになった。満足な整備も出来ないまま、有り合わせの装備と燃料で、敵と戦うことになったのだ。それなのに、あの時の整備よりもずっと神経をすり減らして、ヤマギは「流星号」とかいうふざけた名前のモビルスーツと向き合っている。自分だって気付いているだろう。言おうとした言葉は、ボトルの水と共に腹の中へ流されてしまった。平静を取り戻したヤマギがパンを運ぶたびに見え隠れする薄い口元をぼんやりと見つめつつ、わざわざパンの間から避けて箱の上に出しておいた青い野菜を噛み砕いていく。この位置は、表情や瞳が見られない代わりに、こちらが何処を見ているか悟られにくくて良い。
喉元を這い上がってくるもやもやとした黒、言葉にしてしまうと自分に返ってきてしまいそうで、俺はそれを、何よりも恐れていた。今まで、俺の気のせいかも知れないと、放置してきた感情の色を、毎日毎日丹念に擦り込むように見せられる日々に辟易としていたけれど、それでも、彼に気付かれてしまえばもう美しい青を覗き込むことすら出来なくなってしまうだろうことは明白だ。俺は自分の、執着としか呼ぶことの出来ない感情を持て余しては、こうしてたまに自分から戦場へ乗り込んで、痛くもかゆくもないおもちゃの弾丸をぶつけて遊ぶ以外に、どう発散すれば良いのか知らずにいた。

「お昼明けたらさ」
咀嚼の間に、ヤマギがこちらを向いて声を出す。慌てて、視線を口元から金色のてっぺんに移した。
「バックパックのことで、相談したいことがあるんだ。早めに準備しておきたくて」

いつもと同じ無表情。僅かに帯びた憂いに気付けてしまう自分に吐き気がする。ドックの人工的な光が俺とは違う、真っ白なヤマギの頬を更に白く見せて、それにすら呼吸を殺される。何か返さなければ、けれど何を口走るのが正解かわからなくて、なんとなく視線を二人の足の間に落として、口に残る野菜をわざと少しずつ少しずつ飲み込んだ。そのまま、流星号に足りない機能について淡々と話し続けるヤマギ。彼の考える充分な準備は到底できない、それを分かっていながらも、ヤマギは必死に足掻いていた。それ以上聞きたくなくて、聞きたくないと思う自分から目を背けたくて、軽く息を吐いて落ち着けてから、顔を上げる。作った笑顔、声色。出来るだけ軽く、深刻な響きや自嘲が見えないように。

「いつ出ることになるか分からないんだ、そんな焦る必要ないだろ」
「いつ出ることになるか分からないから、だよ。シノは初戦だから、少しでも早く準備を終わらせて、慣れてもらう時間を作らないと」

自分でそうしておきながら、言葉の裏に全く気付いていないヤマギを見ると、隠し通せた安堵よりも、言いようのない痛みに襲われるのは、一体どうしてなのだろう。
ふっと上体の力を抜いた俺の動きを、了承の頷きと取ったらしいヤマギは、らしくないくらい大きく口を開けて、サンドイッチの最後のひとかけらを口内に捻じ込んだ。それを飲み込み終わる前に、空っぽになった弁当箱を片手に持って立ち上がり、皆が空箱を集めている場所にふわりと進んでいく。遠く反響するおやっさんの声が、昼休憩の終わりが近付いていることを示していた。モビルスーツの足元を通り過ぎ、小さくなっていくヤマギの背中。彼は弁当箱を返したら、そのままあの機体の上へ上ってしまうのだろう。そうすればもう、青の瞳は俺を映さない。またこみ上げてきた吐き気を殺そうと、ぬるい水を口いっぱいに含み、一気に飲み込んだ。身体の中に水が落ちていく感覚にさえ痛みを覚えて、鎖骨の下辺りを手で擦ってしまってから、客観的に見た自分の行動の余りの惨めったらしさに、思わずシャツを握り締める。
このどうしようもない執着を、執着のまま殺す術すら、俺には分からなかったのだ。

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