若干注意。




「良いの?」

ベッド脇の照明に下から照らされながら、真太郎は無言で肯定を表した。男二人に腰掛けられたベッドは不恰好にゆがんでいる。彼が大学進学と同時に六年間一人暮らしをすることに決まったとき、僕はせめてセミダブルのベッドにしたらどうかと提案した。僕は背の大きいほうではないけれど、女の子とは訳が違う。肩幅だってあるし、なにより、寄り添って寝るにはいささか骨ばっていて、あまり気持ちの良いものではないのだ。けれど彼は、部屋の広さとの都合上無理だと、今までと同じシングルベッドを持ち込んだ。この部屋だって、僕の部屋よりずっと広いというのに。真太郎の左手が僕の右手の下でうごめいた。夜の静けさが広さの割りに物の少ない部屋を通り抜ける。

「痛いよ、きっと」
「わかっているのだよ」

真太郎の新居に泊まるのは今日が初めてだ。そして、真太郎と一緒に夜を過ごすのは、いつもの通り、とても久しぶりだった。
僕がシャワーを浴びてベッドに座り、真太郎が風呂に入る。出てきた彼は寝る準備が整ったら僕の右隣に座る。それから胸の温かさと、すこしの冷たさを伝えるために、真太郎の指を握るところまでも、いつも通り。このまま電気を消し、二人でベッドに寝転がって、キスがあれば行為が始まり、抱きしめられたり鎖骨めがけて頭をぐりぐりとおしつけたりすれば、何もなく夜が明ける。はずだった。
指を、折ってもらいたいのだが。真太郎の言葉は、いとも簡単に「いつも」を追い出してしまった。ぴくりと動いた指が彼の手を揺らす。首筋に噛み付かれたときと同じような痺れ、詰まってしまった息と思考を通さずに反応する身体。真意を探ろうと顔を覗き込む僕を見て、真太郎は小さく笑った。

「名前。お前、時折、俺の指をあらぬ方向に曲げようとしていただろう」

え、言おうとした言葉は音にならない。しかしこわばった表情から答えを察したのか、真太郎は自由な右手を伸ばし、僕の頭を引き寄せた。真新しい白い壁紙が視界に広がる。灰色のパジャマの襟刳りに触れた唇は、肌を蹂躙することはなく、後頭部の右手と共にゆるく僕の肌を撫でるだけ。その感触のあまりの柔らかさに耐え切れず、僕はすがるように、左手で彼の背中を掴んだ。シャンプーの香りが鼻を掠めて、自分と同じ香りなのかと思うと、それすらも、どうしようもなく苦しい。吐いた息は、不安定に空気を揺らした。

「気付いていたなら、どうして止めなかったの。本当に折られていたら、どうするつもりだったの。」

触れたままの右手に力を込める。どこかに力を入れていないと、嗚咽が漏れてしまいそうだった。ぎゅ、と更に強く、真太郎に抱きしめられる。

「お前ならしないと信じていた。だからこそ、今ならしてくれると信じている。俺が本当に、お前に折られても良いと思っている今なら、それを受け入れてくれると」

真太郎は左手の親指で、僕の親指を撫でた。素肌と素肌が触れ合う。そこに、いつも彼の指を覆っていた白い布はない。

数ヶ月前、真太郎が高校生活最後の大会で主将として、部員として、ひとりのスポーツマンとして追い求めた栄光を逃したあの日から、真太郎は栄光を強いられていた頃から彼の指を守り続けてきた鎧をつけなくなった。出会った頃から白い指先に見慣れていた僕は、いつもその鎧に守られた指を握っていた。真太郎を真太郎たらしめる指、敵と戦うための指。中学高校と歳を重ね環境が変わっても、それだけは変わらない。彼が性的な意思を持って僕に触れるときでさえ、指はテーピングに巻かれたまま。極力右手で僕に触れるようにしているみたいだったけれど、たまにどうしようもなくなったときは、行為がすべて終わったあとに、コンドームを捨てるのと同じようにテーピングを巻きなおしている姿を何度か見かけた。

あの指は、僕よりも真太郎に大切にされているんだ。どろり、沈む意識の中で思う。あの指で真太郎はバスケをするから。あの指が真太郎にバスケをさせるから。あの指さえ、なければ。隣に入ってくる真太郎の指を掴む。これを、両手で掴んで思い切りへし折ってしまえば、真太郎は、バスケを続けられなくなる。そう思った夜の数は、数え切れない。
けれど、僕は結局、真太郎にバスケを捨てさせることは出来なかった。仮に指を折ったとして、真太郎はどうするだろう。僕を怒る?僕を許す?失望する?
どんな結果になったとしても、真太郎の一番を永遠に失うのは自分だと、僕は知っていた。

「こんなの……全然違う、よ」

僕は僕のために彼の指を奪おうとして、僕のために実行できずにいただけなのだから。むき出しになった左手に爪を立てる。

「分かっている。これは、俺の望みだ。お前に謝りたいという、俺の望み。」

高い鼻がパジャマを摩った。至近距離でないと聞こえないほどの小さな声が布を暖める。真太郎のこんな声を聞いたのは初めてじゃないかと、どこか他人事のように思った。
関係を持つようになってからも、バスケや勉強に忙しい彼と会う機会はそんなに多くなかったし、彼は僕にあまりバスケの話をしなかったから、帝光を出るときも、秀徳が負けたときも、真太郎は黙って僕を抱きしめるだけで、何も言ってはくれなかった。僕も、真太郎からバスケの話を聞くのは嫌いだったし、会えないのは最初から分かっていたこと、それを承知で真太郎を追いかけたのは僕だ。だからこんなのは僕にとって当たり前のことで、だからこそ、僕は指に憎しみをぶつけていても、ついに奪い取ることが出来なかった。それなのに真太郎はあの憎しみに信頼を見出していたというのか。
僕の動揺を察してか、真太郎は後頭部の右手をそのままに、僕の肩から顔を離し、正面から僕の顔を見つめてくる。

「受け入れてくれるか?」

不安気な声とは対照的に、まっすぐな色をした、緑の瞳。それは、いつも僕が望んでいた色と同じだった。テーピングを施す指に、掴んだボールに、見上げたゴールに注がれていた、僕にはけして向けられることのなかった鋭利な色。ふるりと、胸が震えた気がした。何も言えずに空気をすすり上げるだけの僕を、彼の右手がゆっくりと撫でる。やっと口を開いた頃には、もう涙が流れてしまいそうだった。

「ばかだよ、真太郎は」
彼の左手を握る右手に、ゆるく力を込める。
「僕も、真太郎も。どうしようもない、ばかだ」

真太郎は左手の指を上に動かし、僕の指と絡めあわせた。右の手のひらがシーツの感触を拾う。このまま、指に力を込めて、手首を使って彼の手のひらを思い切りシーツに押し付ければ、この指は簡単に折れてしまうだろう。ばきりと音を立てて、僕がずっと抱いていた望みをかなえてくれる。そして真太郎も、きっとひとつの悲鳴もあげずに、それを受け入れるのだ。
瞬間、ぐっと顔を引き寄せられ、真剣な瞳が近づいてきたかと思えば、その緑は瞼の裏に隠されてしまった。それを見て、僕もゆっくりと瞼を閉じる。大きな背中を掴んでいた左手は首元へと上がり、後頭部へ。引き寄せられるばかりではなく、自分からも引き寄せながら、僕と真太郎は唇を合わせた。



左手で触れられていると気付いたのは、行為が進んでからだった。
僕たちの行為の最中に挿入が行われることはめったにない。スポーツマンであった真太郎は身体に変な力がかかるのを嫌ったし、僕の方も入れるにも入れられるにもひどい痛みを伴うそれが嫌いだった。だから僕たちの性的な接触は、性器をこすり付けあうことに終始する場合が多い。決定的な高まりではなく、真太郎が寝なくてはいけない時刻がくることによって、行為は終了する。

真太郎は合わせた唇はそのままに、ベッドの上に左ひざを引き上げた。それから僕の右手を引き連れて、左手をベッドの奥の方へ。空いたスペースを使って僕も同様に右足をベッドに乗せる。その足を使って、真太郎の腰辺りにしがみつけば、いささかシーツを巻き込みつつも、二人の距離は簡単にゼロになった。
真太郎の右手が更に僕を引き寄せると同時に、舌が差し込まれる。呼吸をしようと頭が動き、苦しさに僕は更に真太郎にしがみついて、結果的に、二人で腰をぶつけ合う。跳ねる身体を押さえつけようと、真太郎の右脚が僕の左脚を押さえ込んで、ベッドの縁に押し付けた。真太郎の左手に導かれて、僕の右手が自分のズボンのゴムを擦る。自由な親指でなんとかパジャマとトランクスを押しのければ、軽く立ち上がった性器が外気に晒された。同様に真太郎の性器も取り出し、今度は直に擦りつけ合いながら、先を右手で握りこみめちゃくちゃに擦りあげる。

「う、あ」
「く、……ん」

苦しい。ままならない手が、交わされる口付けが、唇から漏れる声が。快楽を追いかける衝動のままに腰を揺らして彼の手に、腹に、性器に、自身の昂りを擦り合わせて。空いた手で互いを思い切り引き寄せて舌を絡ませて、ゆっくりと高まっていく。絡ませたままの指が時折ぴくりと震えるのにさえ快感を拾ってしまい、熱い息が漏れる。

「い……っ」

ぐずぐずと溶けて行くような感覚のなかで、不意に彼の親指が意志を持って僕の性器の先を刺激しだしたことにより、僕は堪えきれずに顔をのけぞらせて声を上げた。強烈で、けれどどこかぼやっとした痺れが下半身や背中に広がっていく。筋肉という筋肉に無理やり力を込めさせられるような、きつい痺れ。外れた唇が、僕の喉に噛み付いたところで、僕は彼の親指に自身をおもいきり擦りつけながら達してしまった。全身が弛緩し、二人分の性器と、緑色の髪を握り締めていた両手から力が抜け、真太郎の胸に寄りかかる形になる。はあ、と断続的に息を吐きながら、それに合わせて僕の右手と彼の左手を覆っていく白い体液。

力なくうつむいたところで視界に入ったそれをみて、ああ、まるで、テーピングをしていたときの真太郎の手のようだ、といまだぼんやりとしている頭の隅で思った。いつも白に守られていたあの指を自分の白で汚すというのは、悪い気はしない。右手の指に力を込める。粘性の高い液体が、もうあの頃のように必死にボールを追う必要のなくなった彼の指と、最初からなにも持っていない僕の指の間を通り抜けていく。その様子をやはりはっきりとしない意識で見つめていると、悔しさと、憤りと、愛おしさと、いろいろなものがこみ上げてきて、思わず小さく笑ってしまった。
意図せず刺激してしまった彼の自身がまだ硬さを保っていたことに少し辟易としつつ、大きくて筋肉質な身体に頬を寄せて、汗のにおいのするパジャマに鼻を擦りつけた。やっぱり、僕はどうしようもない馬鹿だし、彼もまたそうだ。空いた左手を裾から進入させれば、自慰にも似た行為は一度では終わらずに、一息つく間もなく再び擦りあわされる。

「ね、え。しんたろう」

にちゃり、白濁が握りこまれる音。彼の好きなように動かされ、一物を握る僕の右手と、自由に硬い腰周りを撫でている左手、後頭部に感じる真太郎の右手。そのどれもが動きを止めない中、僕は胸元に抱きかかえられたまま続けた。

「僕は、ね、僕の青春をかけて真太郎の指に傷つけられてきたんだ。それを一回の謝罪で終わらせようなんて、そんなの、受け入れてあげない、よ。」

響いていた音が止む。見上げた先で、真太郎はこちらを見下ろして目を見開いていた。その表情がなんだかおかしくて、身体を少し離し、薄く汗の滲む顎をちろりと舐めあげる。真太郎はゆっくりと顔を傾け、背中を曲げた。鼻と鼻が触れ合う。ごく近い距離で薄い唇が開かれ、そうだな、と暖かい息が頬を伝った。

「俺は俺の一生をかけて、この指でお前を傷つけるつもりだ」

テーピングのない指が持ち上げられて、僕の頬に触れる。纏っている白は自分から出たものだけれど、なぜかそれほど不快には感じなかった。指の先でゆるゆると白を塗り広げるように表面をなぞる動きがくすぐったくて、絡ませたままになっている自分の指をゆるく握る。顔を逸らし、少し小さい僕の手の間から覗く、真太郎の整えられた指先にキスを落とす。その動きを真似て、僕の指に唇を触れさせながら、真太郎は続けた。

「だからお前には一生をかけて、この指を折ってもらわなくてはならない。俺の指は10本、足にも10本しかないのだからな。」


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