赤、青、黄色。赤、青、黄色。あか、あお、

「きいろ。」

ぷちり、力任せに花弁を引きちぎり、少年は顔を上げた。視線の先、木の影から大きな男が現れる。緩く巻かれた金色の髪、纏った黒、にこやかな表情。地面にぺたりと座った少年、周りに広がる青い茎や傍らにそびえ立つ赤い花弁の山を正面から見据えても、男は眉一つ動かさない。その様子に気付いたのかそうでないのか、少年は手を伸ばしてまた一輪の花を殺してみせた。

「赤は止まれ。青は進め。」

歌うように呟きながら、少年は男の姿など見えていないかのように辺りに花びらを振りまいていく。少年の背後で日は低く上がり、遙か西へと歩き出すべき時間になっていた。朝日を浴びて後ろめたく輝く高い山は、彼と共に夜を越えたに違いない。美しくも死したまま。弁慶という名を冠した男は屍の山を見て口を開く。

「名前くん、神子殿や譲くんが探していますよ」
「赤は止まれ。青は進め。」
「朝餉の準備も出来ています」
「赤は止まれ。青は進め。」
「いつからここにいたのですか」
「赤は止まれ。青は進め。」

するりするりと指の隙間を擦り抜けていくことば。ただ散るのみの声。少年は顔どころか視線を上げることすらせずに次々と手に触れた花を摘み取り、山を少しずつ高くしていく。自分から見て山の左側にはほとんど赤は残っておらず、青い茎や葉が散らばっているだけ、反対に少年のいる側、屍の右側は、遠くには青が見え、山に近付くにつれて花弁が残っている。
ふと、弁慶は口を閉ざし思案するように数回瞬きをした。その間も花の悲鳴と止まない声が静寂を刺す。赤は止まれ。青は進め。山から離れるにつれて赤が濃くなっているのならわかる。中心から始めて山を作り、手の届かない場所のものも同じところに集めようと思ったというのなら。しかし、遠くの方が青いということは、今は山の隣に座っているけれど、彼はわざわざ遠くの花を摘み、あそこまで持っていったということだろうか。一体なんのために。赤は止まれ。青は進め。はらりと落ちる花びらの向こう側から。
彼と会話をするにはまず彼の求める言葉を言わなくてはならないんです。彼の言いたい言葉を言わせてあげれば、その後はこちらの言葉にも応えてくれますよ。頭の奥で緑の髪が笑った。名前先輩には前からそういう所があったんです。こちらに着てから、少し、子供になってしまっただけで。明るく作られた声。陰る表情。朝露が足裏をじわりと濡らしていく。赤は止まれ。青は進め。

「黄」

呟けば、少年は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。目が合う。弁慶は思った。弓を担ぐ少年より、守るべき神子より、言うなれば竜神が現世に形取りたもうたときの姿よりも、小さな背筋をした少年はいま確かに男を見つめて、次の言葉を待っていた。

「黄色なら、どうすれば良いのですか?」

語尾が引き上げられるのと同時に、少年は遂に音もなく立ち上がった。花びらに濡れた指先は赤く色付いている。少年が口を閉ざすと、強い風が吹き、積み上げられた花弁を攫っていった。対峙したまま静寂が包む。静寂に包まれているはずなのに、どこからともなく声が聞こえてきた。赤は止まれ。青は進め。子供の声にも、少女の声にも、老婆の声にも、そのどれでもないようにも聞こえる。弁慶は口を閉ざしたまま、赤く舞う花弁の向こうを見つめる。

「弁慶は知らないかな。僕たちのいたところではね、信号っていうものがあるんだ。人やくるまがぶつからないようにするための合図。赤と青と黄色。」

視界一杯の花びらのせいで、少年の声はまるで頭に直接響いてきているように思えた。赤は止まれ。青は進め。静寂のざわめきが続きを促す。

「赤は止まれ。青は進め。黄色は」

風が止む。花びら達は舞うのを止めてただ地へ落ちるだけとなった。青い地面のざわめきも息を呑み、彼の言葉を待つ。

「危険。」

気付けば、少年は弁慶の目の前に迫っていた。一瞬目を見開くも、呼吸を持ってそれを制し、瞬きに変える。胸よりも下、腹部のから感じる視線。降ってくる花びらに頭から巻かれた少年はにこりともせず、しかししっかりと弁慶を見つめている。睨み付けているようだと、弁慶はやはり他人事のように思った。

「赤を見たら止まりなさい。青を見たら進みなさい。黄色を見たら、危険だと思いなさい。」

赤は止まれ。青は進め。黄色は危険。

「これはね、人がくるまにぶつからないようにするための合図なんだけど、人が人にぶつからないようにするための合図でもあるんだ。」

少年はやはり歌うように続けた。

「赤を見たら止まりなさい。彼と向き合わないといけないから。青を見たら進みなさい。彼らを追い掛けないといけないから。」

ふと脳裏に浮かぶ、勝ち気な赤髪と深い悲しみと強い意思を宿した群青。何故だかわからないが、少年の言葉もそれらを指しているに違いないという確信があった。ぶつからないように、弁慶は口の中だけで呟く。確かに神子は赤と向き合い、橙色や緑紫と並んで、青を追い掛けていた。諍いがなかったとは言わないが、誰ともぶつかっては、決定的な仲違いはしていない。そしてそこに入っていない色は。

「黄色。私と、リズヴァーン先生。二人が……黄色」

瞠目する自分の姿が少年の瞳に映る。目の中で私を支配した少年が、姿に似付かわしくない低く艶やかな声で呟く。

「そう、黄色。黄色は、危険。」

死近距離から言葉が突き刺された瞬間、またぶわりと風が吹き込み、先程よりも深く花弁をすくい上げた。背中をぐいと押し、貴様の左右の腕をもいで行かんと、叫んでいるような激しい風。びゅうびゅうと唸る声が聴覚を塞いでいった。あまりの強さに目を瞑り、足に力を入れて地面へ縫い付ける。そうしていないとそのまま東の空へと吹き飛ばされてしまいそうだった。ぐ、と押された右足に更に力を入れて、そこでようやく、自分の目の前に少年がいたことを思い出した。あの小さな身体では、いくら自分が盾になったところで、彼が作った花弁もろとも押し流されてしまう。もしかしたら、もうとっくに散ってしまっているのではないだろうか。姿を確認しようと目を薄く開く。少しずつ見えてくる花弁の舞、呼応して少しずつ弱くなってくる風の金切り声。

完全に開けた視界の真ん中では、少年がぺたりと地面に、最初とまったく同じ体勢で座っていた。強い風が何度も吹いたにも関わらず、その周りに広がる無惨な茎、傍らにそびえ立つ屍の山まで、弁慶が木の影から姿を現したあの瞬間とまったく同じ状態に巻き戻されている。しかし、明らかにまったく同じではない点がひとつ。辺りに散乱した花弁がすべて、朝日を透過したような鮮やかな金色になっているのだ。見渡す限り一面の黄色。そして弁慶はもうひとつの違いに気付く。摘まれたはずの花に花弁がついているのだ。花弁の山は依然うず高く、茎も打ち棄てられているのに。首をもがれたはずの草に花がついている。それにより、さきほどとは違い、辺り一面に黄色が広がっている。背筋が凍るような黄色に、耳ではなく今度は目から感じた。少年は手を伸ばし、ひとつ花を摘む。黄色は危険。黄色は危険。危険、男は考える。赤と青を塗り潰した黄色。直進と停止を塗り潰した危険。危険だと、彼はそれしか言わなかった。危険だから向き合えとも、追い掛けろとも、逃げろとも。危険だと言いながら、いまもこうしてその黄色を纏い続けている。つまり。

「危険だということが分かるだけで、危険だから止まれば良いのか、危険だから進めば良いのかは、分からないのですね」

赤は止まれ。青は進め。再開された花占いは何も応えない。少しの間のあと、弁慶は試しに一歩近付いて見た。ざくり、黄色が踏み躙られても少年が顔を上げることはない。赤は止まれ。青は進め。言いたい言葉は、全て言い切ったのだろうか。名前くん、名前を呼ぶ。やはり顔が上げられることはなかったが、言葉を聞いている気配はなんとなく感じられた。どうやら言いたいことを言わせる、という条件は果たしたようだが、こちらの言葉に応えてくれているとは思えない。赤は止まれ。青は進め。まだなにか足りないのか、緑の声を思い出す。
名前先輩には前からそういう所があったんです。こちらに着てから、少し、子供になってしまっただけで。
子供に、なってしまっただけで。

「行きませんか、名前。」
ぷちり、花弁を摘み取り続けていた指が、止まった。一面の黄色も、合唱を止める。正解だ。弁慶は思ったが、もちろん顔に出すようなヘマをすることはなかった。

「うん」

少年が再び立ち上がる。足元に打ち棄てられた花には花弁が二枚残っていた。風がまた花びら達を押し上げ、無惨に切り口を晒す子供を置き去りにして、空へ舞っていく。少年が足を踏み出す前に、弁慶は踵を返した。花占いの残響がその背中を追う。赤は止まれ。青は進め。赤、青。赤、青。赤、青、黄色。


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