「邪魔なのだよ」
「腕くらい良いじゃねえかよ」

机に突っ伏した状態で、緑間の机へとはみ出していた腕が軽く押し返され、うつ伏せの顔が横から圧迫される。緑間は俺の隣、自分の席に座り、前の授業で俺のために机と机の間に挟まれることになった英語の教科書を回収した。くっついたままの机を特に咎めるでもなく、そのまま床に置いた鞄から弁当と別の教科書を取り出したようだ。その姿はまるで彼がこの三年間ずっと勉強ばかりしていたのではないかと錯覚してしまうほどに自然で、唯一不自然なぴんと綺麗に伸ばされた背筋だけが、彼の青春の名残を見せつける。とはいっても、俺は教室にいる緑間か、精々体育の授業でボールを投げる緑間しか知らないので、ただの不自然にしか見えないのだけれど。テーピングのなくなった指は気持ち悪いと誰かがいっていたが、それだってむしろ自然に近付いたように思えるのだ。
彼が教員室から戻ってきたことにより、教室の喧騒が蹴散らされてしまったような気がして、俺は未だ少し彼の領域を侵食している腕に顔を押し付ける。その下に隠す紙から目を逸らして。緑間もわかっていて完全には押し戻さなかったのだろう、最終進路表はしわひとつなく、腕の中に息づいている。

「もう提出期限はとっくに過ぎているぞ」

知ってるよ、そんなの。降ってくる声に心の中で返す。
夏前に出した進路表、それから変更がある生徒のみ、提出することが求められる最終進路表。進路表を提出していない俺は白紙から志望校を変更することを求められ、担任からこの忌々しい白い紙を手渡された。1ヶ月前のその日からずっと、この紙は白いままだ。何を躊躇っているのかと両親に言われ、悩みがあるなら相談しろと担任に言われ、取り敢えず提出してしまえと予備校の先生に言われ、どうしたら良いのかと、どうしようもないのだと、自分に言い聞かせて。最終進路表、第一志望、第二志望、第三志望、空白空白空白、大学大学大学、クラス、出席番号、氏名。連なった文字が揺れる。

「自分では分かっているのだろう。そこに表明する勇気がないだけだ」

緑間はそう言って、なんでもないことのように教科書を捲った。緑間は確か、有名大学の医学部志望だと、風の噂で聞いた。厳しいことで良く知られている予備校に部活引退と同時に、つまりかなり遅くに入ったにも関わらず、勉強面では遅れることなく好成績を納めているらしい。秀徳のような進学校では珍しいタイプだ。

「そうだよ、勇気がないんだ。押し進む勇気も、諦める勇気さえもね」

だからこそ、彼にとっては俺のような人間の悩みなんて、取るに足らないことなのだろう。なんとなく秀徳に入れてしまって、強豪でもないそこそこ楽な部活に入りながら取り敢えず予備校に通っている俺の気持ちなんか、日々目標を持って努力している緑間にわかるはずもない。この、努力以前の、どうしようもないもどかしさを分かる訳が、

「立ち上がり、努力し、挑む。それは、結局は自分の為にしか出来ないのだよ。」

静かに、まるで意図せず蛇口から水が一滴だけ漏れてしまったかのように、緑間はそう言った。言葉はゆっくりと俺に向かって沈んできた。どうするのが正しいのか、どうしたら良かったのか、どこに向かえば良いのかもわからなくて、自分のせいでもあるしそうとは言い切れないのだけれど、動きたくても動けない。緑間は知っているのだ。この感覚を。惰性的な努力を。もどかしさを。腕の隙間から緑間を見上げるが、いつも通り、彼と視線が絡むことはない。いつだって前を向いている緑間の視線。もうその先にゴールネットはないはずなのに、彼の目はまだ、放課後のチャイムが鳴ると同時に教室から出ていっていたあの頃と同じ鋭さを持っていた。

「勇気以前に、お前の力では無理かも知れないがな」
「そこはほっとけ」

はあ、白に向かってため息を吹き掛ける。俺の思いもこの紙も、どちらも塵芥のように散ってはくれない。帰って親と話せば、呼び出されて先生と話せば、きっとまた覆されてしまうような弱い意思だけれど、いまはこの曲がった背中を押されてしまっても良いだろうか。動けなくても動くしかないのだと、俺の隣にいながらも、俺よりも戦い慣れた、彼が言うのなら。
もしもここから動くことが出来たその時は、君の話でも聞かせて貰おう。


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