「むーらさきー!今日部活行かないんでしょ?一緒にかえろう!」

隣の教室に入り、一番後ろの席に座ってぼーっとしている紫原の大きな背中にのしかかる。首に腕を回してみるが、もちろんびくともしない。彼にしてみれば、この年になっても159cmしかないおれなんか小学生みたいなものだろう。あまりの身長の違いに、おれはこうして座っているときの紫原としか目を合わせられない。顔を見てしゃべっていたら次の日には、きっと文字通りの意味で首が回らなくなるに違いない。そのまま腕に力をこめておけば、気だるげに立ち上がったその背中にさえおれの足は地面を離れ、やすやすと持ち上げられてしまう。

「室ちんが言ってたの?」
「そうだよ」
「いつ?」
「さっき。6限で移動したときに室さんに会って、そのとき言われた」
「じゃあいいや、かえろー」

むらさきが机の上に置いていた小さな鞄をとるのと同時に腕を離し、木の地面に着地。我ながら、いまの着地はなかなかきれいに決まった。空の弁当箱とお菓子だけが入った大きな鞄をとり、顔見知りのクラスメイトたちに適当に声をかける。この小ささはいつもおれを苦しめるけれど、スキンシップをごまかすときだけは少し役に立つのだ。教室を出て、おれは駆け足で大男のあとを追う。体育館に向かう生徒の群れなんか、見ないふりをして。

紫原のバスケは圧倒的に破壊的だ。あの体育館のなかで初めて紫原がバスケをしているところをみたとき、そのあまりの大きさに目が離せなくなった。いま思えば、彼が積極的に練習に参加していたことに驚くべきだったけど、とにかく、なぜあの空間に自分がいるのか、そんなことも忘れてしまうくらいに彼の存在は大きかった。どんどん蹴散らされていくプレイヤーと、無表情の紫原。大きな身体、長い手足、物理的な力の差。つまらなそうなため息と、蔑むような視線。見ていて胸糞悪くなるくらい、スカッとしたプレイだ。その日以降、おれは紫原と仲良くなり、そして体育館に行かなくなった。


「名前ちんの手、かたいね」

バスから降りて歩きながら、鞄に忍ばせておいたポテトチップスを二人で食べる。不意に袋の入り口で当たった、骨ばっていて異様に長い指は、おれの手のひらや指の付け根を押してそういった。

「むらさきの手は、つよいね」

おれを壊す手。コートを壊す手。勝利を掴み、握りつぶす手。もう得点板の前でマットを押し上げることも跳馬の台を掴むこともない、ただ硬さだけが残ったおれの手とは、大違いだ。
けれど紫原は、そんなおれの手をみて、表情をゆるめる。弱者としてこんなに潔いやつはいない、と。

「俺、名前ちんの手すきだな。名前ちんのすきなとこっていっぱいあるけど、この手が一番名前ちんっぽくて、すき」

おおきな手が、ちいさな手を握る。彼の言うムダな努力を忘れたこの手を、紫原はけして握りつぶしたりはしない。通り抜ける風が、紫と茶を揺らした。

彼は知っているのだろうか。おれはあの日見た紫原の持つ圧倒的な勝利にあこがれて、紫原と一緒にいたら、もしかしたらなにかの間違いでおれにも勝利が舞い込んでくるんじゃないかと、そんな錯覚の中で彼のとなりにいるということを。諦めながらも飽き足らずに、たまに思いついたように父のジムに行って、あの硬いマットの上で宙を舞っていることを。
紫原に掴まれた手に視線を落とすが、すっぽりと覆われてしまったそれは全く見えない。
それでも、紫原を否定することのできないおれは、たぶん本当の弱者だ。

「だからこうやって、握りたくなっちゃうんだよね」

だから彼は、おれの手を自分に繋ぐでもなく、力任せに握りつぶすでもなく、ただ覆うように握るのかも知れない。


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