「愛してる、ってさ、なんて素晴らしい言葉なんだろう!」
臨也はしなやかな両腕をいっぱいに広げ、鬱蒼とした長雨を引き上げた天を賛美するかように感嘆を漏らす。
「誰が誰にでも簡単に言うことが出来るのにこんなにも貴い言葉は他にはないよ、ねえ」
問い掛けられた少年は長いソファーの上で寝転がり、気だるそうに青年を見上げた。この部屋で青年が実際に見上げているのは天ではなくただのLED蛍光灯なのだが、一般的なそれよりも高価な光に照らされて少年もまた晴れた空を見たときのように目を細める。
「それ、バカにしているようにしか聞こえないよ、臨也さん」
くるり、黒いTシャツを着た薄い背中が少年を振り返る。学校指定である群青色の制服のままソファーに沈む少年を見て、男はルビーの瞳を細め薄い唇で弧を描く。それからゆっくりとソファーに近付き、ゆっくりと腰を屈めゆっくりといやに恭しい所作で、床に向かって投げ出されている少年の白い右手を持ち上げた。
「それは君でしょ、名前。君の存在自体が、全ての愛を侮辱し蔑んでいるんだから」
臨也は細い手を赤く見つめて唇を落としたかと思うと、同じ唇で捧げられたパンを噛むかのようにその薄い皮膚を噛み千切る。赤い舌はじわりと滲む赤い血を愛おしそうに舐めながらも、赤い瞳はまるで少年を見下していた。
聖体から血を流す少年は、少しも表情を崩さずに青年を見つめ返す。力の込められる青年の手。
「君にとって愛してるって言葉はさあ、こんにちは、今すぐ死ね、それともなに、別段人間に掛ける言葉でもない訳?」
ぎり、臨也が強く歯を噛み締めれば名前の手に新しい血が滲んだ。少し腰を曲げ左手をズボンのポケットに突っ込んだままの状態で舌を這わせる青年を見上げて、名前は子供のわがままに付き合う母親の溜息を漏らす。つ、視線が磨かれたフローリングと青年の白い裸足のちょうど境目に移された。
「…言いたいことははっきり言ったらどうですか、折原さん」
溜め息混じりの声を聞き、臨也は苛立ちを隠しもせず、右手で掴んでいる名前の手をそのままに、隠していた左腕をナイフと共に少年の白い首筋に突き付ける。ぐっと近くなった視線、冷ややかに見える赤と、冷たい黒。
「次に池袋に行ったら、ただじゃおかないよ」
「不公平ですよ。折原さんは静雄に会いに行くのに、僕が会いに行くのはダメだなんて」
名前はソファーに埋もれたまま小さく笑い、臨也がそれ以上刃を進めないことを確認してから、自由な左手を使って凶器を持つ彼の左手を軽く押し退けた。押されたままに大人しくナイフを投げ捨てた臨也は、空いた左手で今度は少年の後頭部を掴み、赤く濡れた左首筋に顔を寄せる。ぱさり、青年の黒髪がソファーと触れ合い、乾いた音を立てた。同じシャンプーのはずなのに全く違う香りだ、少年は思う。それが悲しくもあり、またどこか嬉しくもあった。
「それと違うよ、臨也」
首筋を濡れた何かが這っていく感覚に目を細めながら、名前がボーイソプラノを漏らす。気付いた青年が顔を上げると、今度は臨也の首筋に少年の腕が触れ、そのまま白い首筋に絡み付いた。青年の頬を掠める、少年の薄く笑う吐息。
「僕にとって愛してるって言葉は、気持ちを伝える言葉でも、相手に呼び掛ける声でも、まして意味のない羅列なんかでもない」
赤と赤が触れる瞬間、消える呼吸に隠すように、少年は無機質な真実を吐き捨てる。
「僕の、名前とおんなじさ」
生れ愛