その日、折原臨也は自室で比較的真面目に仕事と趣味をこなした後、午後になってから身一つで新宿のマンションを出た。

ケータイでチャットルームを見物しながら向かった先は、そう遠くない新宿駅。東口のアルタ前、池袋や渋谷とはまた少し違った意味でガラの良くない若者達が多く集まっている広場を通り、汚れたガードレールに寄り掛かる。さほど込み合っていない平日午後の新宿で、春先にもかかわらず真っ黒のコートを纏う青年は十二分に目立っていたが、周りの若者も青年自身も別段気にしてはいなかった。

平らなスマートフォンの画面を何回か叩いた後、黒いそれをコートのポケットに押し込み、同じ手で同じ黒の二つ折りのケータイを取り出す。電車の音と同じ頻度で人集りを吐き出す駅の前で、青年が二台目のケータイを取り出してから丁度五分後、吐き出された集団の中に目当ての顔を見付けて、青年は静かに口角を上げた。
集団がいくつかに分かれ、その内の1つが青年のいる広場の端に近付いてくる。ぱちん、軽い音を立てて半分の長さになった機械を手に持ち、赤い瞳を黒い髪で覆わせたまま、集団が自分の前を通過する瞬間に青年は声を発した。

「ねえ」

良く通る短い声が雑踏を切り裂いたが集団は足を止めない。しかしその中の一人が僅かに視線を寄越した音を青年は聞き逃さなかった。集団が自分の前からいなくなる瞬間に今度は顔を上げ赤い瞳に一人だけを映したまま、青年はその一人に声を掛ける。

「名字名前くん、だよね」

かつり、集団の進む不規則な足音は止まない。同じスピードで先を急ぐ、聞こえないふりをして通り過ぎていく人、人、人。


「ええ、そうですよ、おにいさん」

しかし集団は青年の呼び掛け通り、彼の目の前に1人の少年を吐き出していた。
足を止め、ガードレールに腰掛けた臨也を見上げる濃い茶色の髪、指定のネクタイを失った群青色のブレザー、真新しい革靴。それらを上から下まで見て臨也は彼の瞳に視線を移し、その黒を見つめたまま口を動かす。

「名字名前、仙昂大学附属仙昂中学校3年A組出席番号13番、誕生日は7月1日、身長158p、体重47s、血液型はAB型。仙附には中学受験で入学し成績は順位が開示されない為不明。部活は合唱部、パートは男声部のソプラノだが男声部合宿には1年当時から参加していない。その他素行、成績、友人関係すべて問題なし。エリートの中のエリート、非の打ち所もないね。完璧だ」

淡々と紡がれる個人情報を、名字名前は赤い瞳から目を逸らすどころか目を一瞬見開くことすらせずに、まるで小鳥の囀りを聞き流すように聞いていた。しかし臨也が暴力のような言葉を発するのを止めた瞬間、少年はいかにも驚いたといった表情を浮かべる。その様子を見て苛立たしそうにあるいは愛おしむように、青年は瞳を細めた。

「良く調べましたね」
「馬鹿にしてるの?辛うじて分かったのはその学生鞄のブランドとローファーの値段、あとは毎日学校の帰りに新宿東口方面か渋谷道玄坂方面それか池袋の60階通り、どこかに行くってことくらい。君が何処に住んでいるのかすら分からなかった。この俺がだよ?」

にこり、少年が笑う。

「詰めが甘かったんじゃないですか、情報屋の折原臨也さん」

一瞬だけ男の動きが止まる。しかし瞬きでそれを誤魔化し、男は口元だけでまた笑みを作った。

「……おかしいなあ、君のことを調べさせた奴等には違う名前を名乗ってたはずなんだけど」

「ご自分で仰ったじゃないですか、僕は学校帰りに池袋の60階通りに行くことがあるって。何回か池袋に足を運んでいれば、貴方のことを見掛ける機会もありますよ」

鋭く赤い視線に動じる様子もなく、少年は幼さを残す顔立ちに笑みを浮かべ続ける。君、一体何者なの。臨也の愚問とも言える小さな呟きを掻き消すように、名前と呼ばれた少年はその柔らかいボーイソプラノで、黒と赤の青年の名を紡ぐ。

「ねえ折原さん」

見上げる黒、見下ろす赤。

「貴方は人間を愛している、そう聞いたことがありますが」

端からみたらあまりにも突拍子もない質問だろう。けれどそんな宗教じみた響きに躊躇いなく、寧ろいささか嬉しそうに、臨也は応える。

「勿論、俺は人間を愛しているよ愛して愛して愛して、もうどうしたら良いんだろうってくらいにね」

それを聞いて、にこり、少年はそれは綺麗に、人畜無害を体現したような顔で笑った。

「じゃあ、」

臨也がその笑みに一瞬動きを奪われている間に、少年の華奢な膝が青年の足を掠め、細い指がケータイに触れる。唐突に唇が触れてしまいそうなくらいに距離を詰めた少年は、臨也が一瞬以上の同様を見せないことを認めた後で、官能的な距離のなか、ただただやわらかく、それ以外の表情など知らないというように、微笑む。

「僕のことも愛してくれるんでしょ?」


鳴れ会い

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