呑み込む宇宙



くじびきで決まったとはいえ不満のある席に座ると大きな身体が視界を覆う。授業中に暇をもて余したギルベルトは少し考えた後にその背中に文字を書きだした。指を服の上に滑らせ、なぞっていく。

「なんて書いてるの」

 イヴァンにドイツ語はあまり通じない。全部僕の国の領土になれば習う必要ないのに、なんて言っては母国語以外の言語への興味は全くないくらいだ。それでも英語は必修になっているため仕方なく習得したらしく、普段彼と話すときの共通言語となっている。

「返事書いた」

「えっ、なんの……もしかして朝の?えっと…Jと…んぐぐ」

 慌てて口をおさえて黙らせる。文を口にされたらわかるやつにはわかってしまうだろう。授業中にガタガタと騒がしく音を立てたので教師がジロリとこちらを睨んだ。軽く謝り、自分の席へと大人しく座りなおすとイヴァンも何も言わずに前に向きなおった。

 それからは黙ってノートをとり、終了の合図が終わるのを待った。本当は逃げたい気持ちもあったけれどなんとか思いとどまった。

 授業が終わると、途端に勢いよくイヴァンが振り返る。その勢いに一歩ひくと更にずいっと距離を近づけられた。

「それじゃ僕達ってつまりそういうことになるんだよね?」

「そうかもな」

 興奮ぎみに手を掴まれてぶんぶんと上下に振られた。そんなに嬉しいもんなのか。悪い気はしなかった。



事の始まりは朝、イヴァンの妹が俺に掴みかかってきた事件だ。なにがなんだかわからないうちに投げ飛ばされて、首を絞めあげられた。横では妹を追いかけてきたイヴァンがあたふたと止めに入ろうとしていて、そんな様子がなんだか笑えてきて兄妹揃って首絞めるの好きだなとか言って茶化したところまでは覚えている。次に目が覚めたときはベッドの上に横になっていた。

「兄さんとこいつは付き合っているのですか!」

「ち、違うよ。まだだよ!僕が一方的に好きなだけで」

「…は?」

 あのときは思わず声が出ていた。驚きすぎて思考が停止した。

「あっ、あっ、ギルベルトくん…今のは聞かなかったことにして!」

わああああとイヴァンは耳まで真っ赤にしながら逃げていく。妹も後を追っていったので、その場に一人きりで残されたのだった。



 「もしかしたら、もう友達に戻れないのかなって思ってたからすごく嬉しいよ」
「もう友達に戻りたくなったか?」

 笑って言うと背中をペチンと叩かれた。

「もう!……むしろ友達にはもう戻りたくないかな」

 ずっと一緒がいい、と小さく呟いて抱きついてくるイヴァンの髪をふわふわと撫でてやる。ただ撫でるだけで嬉しそうにするのでこちらも扱いやすい。

「単純なやつだな」

「え、なあに?」

「なんでもねぇ」

 べりっとイヴァンを自分からひきはがして立ち上がると名残惜しそうにされてしまう。気にせず荷物を手早くまとめるとそろそろ帰るからと言って部屋を出ていこうとした。が、袖を引っ張られる感覚がする。下を見るとしょんぼりしたイヴァンが見えた。

「いつもみたいに泊まっていかないの」
「違うだろいつもとは」

「え?あ、僕はそんなつもりじゃ」

「わかってる。けど今日俺が意識しないで過ごせる気しねーから」

「…確かに僕も意識しちゃう、かも」

 ぽぽぽっと顔が赤くなっている。それを指摘するとギルベルトのほうが先だったと言うので顔に手を当てると確かに熱かった。なんで二人して赤くなってるんだ。いたたまれなくなってギルベルトはイヴァンの手を振り払うと慌ただしく出ていった。



 弁当箱を広げてつついていると屋上の扉が開く音が響いた。顔をあげるとイヴァンが花が咲いたように笑って駆け寄ってくる。大きな身体を丸めて隣に座るとクリームパンを食べだしたのでギルベルトは視線を弁当箱に戻して無言でブルストを口に運ぶ。しきりにこちらを窺うので何だと問えばイヴァンはぽつりぽつりと話を始めた。
 自分から構ってくるくせに、イヴァンから構うと逃げること。嫌われていると思っていたこと、だから今の状況は起きたら覚める夢のようだと。

「そりゃ、怖えーし逃げるっての。お前が寄ってくると物理的に潰されそうなんだよ」

えー、と不満そうなイヴァンの鼻をきゅっとつまんだ。白にじんわりと朱が交わるのを見て満足すると手を離してやった。

「本当に嫌いだったら話しかけすらしねーよ。菊が言ってたほらあれだあれ」

「うーんと、嫌よ嫌よも好きのうちってやつかな?」

「それだ」

 パチンと指を鳴らす。菊というのは理系の授業を選択するとよく会う友人のことである。優秀な人物だが言語は不得意らしく、過去に同じ言語の授業を選択していた際は手助けしていたこともあった。イヴァンは天文学の授業で知り合ったらしい。
「でもやっぱりまだ信じられないかも」

 ふぅ、と空になった袋を小さく折り畳むイヴァンを見ながらギルベルトは小さな悪戯を思いついた。

「じゃあ、これなら信じるか」

 そういってイヴァンの胸ぐらをつかんで顔を近づける。

 感想。クリームは甘かった。



 暗闇の中でぽつりと明るく光る星を見上げる。この地域じゃ、満点の星空など見られない。明るく照らされた道に悪態をついた。

 空を眺めているとふと、イヴァンが故郷の星空を懐かしがっていたことを思い出した。近いうちにプラネタリウムに連れていってやるのもいいかもしれない。宇宙や天体や星座などを研究するのが好きなやつだから嫌がりはしないだろう。本物の星空を見に行きたいと駄々をこねるかもしれないけれど。
「ギルベルトくん!ごめんね、授業が長引いちゃってたんだ」

「別に構わねーよ」

 息をあげながらイヴァンが現れる。走ってきたのだろう、上気した頬にそう暑くもないのに汗をかいている。鞄に常備してあるタオルを差し出してやるとありがとう、と受けとった。しかし、強く擦りすぎたために白い肌には赤みがさしてしまっていた。なにやってんだ、と怒鳴って止め、ギルベルトが代わりに拭うことにした。

「力加減考えろよ、肌痛くなるだろ」

 ポンポンと優しくタオルで拭いてやって鞄に再びしまう。

「僕、痛みには強いから平気」

 そんなことをいうので頬をつまんで思いっきり引っ張ってやる。

「痛いよギルベルトくん」

「ほらな、痛みに強くたって痛いもんは痛いし辛いだろーが」

 涙目になったイヴァンの頭を軽く叩いて、それからイヴァンの手を握った。

「え、え、ギルベルトくんどうしたの」

 握られた手とギルベルトの顔を交互に見る。

「よし、家で手当てしてやるから来い!」

 繋いだまま走り出したギルベルトにイヴァンは混乱しながらついていったのだった。



 家にあがると、ギルベルトの弟がいつも遊びにいくときのように出迎えてくれた。金髪に青い目、落ち着いた雰囲気。彼とは正反対である。ギルベルトは自分の部屋にイヴァンを押し込んでからバタバタとかけていった。別に手当てなんていいのに。そう呟きながら部屋を眺める。付き合ってからは初めてだ。いつもとは違って見えて変に緊張したがギルベルトにそんな気はいっさいないだろう。部屋は彼の性格からは想像もつかないほど綺麗に整理整頓されている。

「待たせたな!これ当てときゃ少しはよくなるぜ」

 扉が開いて氷とタオルを抱えたギルベルトが飛び込んできた。悪化させたのは君のせいだとか色々言いたいことはあったが大人しく受けとることにする。

 氷を用意しただけで特にそれ以上手当てをする気はないらしい。やはりただついでに家に呼びたかっただけか、と一人で勝手に納得した。

「ところでイヴァン。今月空いてる日あるか」

 手帳を机の引き出しから取り出して見せられる。ほとんど空欄なそれを見て彼の交友関係が心配になったが、まだ入れていないだけだと強がられた。

「今月は明日しか空いてないかな」

「そうか…明日じゃ急すぎるよな」

「何の用事なの」

あー、と歯切れの悪い返事。答えを急かすとプラネタリウムだという答えが返ってくる。

「いいね、それじゃあ明日行こうか」

「え、明日でいいのか?ダンケ」

 少し驚いた後に、手帳の空欄に予定を書き込む。プラネタリウムと書き込んだ後に遊園地と続けている。

「終わったらついでにすぐ近くの遊園地で遊んでいかね?」

 書き込みながらギルベルトが聞いてくる。

「もう行く気満々でしょ。僕が行かなくても遊んでいくつもりのくせに。一人じゃ可哀想だから付き合ってあげるよ」

 少し意地悪を言ったら叩かれた。それでも待ち合わせの時間を相談したり帰る支度をしているうちに機嫌をなおしたようだった。

「それじゃ、また明日」

 帰り際、見送るために外に出ていたギルベルトに屈んで近づくと、そっと触れる。当たるか当たらないか。そのくらい軽く。

「おま、こんなとこで」

「中にはルートくんがいるから、こっちのほうがいいでしょ」

 誰も見てないからいいよね、というと真っ赤な顔で怒られる。俺は場所を考えてるとかそんな簡単にホイホイするなだとか。

そんな言葉は軽く聞き流してイヴァンはギルベルトの家を後にした。



 朝早くに最寄りの駅に向かうと珍しいことにイヴァンがギルベルトより先に着いて待っていた。声をかけてこちらの居場所を知らせるとくるりと振り向いて手を振ってくる。こちらも手を振り返してやると嬉しそうに笑った。

「遅刻しないようにって思ったら早くつきすぎちゃった」

「ぷっ・・・俺様との約束がそんなに楽しみだったか」

「うん、楽しみだった」

「…そ、そうかよ」

 からかうつもりで言った言葉に素直に返されてしまう。しかもその返事がほんの少し嬉しかったりして思わず顔がにやけてしまいそうだ。イヴァンにそれを悟られないように慌てて背を向けるとさっさと駅のホームに向かった。


うん、随分大人しくしてるなとは思ったんだ。隣で五月蠅く騒がれても迷惑なだけなんだけどいくらなんでもこれはないよ。作り物の星を見上げながら肩にずしりとした重さを感じている。

「重いから起きてよ」

「ん、悪い」

ふぁ…とあくびをしながら起き上がる。

「ちゃんと見てた?」

「見てた見てた。最後の十分くらいは寝てたけどな」

あまり反省していない姿に怒る気にもなれない。無言で立ち上がると僕は外に出た。外は雨が降っていた。これでは遊園地は中止だろう。追いかけてきたギルベルトくんも空を見上げて残念そうな顔をする。

「雨降ってきたし帰ろうか」

「そうだな」

ぱっと傘を広げてイヴァンのほうに傾けてくる。意外と準備がいい。自分は持っていなかったので大人しく入ることにした。雨が当たってリズムを刻んだ。彼の代わりに持ち手を掴んで彼の左手に指を絡ませる。たいして抵抗はされなかった。

「気持ち悪いからやめろ」

長い睫に雫がのっている。指でとろうとするとむず痒そうに身を捩った。

「なんだよ」

目を瞑ったので流れて落ちる。涙みたいだ。まわりの雨に混じってとける。時折側を通る車の音が雨音を打ち消していた。

「今日、家に泊まる?」

暗にそういう誘いを仄めかしている。繋がった指から緊張が伝わった。

「行く」

指の先からぽたりと雫が落ちた。

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