勝手にいつまでも一緒だと思い込んでいた俺に、一つ打撃が加わった。
『私地方の高校に行こうと思うの』
そう言ったのはもう一週間も前だった気がする。俺は気の利いた言葉を一切返さずに、漏れ出たふうん、を溢しただけだった。
赤ん坊の頃から俺となまえは親同士の付き合いで良く会っていた。一緒に飯を食ったりもしたし、保育園までは風呂にも一緒に入ってた。泊まりだってしたし、小学三年くらいまでは一緒にずっと昼寝もしていた。身近すぎて扱いが雑になっても全く気にする相手じゃなかったし、なまえもそういう様に俺を扱ってた。俺はそれが心地好くて、女として見たことがある。俺はなまえが好きだった。
なまえのことは良く分からない。俺のことをどんな風に思ってるのかも知らねえし、他の奴のことも、親しい男も知らない。一つ分かったことは地方に行っても平気なくらいあいつは身軽だったってことだけだ。
『家の実家が庭師でさ、今はおじいちゃんがやってるんだけど、お父さんは婿入りしたのに恋愛結婚だから家継げなくて、私が継ぐことになるんだって』
軽く呟いて他人事のように遠くを見ていたなまえが俺を盗み見る。
『別に庭師になれる婿見付けてくれば私が継がなくても良いんだけどさ。』
何かを言いた気な口は一直線に結ばれていて俺は一言も声を出すことが出来なかった。
『まあ、庭いじるの、好きだから辛くないけどね』
最後に笑った顔が強がりだと分かるのも、一緒に居た時間が長いせいなのに、俺達は別々になるのかと悟った。
『私地方の高校に行こうと思うの』
その時多分俺の肺が一気に縮こまって、だからふうんなんて空気の抜けたような言葉しか出なかったんだ。それ以外に何を言えば良かったかなんて他にいくらでもある。頑張れよとか、お前が家事出来るのかよとか、変な男に引っ掛かるなよとか、いくらでも言えた。自分の気持ちだって言ってしまえた。
「…バッカじゃねぇのか……」
いつもさつきにアホアホ言われてるが、今だけは同感だった。バカじゃないのか、離れていっていつかなまえは彼氏でも婿でもなんでも家のやつに見せにくる。ついでになんて、俺にも見せに来るのか。
「最悪じゃねえかよ」
『うん、最悪』
「は、」
『最悪だよ、弱音吐いてる青峰なんて』
笑って覗き込んでくるなまえに少しだけ目を見開く。確かはやく地方に慣れたいからとか言って卒業後すぐに行くんじゃ無かったのか。昨日終わってしまった中学生という肩書きを悲しんだんじゃ無かったのか。
『ちょっとね、忘れ物しちゃってさ』
「……」
『今日の15時にはあっちに行っちゃうよ』
「そうかよ」
今諦めたことを思い返す。こういうとき、どうすれば良いんだ。俺は言うべきなのかどうなのか。全く分からなくて素っ気ない返事しか出てこない。
『青峰は、』
「…んだよ」
『私が居なくても平気だね』
「あ?」
逸らしてた目から落ちる雫を見て固まる俺を、なまえは泣き顔で笑った。バスケ、頑張って。大好きだったよ。とか言い残して走ってった。俺は、怖じ気付いて追えなかった。なまえを泣かせるつもりなんてなかった。なまえも俺が好きだったのに。
***
泣いて来てしまった。家の布団にくるまってぐすぐす泣いても、おじいちゃんは私を後継ぎにするって決めてるし、高校になったらもう会えないんだ。大好きだった青峰にもう会えない。憧れでキラキラ輝いててバスケに純粋だった青峰ももう居ない。
こんなに泣いて目が腫れたら電車に乗るのも気まずくなると思ったのが13時の頃だった。支度は大体終わってるけど、今の顔と髪じゃ到底出れそうもなくて、とりあえず顔を洗った。鏡に映る私の目が若干死んでいて、失恋したと物語っている。青峰の薄情者め。
目を冷やし続けて二十分。あと三十分経ったら駅へ行かなければならない。最後まで見送りに来ないつもりかあいつ。まあ私が来づらくさせたんだけど。
「おい」
『へ?』
コツコツと鳴るガラスが私に場所を示した。一階のガラスが鳴っていた。青峰がガラスにへばりついている。開けろと言った声が私を動かした。
『何、か…用?』
「おう」
『ふうん』
「…悪かった」
『何が?』
「気持ち、気付いてやれなくて」
『…………ははっ』
どこまで私を惨めにさせる気なんだろうこいつは。何でこんなやつに惚れちゃったのか、何で窓を開けちゃったのか、ちょっとだけ、ちょっとだけ期待したのが間違いだった。泣きそうだと思って、拳を目に押し付けた。
「…も好きだ」
『……へ、』
「だから、俺も、好きなんだよ…お前が」
『え?』
思わず引っ込んでしまった涙が視界を良くすると、褐色の肌が紅くなっていた。くそっと苛立ちを隠せなくなった青峰が私を抱き寄せて、耳元で囁く。私の耳朶を振るわせた言葉が、頭の奥を熱くさせた。
「なまえ、好きだ」
キャンセルは無しだから三年間頑張ってね。
どうやって間を縫おうか
END
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