【2】

今日もロマレス学園では二人の男女が注目の的だ。

「だーかーらー!ちょっとだけって言ってるでしょ!」
「ダメです」
「ッあんまりだわ……私はこうでもしないと……禁断症状で倒れてしまうのに……」
「たかが男の尻を触れないくらいで大袈裟です」

といっても、彼等の会話の内容はとことんくだらないものだけど。
学園切ってのお嬢様である小花衣梓を、いつものように無表情で諫めた専属執事、不動楓。
運動部の練習風景を舐め回すように見ていた梓に嫌な予感がして行く手を阻めば、予想通りの応酬が返ってきた。
全く、梓お嬢様は油断も隙もない。楓はそう頭を抱えたくなるが、小花衣家の執事たるもの、そんな醜態は晒せない。

いつにも増して鉄仮面の楓に対し、梓はむっと頬を膨らませた。

「何を言っているのよ楓!お尻だけじゃないわ。上腕二頭筋に大胸筋、腹筋背筋エトセトラ、筋肉なら全部触りたいわ!」

そう、このお嬢様、重度の筋肉フェチである。
そのいきすぎた情熱はとうにボーダーラインを超え、その言動は変態となんら変わりない。
姿形は完全無欠なご令嬢なのに、口を開けばただの変態。こんな破天荒なお嬢様に手を焼く人間は数知れず。
その筆頭が専属執事の楓である。といっても、楓は幼少期から梓と共に過ごしている。
ある時期から梓は筋肉マニアの変態と化し、それを直に見てきたのでこんなことは慣れっこである。
したがって、楓が梓の奇行に対し表情を崩すことはほぼない。
ない、筈なのだが……

「……お嬢様、そんなに触りたいのなら私ので我慢してください」

一歩も引かない梓に痺れを切らし、自分の胸板へと梓の手の平を誘導する。
しかしそれを梓はパシリと払い拒否したのだった。

「楓では、ダメよ」
「……っ」
「私は楓以外の身体を触りたいの」

キッパリと言い放った梓。
その言葉を聞いた楓が、ほんの僅かだけ眉を動かしたのだが……それに気付いた者は誰もいなかった。

◆◇◆

「何故だっ!何故お嬢様は私の身体を触ってくれない!?」

ガン!と机に握り拳を打ち付ける。その音から確実に拳を痛めてるだろうに、楓からは全くそんな様子は見受けられなかった。
楓は数時間前の鉄仮面が嘘のように眉間に深い皺を刻み、苦しそうに己の胸を鷲掴む。
その表情は梓を含め誰も知らない。ここ、梓専属執事室でしか見せないモノだ。

「今日の自然な流れでいけると思ったのにっ!あんなあからさまに拒否られるとはっ!一体私の何がいけないんだ!?」

そう、楓は悲痛な声で叫んで、鏡に映った自分の肉体に目をやる。
するとそこには上半身裸の美しい体躯が。
腹筋は綺麗に割れ、逞しい腕に、決して薄くないが厚すぎない胸板、おまけに白く滑らかな肌───

「はあ……せっかくお嬢様好みの肉体を手に入れたというのに……」

なんとも悲哀に満ちた声。この声だけを聞いたら思わず感情移入して切なくなってしまうだろう。

「どうすればいい……このままじゃお嬢様にぶち犯してもらえない……」

まあ内容で全て台無しなのだが。

鉄仮面堅物執事の裏の顔、それは梓に負けず劣らずの変態である。
いやこちらの方が隠している分タチが悪いだろう。
昼間は完璧な堅物執事を装っているため、誰も楓が自分のお嬢様に『犯されたい願望』があるとは思わない筈だ。

───だが、その時。
楓がどうやったら梓に触ってもらえるか、新しいプランを練ろうとした時だった。

「楓、うるさいわよ。お嬢様が起きたらどうするの」

突如背後から聞こえた声に、ハッとして振り向く。
その先、扉の側で優雅に佇んでいたのは……

「これはこれはマリさん。こんな時間にこんな場所へ何の用ですか?」

そう、梓専属メイドであるマリだ。つい先程まで梓の寝る準備を手伝い、いつものように身体に触りたがる梓をなんとか躱して寝かしつけてきた。
普通そんな変態なお嬢様を持ったら嫌がるだろうが、マリも梓が幼少の頃から面倒を見ているため何をされても(させないが)可愛くて仕方ないといった様子だ。

そんな梓大好きな二人が対峙すれば、勿論───

「あら、何故そんな他人行儀なの?」
「さあ、何のことですか」
「誤魔化さなくていいわ。さっきだってお嬢様への想いの丈を大声で語っていたじゃないの」
「……聞いていたならそうと早く言ってください」

本当趣味の悪い方ですね、と呆れたように言う楓。
ピリついた空気は一瞬だけ、どうやらこの梓大好き使用人達は案外良好な関係らしい。
楓の先程との態度のギャップにクスクスと笑ったマリは、そこで思い出したように口を開いた。

「安心して。あなたの声私以外は聞いてないから」
「そうですか」
「それと……」
「……?」
「最後のセリフは、聞かなかったことにしてあげるわね」
「ッ、」

悪戯っぽくマリの口から放たれた言葉。
それに対し楓は自身の心臓がドキリと音を立てたのを感じた。
最後のセリフ……『お嬢様にぶち犯されたい発言』。
確かにこんなの、雇用主の耳に入ったら速攻クビだろう。

毎回マリに一枚上手をいかれる楓。この人には一生勝てないな、と本能で悟った。

「それで?何をそんなにピリピリしているの?」
「それは……、」

楓は言うべきか迷った。『お嬢様がなかなか触ってくれない』なんて、はたから見れば気持ち悪い悩みだろう。
しかしそこは楓。もうマリさんには自分の本性を知られているし、背に腹は変えられないと開き直って悩みを打ち明けた。

「ふーん……梓お嬢様にいつになっても身体を触ってもらえないねぇ」

と、マリは自分から聞いておきながら、既にわかりきった楓の胸中を復唱した。
楓の顔を見ると、まるで何が何だかわかっていないような戸惑った表情をしている。

それもそうだろう。
マリから見ても楓は梓好みの完璧な肉体をしていた。
ゴツすぎず、しなやかな筋肉は梓が最も好物とするものだ。
実際楓が訓練中上半身裸でいる時など、梓は隠れて食い入るように見ている。
隠れて、といっても最早ガン見の遥か上をいくぐらい両眼を見開いてロックオンしているので楓にはバレバレだ。
だから楓は見られてることに快感を感じより一層訓練に励むのだが───。

全く触れようとはしない梓。
他の肉体美を誇る使用人には平気で手を出すのに(毎回阻止されるが)、一番近い距離にいる一等好きな身体には一向に触れる素振りがない。

そして、マリは先日の湯浴みの時の会話で、梓が楓に触ろうとしない理由を知っている。
これを教えてあげれば、楓のことだ、天にも昇る思いで喜ぶだろう。
だが───。

「(そんな簡単に教えたんじゃ、面白くないわよね)」

そう、この桜木マリという女───

「お嬢様が楓を触ろうとしない理由、ね」
「……はい」
「もしかしたら、もうお嬢様の好みの筋肉は楓じゃないのかもね」
「ッ!?」
「人の好みは変わりやすいというでしょう。きっと、しなやかな筋肉じゃ物足りなくなったんだわ。おそらく今ご執心なのは……ゴリマッチョよ」
「ご、ゴリマッチョ……!?」

なかなかのドSである。


to be continued?



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