■懇願
「…気がついたか?」
目を覚ましても、あおいはなんだか焦点が定まらないような、そんな表情をしていた。
「し、ら、がみ、さま…?」
「は?」
薄暗い小屋の中での傷の手当てに邪魔だから、今は白髪のかつらを取っていて衣装こそおかしいが、工藤新一そのもの。
なのに死羅神様とか言ってきた。
…寝ぼけてんのか?
「助けて、ください、死羅神様」
「…今手当てしてっから、」
間違いなく、寝ぼけてんなコイツ。
まぁまだバレるわけにはいかねぇしちょうどいいか。
「工藤くんを、助けてください」
「え?」
あおいが俺を見て言う。
「死羅神様。工藤くんが、…あの工藤くんはっ、」
−か、快斗くん!?−
−快斗くん時間は?−
フッと、あの時のあおいが頭を過ぎった。
「新一!」
「…え?」
「他の男の名前を呼ぶくらいなら、俺の名前を呼べ」
過ぎったと思ったら、そう口走っていた。
俺の視線に、漆黒の瞳を泳がせるあおい。
「な、名前で呼べ、なんて、だって、」
「………呼びたくねーならいいけど」
クロバの名前は呼ぶくせに…!
思い出したら腹立ってきた。
その時、
「名前…。工藤くん、の…」
あおいが呟いた。
「…し、…しん、ちゃん…?」
一気に肩の力が抜けた気がした。
「なんでそこチョイスなんだよ!普通に新一でいいだろ!?」
「………新ちゃんは、…だめ?」
…この女はズルイ。
そんな悲しそうな顔でダメかって聞かれて、ダメなんて答えられるわけ、ねぇだろ…。
「…ふ、2人の時、だけだからな」
俺がそう言うと、くすり、とあおいは笑った。
「何笑ってんだよ?」
「…やっぱり、あなたは違う」
「え?」
「工藤くんが『新ちゃん』なんて、呼ばせるわけ、ないもん」
「…俺はっ!」
俺が言い返そうとした時、あおいが俺の服をくぃっと引っ張った。
「死羅神様」
あおいは泣きながら俺を見る。
「優しい死羅神様、お願いです」
「…」
「工藤くんを、帰してください」
「…『帰す』?」
記憶を戻せ、とかじゃなく…?
俺のその問いかけに、あおいは泣きながら答える。
「みんながあの人は工藤くんだって言うけど、違うんです」
「…」
「あの人は工藤くんなんかじゃない。工藤くんは、工藤くんはもっと…!」
泣きながら、アイツは俺じゃないと言うあおいを見ていたら。
俺を帰せと言うあおいを見ていたら、自然と体が動いていた。
ギシッ、と、床が軋む音がした。
「『俺』はもっと?」
指で涙を掬い、鼻が触れるか触れないかの至近距離で問いかける。
「もっと…、綺麗な、青い青い瞳なんです。…死羅神様、みたいに…」
そう言い終わったあおいに顔を近づけた。
あおいも自然と目を閉じ、ただ黙って、俺のくちづけを受け入れていた。
髪は思慕。
額は祝福。
瞼は憧憬。
頬は親愛。
そしてくちびるは…愛情。
何度も何度も繰り返し、自分のくちびるを落とす。
………て、言うかコイツ、
「熱あんじゃねぇか…」
「う…ん…」
どうりで…。
あおいの一連の態度に納得がいった。
もう1度額にくちびるを落とす。
「すぐに服部たちが迎えに来てくれるだろうから、ここで少し休んでろ」
「…ん…」
あおいはまた、目を閉じ、眠りにつこうとしていた。
「あおい。1度しか言わねぇから、よく聞けよ」
変わらない、桜の匂いに包まれながら…。
「俺は、どんなに時間がかかっても、いつか必ず、死んでも戻ってくるから」
さらさらと音を立てて、手から滑り落ちる漆黒の髪が、ひどく気持ち良い。
「その時まで、待っててくれ………あおい」
すーっと、寝息を立て始めたあおいの首筋に顔を埋める。
そこにも1度、くちびるを落とし再び耳元にくちびるを寄せた。
小さな寝息を立てるあおいの手のひらにもくちびるを落とし、小屋を後にした。
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