■ウルフムーンの夜に
降谷さんとの話し合いで痛む身体に鞭打って起き上がったら、縫った腹の傷から血が滲んでしまいものすげー看護師から怒られた俺は、大人しくベッドに横になっていた。
「よぉ、目覚めたって聞いたぜ?」
朝メシも食ったし(ほぼ流動食)ケータイねぇからさてどうするか、と思った頃、名探偵がやってきた(ベッドごと身体を起こした)
「随分と気使わせちまったみてぇだな?」
「これは貸しだぜ」
ニヤリ、と名探偵は笑う。
この事で確信した。
コイツ、降谷さんに、というか公安に嘘吐いてる。
「パンドラはどうなった?」
俺の言葉にチラッと入り口を見た名探偵。
誰も来ないことを確認した後、
「ほらよ」
コートのポケットから無造作に取り出したパンドラをベッドの方に放り投げてきた。
「確認したか?」
「あぁ、オメーが爆睡してる間にな。ちゃーんと見えたぜ?中央に、もう1つの赤い光が」
その言葉を聞いた瞬間、黒曜石を強く握り締めていた。
「だったらなんで…!」
「なんも起こらなかったんだよ!月に翳しても、何もな」
少しの苛立ちと焦りを含んだ、そんな言い方だった。
「オメーが寝てた4日間で、まずそれが本物だってことを確認した。その後でオメーの幼馴染のところに行って、名指しした『小泉紅子』さんのところに連れてってもらった」
「…はぁ!?青子に聞いたのかよ!?」
「仕方ねーだろ!?もう学校休みに入っちまってて、休み明けまで待つわけいかねぇし!めんどくせぇことになるとは思ったけど、協力してもらったんだ」
「マジかー…」
そもそも今俺がいないってことの説明も含めて、めんどくせーことになったぞ、ってそう思った時だった。
「俺は非科学的なことは信じない」
名探偵がおもむろに口を開いた。
「でも彼女が魔女っていうのは、少し信じちまいそうだ」
「…何があった?」
名探偵は1度目を閉じ、大きく息を吐いた。
「消したんだよ、オメーの幼馴染の記憶から、俺が訪ねて行った記憶だけを!」
「えっ、」
「なんなんだよあれは!あんな反則技使うのアリかよ!?」
「…それ、俺も前に全く同じこと思った気するわー…」
青子の記憶から、名探偵の記憶だけ消したって?
あの女、そんなこともできんのかよ…。
魔法ってなんでもアリなのか?
怖っ!!
「で、話戻すけど、」
コホン、と、名探偵は1つ咳払いをする。
「小泉さん曰く、条件が揃ってないってさ」
「条件?」
「恐らく、パンドラの力が発動されるのは次の満月」
「あー、そういう」
「満月の夜に月に翳せ、ってことじゃねーか、って話だ」
次の満月は1月13日。
「先が長ぇなぁ…」
「あと2週間くらいだろ?」
「んー…、でも俺ここ数年、ずっと年末年始はあおいちゃんと過ごしてたからなぁ…」
あの子がいない大晦日とか、考えらんねーや…。
「オメーさぁ、」
そんなこと思った俺に、
「俺に喧嘩売ってんのか?」
あからさまにイラッとした顔で名探偵が言ってきた。
「え?あ、いや、俺は、」
「その喧嘩、買ってやるぜ?今なら証拠も揃い踏みだしな?国際指名手配犯さん?」
一体それには何が入ってるんですかね?って思わず尋ねてしまいたくなるような感じで、名探偵は自分のケータイをチラチラと見せてきた。
「けど俺はもう降谷さんに買い取られてっから」
「あー、あの人部下には無茶ぶりの鬼だからせいぜい身を粉にして日本のために働いてくれ」
「マジかー。俺一生、公僕の奴隷かよ」
「良かったな?まともな就職先見つかって!」
「ふざけんじゃねーよ!俺はマジシャンになんの!」
「国際的なスパイにもってこいじゃねーか」
「ヤメてくれ!」
そんなくだらないことを話した。
名探偵が現場で拾ったケータイを持ってきてくれたお陰で、ジイちゃんに連絡が出来た。
詳しいことは話せねーけどとりあえず大丈夫とだけ伝えたら、ジイちゃんが泣いてるのがわかった。
お袋にもきっと、ジイちゃん経由で伝わるはずだ。
そうこうしてるうちに年が明けた。
病院にいる俺は、本当に1人きりで年末年始を過ごした。
…そーいやあおいちゃんも俺が誘わなかったら1人で過ごそうとしてたよな。
あんな寂しがりな子が、こんな風に1人で過ごせるわけねーじゃん。
そして正月三が日も過ぎ、本来ならもう少し入院が必要らしいが降谷さんに頼み込んで退院させてもらうことにした。
理由を聞かれた時に咄嗟に出たのが、
「1人になってゆっくりシたいんです」
って右手動かしながら言った言葉だった俺に、降谷さんが心底馬鹿を見る目を向けてきたのがわかったけど、そこは同じ「高校生男子」ってのを経験した身としては思い当たることがあるのか、クソデカいため息の後で了承を貰えたから結果オーライって奴だ。
「絶好の天体観測日和じゃねーか」
そしてついに、1月13日ウルフムーンの夜。
雲1つない夜空に煌煌と満月が浮かび上がっていた。
紅子も名探偵も、俺に一任するようで何も聞いて来なかった。
だから、なんでそこを選んだのか聞かれたら、万が一のことを考えたからと言うのと、やっぱり、「キッド」と「あおいちゃん」の始まりは屋上だったからもう1度始めるならここだろう、と、セーフハウスの1つにしているビルの屋上に向かった。
屋上に出て、辺りに誰もいないことを確認してから中央に歩を進めた。
「…見つけた…!」
黒曜石を月に翳すと、透けるはずのない黒曜石の中にははっきりともう1つの赤い宝石が透けて見えた。
…やっとだ。
やっとこれで、全てが終われる。
そう思った。
…けど…。
「…何も起きねぇ…」
いつかの名探偵の言葉が脳裏に蘇る。
月に翳しても、パンドラが何か力を発するようなことはない。
「…おい、どーなってんだよ、」
それは焦りだろうか。
それとも…。
誰に言うでもなく出た言葉。
「月に翳せば涙を流すんだろ!?サッサと流せコラ!なんっで何も反応しねぇんだよっ!?」
手を上げ月に翳していた黒曜石を少し下ろして、語りかけるかのように独り言を言った。
「ここまで来て何も起こりません、とか言うんじゃねーよっ!俺が何のためにっ、」
俺は泣いてはいけないと思っている。
そりゃあ映画観たりとかして感動して目を潤ませることはあるけど「俺が」泣いてはいけないと思っている。
始まりは親父が死んだあの日。
泣いてしまったら、全てを認めてしまうようで泣くことが出来ずにいた。
そしてもう2度と「トクベツ」を作らないと決めてからは、泣くほど心が動くことはなかった。
それから時が経ち、怪盗キッドとして動くようになってその思いは再び大きくなった。
犯罪者の俺が、泣くことは許されない。
俺より苦しい奴はいる。
犯罪者の俺が、泣いて楽になることは決して許されることではない。
どこがでずっと、そう思っていた。
「なぁ、頼むよ…。お前しか方法が思いつかねーんだ…」
でもそれは、正しいことなのだと、無理矢理自分の中に落とし込んでいただけなのかもしれない。
「俺はどーなってもいいから、あの子を返してくれ…!」
握り締めたパンドラに、いつの間にか溢れ出した涙が流れ落ちた。
瞬間、
「っ!?」
手の中の黒曜石が光を放ち、辺り一面が夜の闇より深い、黒曜石の黒に包まれた。
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bkm