■記憶の対価
「い、いらっしゃい…!」
「おっ、じゃまっ、しまーす!」
バイク飛ばして、あおいちゃんちに着いたのは5時を過ぎたくらいの頃だった。
「快斗くんが次郎吉さんのベルツリー急行に乗るって聞いて、」
「あー、園子ちゃんから?そうそう。今朝返事したんだよな」
ソファに座ったらサッと飲み物を用意してくれたあおいちゃんは、俺が飲み物に口をつけたのを確認すると、すぐさま本題に入った。
「あ、あのね、」
「うん」
「私、」
「うん」
「その話知らない!!」
ソファに座ったあおいちゃんは、腿の上で両手をギュッと握りしめながらそう言った。
「知らない、って、」
「だ、だからね、キッドの犯行でしょ?でも私が知ってる中にベルツリー急行での犯行なんてないの」
それは俺にとっての朗報。
「じゃあここからはあおいちゃんすら知らない物語、ってわけね」
今まではあおいちゃんが知っていた、あおいちゃんが読んだ通りに話が、未来が進んでいた。
けどここからはあおいちゃんすら知らない… あおいちゃんがここに留まり、俺と青子がどうこうなることのない未来になり得るルートに入ったってことだ。
「そう言われるとそうなんだけどさ、」
「なるほどなるほど。何が起こるかは蓋を開けてからの…いや、列車が動き出してからのお楽しみ、って奴だな」
俺にとって待ちに待った展開。
ここから誰にも予測不可能な未来が始まる。
紅子も、何より未来のあおいちゃん自身が言っていた。
あれは数ある未来のうちの1つ。
たった1つしか存在しなかった未来だ。
その未来が「別の世界で予め定められていた未来」なんて、あり得るわけがない。
予め定められているのだとしたら、それこそそこから枝分かれする未来も存在するだろう。
「たった1つしか存在しない」なんてならないはずだ。
て、ことは、あおいちゃんですら知らない、あの未来のあおいちゃんにまた会える可能性ルートに突入した、ってことになる。
それも協力者Bを確保し、恩を売り始めた直後に、だ。
自分の行動に確かな手応えを感じた瞬間だった。
「あ、あと、ね、」
「うん?」
「転校生が来たんどけど、その子がなんか…怪しい」
「怪しいって何が?」
「んー…、女の子なんだけど僕ッ子で、中性的な綺麗な顔立ちしてる、…蘭の話だと、真剣に勝負したとして蘭が勝てるかどうかわからない子で、」
蘭ちゃんの強さ正確に知ってんの?
ナイフへし折る蹴り持ってる女だぞ?
それと互角?
「そうなの!しかもその子、女子高生探偵してて、」
「うわぁ、しかも探偵かよー…」
また増えんのかよ、探偵…。
「やたら私たちに絡んでくるし、新一くんと仲良いのかとか聞いてきたりするし…。ベルツリー急行のこともだけど、世良さんもたぶん、」
「あおいちゃんが読んでいないストーリーに出てくる人物」
「そう」
「おもしろくなってきたな」
新たな人物の登場なんて、ゲームで言えばいよいよ新ルート突入の前振りだ。
全てが「そうだ」と言って追い風に乗っている。
そんな感じがした。
「あ、あの、さ、」
そんなこと考えていたら、あおいちゃんが伺うように、心配そうな顔で俺を見て、
「無理しちゃ、ダメだよ?」
そう言ってきた。
…今も、10年後も、真っ先に俺の心配をしてくれるのはあおいちゃんだけだ。
「俺のこと心配してくれるの?」
「あ、当たり前じゃん…!」
「えー、嬉しい!それだけで百人力だぜ?」
どこか腑に落ちないような顔をしているあおいちゃん。
…いい機会だし、気になってたこと聞いてみるか。
「ついでに、聞きたいことあんだけど聞いてい?」
「聞きたいこと?」
「あおいちゃんさー、全部初めから知ってたんでしょ?なんでキッドと初めて会った時あんな話したの?」
「あんな話?」
「キッドに言ったでしょ?俺が初恋だ、って!」
初めてキッドとして会った時だけじゃない。
鈴木財閥での船上パーティの時や、雪山での奇術愛好家の時、あおいちゃんが誘拐事件に巻き込まれた時だってそうだ。
あの日、あの時、俺だと知っていながらの言動であるなら、何故そんなことをしたのか聞いてみたかった。
の、だけど。
「………………」
あおいちゃんはわかりやすくフリーズした。
「おーい、起きてるー?」
「ハッ!………快斗くんそろそろ帰る時間じゃない?」
「そういうすっとぼけ方するの?さすがにあからさますぎだって」
あからさまに話題を逸らすあおいちゃん。
これはそれなりの理由があるのか、なんて思った直後、
「だっ、だって!」
あおいちゃんは捲し立てるように話始めた。
「あの時は快斗くんが先にすっとぼけたから私もすっとぼけてしまえってなったんだし何より私から言うつもりなんてなかったからまさかこんな全部包み隠さず話すようになるなんて思いもよらなかったから別の人として考えて話したわけだしそんなだって私バカじゃないの初恋の人にあなたが初恋ですってバカじゃないのだってそんな初恋だなんて言うつもりなんてそんなそんなバカじゃないのバカじゃ」
「ふはっ!」
あおいちゃんはパニくると異常に早口に話し始める。
しかも若干キレ気味に。
そういうところ、やっぱり可愛いと思ってしまう。
「ごめんごめん、困らせたかったわけじゃねーんだけど、いろいろ気になったんだよな。あれ?そういえばあの時、みたいな感じで!だから気にしないで」
「…気にしないで、って、でも別れた元カレに本人に言ったつもりないのに『私の初恋なのって言ったよね?』って聞かれた私の身になって!気にしないなんてできないから!!」
キレ気味、ではなく、完全に逆ギレ起こしてあおいちゃんは言った。
「だからごめん、て。もう聞かないから。ね?」
「んぐっ」
俺の言葉に、あおいちゃんは言葉にならない声を漏らした。
…何今の!
ほんと一緒にいて飽きねー、おもしれー子だよな。
「じゃ、まぁ、俺は俺でミステリートレインに乗るけど、あおいちゃんも気をつけてね」
「…今回はコナンくんたちと別行動なんだ」
「そうなの?」
「うん。私たちは一等客室で、コナンくんたち少年探偵団はちょっとランク下げた客室を抑えた、って園子言ってたよ」
「なるほど。ま、俺は俺の仕事をしましょう?」
そう言ってその日は帰宅した。
そして翌日の学校で、再び紅子を捕まえた。
「紅子、取り引きしようぜ」
「…内容は?」
「オメー、俺がほしいって言ったよな?望み通り、心以外ならくれてやるよ。だから万が一の時に備えて、あおいちゃんを忘れないための何かを作ってくれ」
紅子はピクリと眉毛を動かした。
「昨日話して来て思ったんだよ。ここから先はあおいちゃんも知らない未来になる。いつ誰に何が起きるかは誰にもわからない。つまりあおいちゃんがいついなくなるのか、正確なところは誰にもわかんねーってことだ。だから万が一のための保険は必要だろ?」
「…それで己の身を売る気になったの?」
「それくらいで済むなら安いもんだろ」
紅子は一度目を伏せた後、俺を睨み上げ、
「私は身も心も私に捧げる下僕がほしいの。他の女を思ってるような男お断りよっ!」
そう言い放った。
「けどあおいちゃんとの記憶の対価なんて、それ以外で俺に払えんのねーからさ」
「なら諦めなさい」
「けど協力者Aのオメーなら、作ってくれるって信じてるぜ」
そう言って紅子に背を向けた俺に、調子のいいことを、なんて言葉が聞こえた気がした。
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bkm