■1
「名前!?」
「あれ? 新一、どうしたのこんなところで?」
「……え?」
新一は診察室の扉を開けるや否や、眉間に皺を寄せつつその場で立ち止まってしまった。私はそれを疑問に思いつつ首を傾げていれば、恐る恐ると言った様子で新一は問い質してきた。
「名前、オメー、事故に遭ったって蘭が!?」
「蘭がそんな事言ったの? 違うよ! 突っ込んできそうだったバイクを避けようとして、転んで捻挫しただけだよ!」
ホラ、と言いつつ私は左足を新一に見せた。その左足に先ほど看護師さんに貼ってもらった湿布があった。
「バイクを運転していた人は、その後転んでね。でも命には別条ないって、さっき看護師さんが」
「何だよ、心配かけさせやがって……」
膝に手を置きつつ、新一は大きな溜め息とともに項垂れた。その姿に申し訳ない思いと、そして嬉しさを感じてしまう。
「……もしかして、心配してくれたの?」
「はっ!? そりゃ、オメー、意識不明の重体だって言われりゃあ……」
新一の言葉に今度は私が眉間に皺を寄せる事になる。一体どこから意識不明の重体と言う話が出たのだろう。確かに私がバイクを避けようとして捻挫した時、傍には蘭もいた。
因みに蘭は無傷だ。バイクと正面衝突はしていないし、私のようにドジを踏んで捻挫する事もなかった。その後で足を痛めた私に付き添いつつ病院まで来てくれ、私が診察を受けている間に私の母に連絡してくれると言っていたのだが。
その後で母が来てくれたため、蘭は先に帰ると言って出て行ったのはつい先ほどの事だった。そう言えば、診察室を出て行く直前の蘭は、やけに楽しそうな笑みを浮かべていたなあとは思ったけれど。
しかしまさか――
「……ったく、蘭のヤロォ……」
新一に嘘吐いて呼びよせたのねと分かれば、新一も可哀想にと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ゴ……ゴメンね?」
「何でオメーが謝ってんだよ。オメーは何もしてねーんだろ?」
確かに、私は何もしていない。新一に嘘吐く事も、そして新一に連絡する事も。
「名前? そろそろ帰るわよ……って、あら新一君じゃない。久しぶりね」
「あ、お久しぶりです」
先生に話を聴きに行っていたお母さんが戻って来るのを目にすれば、新一が軽く会釈をするのが見えた。
「お母さん、ゴメンね。仕事中に呼び出しちゃったりして。でももう行っていいよ! ただの捻挫だし、一人でも帰れるから」
「そうは言ってもねえ……」
仕事を抜け出させてしまった事を申し訳なく思い、これでも一応気を遣ってみたのだが、母は納得がいかない様子を示していた。だがその直後に助け船を出されるとは、私も思ってもみなかったのだが。
「だったら僕が送って行きますよ。だからおばさんは仕事に戻って下さい」
「あらそう? じゃあ新一君、後はお願いね。名前! ちゃんと新一君にお礼言うのよ!」
「えっ? あ、ああ。うん……」
どうやら仕事がつまっているようだったらしく、新一の提案を聴けば直ぐさまそれを受け入れ、私たち二人を残して去って行った。私の懸念を余所に。
「……でも良いの? 新一、確か目暮警部に呼び出されてたんじゃなかったっけ?」
新一が私の前に現れた時からずっと気になっていた。今日は目暮警部から殺人事件の捜査協力を受け、授業が終わるや否や脱兎のごとく駆け出して行ったと言うのに。
「現場に到着した時に蘭から電話をもらったんだよ。目暮警部にもちゃんと事情は説明したさ。だからさっさと帰ろうぜ」
「うん、ありがとう……」
事件よりも私の事を優先してくれた事に感謝の思いを抱きつつ、その場に立ち上がった。その瞬間、左足に忘れかけていた痛みを思い出す。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫よ」
ただの捻挫なんだし、これくらいで泣き言は言ってられないわと私は笑顔を作ってみせた。しかしその笑顔を見たせいなのか、新一は再び眉間に皺を寄せると、私の目の前まで歩み寄って来て、そして背を向けつつしゃがみ込んだ。
「……え?」
一瞬、何をしたいのかが分からなかったが、その後の新一の言葉でようやく理解出来た。
「早く乗れよ。おぶってやるから」
だが理解出来ても、それを受け入れられるかどうかは全く別の話なのだが。
「ぅえっ!? なっ、何言ってるの!? 本気なの!?」
「冗談でこんな事言えると思ってんのかよ。良いから早く乗れって。足痛いんだろ?」
確かに足は痛むけれども、しかし――
その時、背後でクスクスと笑う声が聴こえれば、反射的に振り返ってしまう。そこにいたのは看護師さんだった。
「随分仲が良いのね。彼氏に感謝しなきゃ」
「いや、あの、新一は彼氏じゃ――」
言い訳はしたものの、看護師さんはすっかり信じ込んでしまっているらしく、笑顔でお大事にと私に言った後に診察室の奥へと引っ込んで行ってしまった。
「名前、ホラ、早くしろって」
新一と二人残された診察室内を見回す。どうしようかと悩みつつも、新一は私が乗るまで梃子でも動かない様子を見せていた。
そして結局は、新一のお世話になる事を決めた私は、恥ずかしさを堪えつつ新一の背中に手を伸ばした。
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bkm