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「なあ、名前! いい加減工藤の事なんか忘れてさ、俺と付き合わない?」
「付き合わない」
「そんな、つれない事言うなよ〜」
一体何度このやり取りをすれば、この男は気が済むのだろうか。
かれこれ一か月以上も同じやり取りを毎日のようにやらされている身としては、正直言ってかなりうんざりしていた。
わざとらしく大きな溜め息を吐くも、それは彼には通用しないようだ。仕方なくこれこそ一体何度目なのか分からない言葉を告げる事にした。
「あのね、佐々木君。私が好きなのは新一だけなの。今は事件の調査で休学中だけれど、いつか必ず戻って来ると言ってたから、私はそれまで彼の事を待っているつもりなの。だから貴方とは付き合えません。ごめんなさい」
「そんな事、何十回も聴けば分かるさ」
「じゃあ何で毎日のように付き纏う訳?」
「もしかしたら気が変わる事もあるだろ? 待つ事に疲れちゃったとか、自然に忘れちゃうとか、それとかこうやって毎日俺と一緒にいれば、俺の方が良い男だって気づくかもしれねーだろ?」
……誰か何とかしてよ、この男を……
今度はわざとではなく、本気で溜め息を吐いていると、遠くから私の名前を呼ぶ声がした。
「名前ーッ! 一緒に帰らないーッ?」
大声を挙げながら手を振っているのは、私の幼馴染みで親友である毛利蘭だった。
「うん! 一緒に帰ろ!! ……それじゃあ、佐々木君。さようなら」
「ああ、じゃあまた明日な!」
また明日もこの男に付き纏われるのかと思えば、学校に行くのがだんだんと嫌になってくるなあ。
そんな事を考えながらも、蘭が待つ場所まで小走りで向かった。
「……ねえ、名前。新一に相談したら?」
「え? 相談って?」
「佐々木君の事よ! 付き纏われて迷惑しているって」
帰り道の途中で突然振られた話題は、先程の彼の事についてだった。
「そ、そんなのいいよ! だいたい新一は今、事件の調査で忙しいんだから、そんな事で相談しても迷惑に決まってるよ!」
「そんな事ないと思うけどなあ……。だいたい事件の調査とかで休学してから、もう数か月も経っているじゃない! いつまで経っても帰って来ない新一のせいでしょ?」
「う、うーん……」
「新一がいないのをいい事に、あんなの正々堂々とアプローチしてくるなんて……。ねえ名前、名前が言いにくいなら私から新一に言ってあげようか?」
「だっ、大丈夫だって! だからこの事は誰にも内緒にしといて! ねっ!!」
「名前……」
まだ納得がいかないと言った表情をしている蘭を横目に、私は大好きな彼の事を思い描いていた。
新一には余計な迷惑を掛けたくない。何故なら彼は今、それどころではないのだから――。
「蘭姉ちゃん! 名前姉ちゃん!!」
しかし突然聴こえてきた声に、心臓が破裂しそうなくらい驚けば、瞬時に声の方へ振り返ってしまった。
「あ、コナン君! 今日は学校どうだった?」
「うん、いつも通りだよ!」
いつもの明るい笑顔を見せながら蘭と会話をしているコナン君。その姿がとても微笑ましくて、彼の笑顔を見られるだけで私も嬉しくなって来る。
「名前姉ちゃん、どうかした? 僕の顔に何かついてる?」
「えっ、いや、そんな事ないよ!」
しかし急に私の方に視線を向けて話し掛けて来るものだから、慌てて何でもないと言うように振舞う。しかし流石は日本警察の救世主とまで言われた彼だけであって、私の僅かな異変に気がついたようだ。
「……名前姉ちゃん、何かあった?」
「……え?」
「何だか疲れているような……、悩んでいるような顔しているけど……」
やはり勘が鋭い。そしてその勘は見事に当たっている。
これ以上彼と一緒にいたら、何もかも見透かされてしまいそうだと感じた私は、二人から離れる事にした。
「別に何にもないよ! それじゃあ、私、家こっちだから! じゃあまたね、蘭! コナン君!」
「あっ、うん! またね、名前!」
「バイバイ、名前姉ちゃん……」
出来る限り自然な雰囲気を装い、その場から離れた。その為、私は知らなかった。その後の二人の会話を――。
「……ねえ、蘭姉ちゃん。名前姉ちゃん最近何かあったの?」
「う、ん……。まあ、あったと言えばあったんだけど……。さっき名前に口止めされちゃったから……」
「お願い、蘭姉ちゃん! 教えて? 僕、新一兄ちゃんに名前姉ちゃんの事、頼まれているんだ! 何かあったんだったら、新一兄ちゃんに伝えないといけないから!」
「……うーん……」
「蘭姉ちゃん、お願い……」
「そんな顔されちゃあ、仕方ないわね……。でも新一には内緒よ? 名前が新一には言わないでって言っていたから……。約束出来る? コナン君」
「うん、分かった! 約束するよ!!」
「あのね、実は最近――――」
家に帰った私は、部屋に帰ると着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。今日はやけに疲れたなと感じ、目を閉じていれば、携帯電話の着信音が微かに聴こえて来た。
「誰かなあ……って、……あ」
……何だか、嫌な予感がする……
そう思っていても電話に出ない訳にはいかなかった私は、恐る恐る通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『佐々木って、C組の佐々木か?』
嫌な予感は見事に的中した。蘭の奴、あの後しゃべったわね……、そう嘆いていても何も解決しないのは分かっていた私は、とりあえず電話の相手にこれ以上の心配を掛けさせまいと、必死で言い訳を探した。
「そうだけど……、でも大丈夫だから心配しないで!」
『でももう一か月以上、毎日のように告白され続けてるって聴いたけど?』
「そこまで聴いたんだったら、蘭はこうも言っていなかった? 毎日ちゃんと断っているって」
『あ、ああ……』
「心配しなくても大丈夫だって! 私が好きなのは新一だけだから……。新一が元の姿に戻れる日まで、ずっと待っているから……」
それは嘘偽りなど無い、私の正直な気持ちだった。この気持ちは揺るがない、絶対に。例え誰に言い寄られても新一以外の人を好きになる筈が無い。
だから二股とか別の人に乗り換えるなんて思っていないから……、そう言おうと思った矢先の事だった。
『……そんなに、俺が頼りにならねーのか?』
新一のその声は、傷ついたかのように暗く沈んでいた。
「そんな事、思う筈ないってば!」
『じゃあなんで、俺を頼って来ない? 一か月以上も悩んでたんだろ?』
「それは……」
確かに新一の言う通りだった。そして正直言って新一に頼りたかったのも事実だった。しかし自分の事で精一杯であろう新一に、これ以上余計な荷物を背負わせたくはなかった。
「きっと……、一人でなんとかなると思ってたから……」
『それにしたって、一言くらい相談があってもいいだろ?』
「でも、相談したって……」
『一人で抱え込んでいたって仕方ねーだろ!? どうして直ぐに相談しなかったんだって言いたいんだよ!』
「そんなの仕方ないじゃない! 今の新一にはどうする事も出来ないんだから!」
『……ッ!!』
「……あっ……」
失言には直ぐに気づくも、気づいた時にはもう既に遅かった。
「ご、ごめんなさ――」
『……確かに、今の俺にはどうする事も出来ねーかもしれねーけど』
「ち、違うの……。今のは言葉のあや――」
『悪かったな、頼りにならない恋人でさ』
「そんな事、思って――」
『じゃあな』
最後にそれだけ言われた後、通話は切られてしまった。
「……ごめんなさい……。新一、ごめんなさい……」
途切れてしまった電話に、何度も何度も話し掛けた。例え伝わらないと分かっていても、繰り返し繰り返し謝り続けた――。
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bkm