01
暗い、暗い夜道を私と父と母はただ静かに歩いていた。
「今宵は本当に月が綺麗だなあ」
「本当ね。とっても明るい」
時は文久三年の十二月。まだまだ肌寒い日が続く夜であった。
江戸に住む私達親子は観光がてら京へとやって来た。京に滞在する最後の夜。私はなんだかとても名残惜しくなって、両親に無理を言って夜の散歩に付き合ってもらっているのである。
「京も楽しかったなあ。飯は美味いし女は綺麗だし」
「もう、あなたったら」
父の戯言に母はふてくされたように笑う。
平穏で平和で、幸せな家族だった。
厳しいけれどいざという時には頼りがいがあって、頼もしい父。私が辛い時にはいつだって優しく慰めてくれて、温かい料理を作ってくれる母。
何度も衝突はあった。けれど、最後にはいつだって分かり合うことができて、笑い合うことができた。
私はこの2人が大好きだった。とっても大好きで、大切で、かけがえのない両親。
「血を、血を寄越せぇえええっっっ!!!!」
だから、
「え……?」
そんな2人がいなくなるだなんて、考えたことがなかった。ずっとずっと、そばにいてくれるのだと思っていた。一緒に生きていくんだって、そう、信じていた。
視界に白髪で赤い目の男が入ったと思えば、自身に降りかかる赤い赤い液体。
瞬時にその生温かいものが血だと理解できた。けれど、その血は私のものではなくて。隣にいる、母のもの、だった。
「かあ、さ、ま……?」
ばたり、と母が道に倒れる。母の着ていた縹(はなだ)色の美しいな着物は真っ赤な血で染まっていた。
「母様のその着物、好き!」
「ありがとう。この着物はね、お父様がくださったのよ。高価だったのだけれども、私に似合うからって、一生懸命働いて、くださったの」
「うん、母様にすっごくよく似合ってる!」
「あら嬉しい。じゃあ紫が大人になったら、この着物をあげるわ」
「えっ、いいの?」
「ええ。若い綺麗な子に着てもらったほうが、この着物も嬉しいでしょうから」
母との約束が脳裏に蘇る。
母様、嫌だよ。こんな、嘘だよね? これは、夢、だよね?
「紫、逃げろ!!」
父の叫ぶ声が聞こえた。
逃げなきゃ、と思う。だけど私の足は震えるばかりで動いてはくれなくて。
次の瞬間視界に入ったのは月明かりに光る銀色の刀、と、狂気に染まった赤色の瞳、で。
「紫!!」
父が私に覆いかぶさった。グサリ、という嫌な音が聞こえた。途端、父の全体重が私へとかかり、私は父もろとも倒れ込む。
ぬるっとした何かがまた、私へとふりかかった。それがなんなのか、目を向けなくたってわかった。
「いや、だ、よ……」
やめてやめてやめて。私から、2人を奪わないで。
その時、いつかの記憶が脳裏へと次々へと浮かんだ。それは、走馬灯のように。
私は同じような光景を見たことが、あった。いつ? どうして?
あの時は確か、明るい部屋にいて。夕食時で。三人でテレビで、ニュースを見ていて。夕食は父の好物の生姜焼きで。
ガタン、という大きな物音がして、振り返れば刃物を持った男がそこに立って私達を見ていた。あの時の男は確か、刀ではなくて包丁を持っていた。そして、今と同じようにまず母を刺し、私を庇った父を容赦なく斬り、それで、今と同じように包丁を、刀を、狂ったように私に目掛けてーー‥
月が、綺麗な夜だった。
20120814
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