ゆめ渡り

こんな夢を見た。



己が腕の中で横たわった女は静かな声でもう死ぬよ、と言う。


髪は誰のものか分からない血で固まり、ひゅうひゅうと掠れ、今にも途切れそうな呼吸を繰り返す口元は、まるで紅を引いたかのように朱に染まっていた。腹から胸にかけては大きく切り裂かれ未だ血が溢れる傷があり、先程までの激しい戦闘の様子が伺えた。それほどまでに女は死にそうな体をしているというのに、黒曜石のような艶を持った瞳だけは輝きを失わずにしっかりとこちらを見据えている。この瞳を見て、これでも死ぬのかと俺は思った。


腕の中の女に顔を近づけ、膜が張り滲む視界へ必死に、死ぬんじゃないだろうな、大丈夫だろうな、と語りかけるも、彼女は死ぬんだもの、仕方が無いでしょう、と返すのだ。


しばらくして彼女はこんな時に言うのもなんだけれど、と続けた。


「私が死んだら、君が私を埋めて。墓標には私の刀の一欠片でいいから置いてくれないかな。そして一番酷なことだけど、どうか忘れないで。義勇の記憶と私の生きた証を目印に、きっとまた、君に逢いに行く。 を持ってもう一度、逢いに行くから。」
俺は思わず、いつ逢いに来るんだ、と尋ねた。



「百年、待っていて」



「日が昇って、日が沈んで。また日が昇って。それを何度も繰り返して…そのうちに君は居なくなってしまうかもしれないけど。…義勇、待っていてくれる?」


俺は女の、底なしの黒い瞳をしっかりと見つめゆっくりと頷いた。
俺を瞳に映した女は、満足そうに目を細めて口元を緩めたあと、ゆっくりと瞼を閉じた。



…もう、息はしていなかった。



ほんの少しの温もりを残すその体を強く抱いた時、彼女の酷く穏やかな姿は俺の目からこぼれ落ちた。









はっ、覚醒して体を起こし時計を見ると映っているのはいつもの時間だった。
私物が所々に散らばった殺風景な部屋と澄んだ空気が広がっている。錆びた血と女の香が混ざった、鼻につくあの匂いはもうしなかった。


「…また、あの夢か」
朝の澄んだ空気に向かってひとりごちる。


黒曜石の女が命を落とすのをもう何度見送ったか分からない。初めて見たのは小学校に上がる前だっただろうか。その時は意味がわからないのに、呪いのように紡ぐ女の言葉がどこか不気味で、怖くなって姉に泣きついたことが懐かしく思えた。

昔はたまにしか見なかった夢なのだが、1か月ほど前から週一で見るようになり、間隔がだんだんと詰まっていって、最近では毎晩のように女を彼岸へ渡る様を脳に焼き付けていた。
そんなだから、始めはぼんやりとしていた女の風貌も今では現にいる時ですら、はっきりと思い出せるほどこびり付いてしまった。
白い肌の上に乗る、少したれ目がちな黒曜石の瞳に、新月の夜の空を思わせる漆黒の髪。細身で、力を入れると折れてしまいそうな女。
しかし、20年以上生きてきた中でそのような女にあった記憶は無かった。


…彼岸の女に騙されたのだろうか。


回らない頭で部屋を眺めながらグルグルと思考回路を回しているうちに再び時計が目に入る。まずい、そろそろ準備をしないと。


今日もまた、儚いとは程遠い女に後ろ髪を引かれながら、仕事へ行く準備をするのだった。








「…疲れた」
仕事で酷使した体を引きずりつつ駅から残りわずかな帰路へとつく。
仕事はトラブル続きだった。これでも早く帰れた方だ。しかし今日は早く寝たい…愚痴っぽく思いながら、フラフラと点滅しているあかりの下を通り過ぎようとしたその時だった。



「ねぇ!」



夜九時の人気のない路地に、どこか幼さの残る声が響いた。


振り返るとセーラー服に身を包んだ少女が息を切らせて立っている。手にはやけに目に付く黄色い花束。何の花かは分からなかった。



ただ。
まるで夜の闇に溶けて消えてしまいそうな、その姿かたちには、酷く身に覚えがあった。



少女はその髪を靡かせ街灯の元まで走り寄ってきて、俺の眼をじっと見つめる。
吸い込まれてしまいそうな、あの黒曜石の瞳に俺の姿が映った。漆黒の髪が白い肌にかかる。夢よりも少し幼く見える少女。
黙り込んだふたりの間に吹いた風はあの夢のように冷たくなく、生暖かい春の風だった。

しばらくすると、釣り上げていた眉を困ったように下げ微笑んで、手元の花束を差し出した。俺に?と尋ねると少女は夢で何度も見たその瞳を伏せさせ、ほんの少しだけ頬を赤く染めて、小さく頷いた。懐かしさと愛おしい気持ちを呼び起こすその仕草に首をかしげつつ、ありがとう、と花束を受け取る。顔をあげた少女はこっちをしっかりと見据えて口を開いた。



「待たせてごめん、やっと逢えたね。義勇」



ーさっき呼びかけられた時は何ともなかったのに。その声が俺の名を呼び、それがあたたかいものを湧かせて、俺の体へ、臓腑へと染み渡った時、無意識に呟いていた。


百年はもう来ていたんだな、と。


「君が幽かにでも覚えていてくれたから、私は会いに来ることが出来た。ありがとう、優しくて剛いひと」
お前のその言葉で俺は、この時ばかりは自分自身のことを許すことが出来た。






俺達はぐしゃぐしゃの顔で、強く強く抱き合って、口付けを交わす。百年越しに移されたお前の熱は今までで一番熱を帯びていたように思えた。


「やっと、やっと…お前の名を呼べる、名前」


俺達の逢瀬を見守っているのは、点滅するスポットライトと俺の手に握られた黄色い水仙のみだった。





あとがき
kmtの義勇さん短編としては処女作にあたる作品です。気づいた方はいらっしゃるかもですが夢i十i夜をオマージュして書かせていただきました。とても好きな作品です。

2020.03.02(初版)





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