未だにCDコンポからは、サックスとピアノの音が流れていた。生演奏とまではいかないが、音質の良いそれは耳に心地良く響く。宿題のプリントはもう書き終えていた。隣でシャープペンをノックしては芯を戻すを繰り返す南雲をずっと見つめているのだが、幸いな事に彼はその視線に気付いていなかった。プリントの枠の中は、まだ半分も書かれていない。字は自分より少し大きい位だが、それでも枠は埋まっていかない。南雲は頭をとんとんとペンで叩いては、いらついたように髪を梳いた。ああ、少し嬉しい。自分もいらついた時、髪を引っ張る。彼と共通点があるだけで、自然と笑みが浮かんだ。

南雲晴矢とは中学に入ってからの付き合いだ。彼は風介とは全く正反対の性格で、最初は性が合わないと思っていた。避けていた時期もある。だが、ある試合で2TOPとして出された時、彼は自分が思っているほど嫌な人間でないと気付いた。プレースタイルが自分の波長と合っていた。初めて並んでグラウンドを駆け抜けて、気付いた。嫌なところは確かにあるかもしれない。だが自分と同じものを持つ相手に対する興味は、そんな事を忘れさせた。よく見れば、南雲には良い所が沢山あった。世話焼きで優しいし、明るく人望もある。彼と居ると何かと楽しくなった。風介にとって、彼は代わり映えのしない道に突然吹いた神風のように思えた。不思議な力を持つ風は風介を解きほぐし、丸くなったね、とヒロトに言われるくらい変化が起きた。それから風介は南雲とつるみ始めた。一年の冬の事であった。クラス替えの時も極低確率の中、二人は一緒のクラスになったし、席も隣同士になった。腐れ縁か、と嬉しく思う。
何故嬉しく思うのか、風介はもう理由が分かっていた。南雲に焦がれているからだ。何が自分をそうさせたのか分からない。自由にボールを操る南雲に持った憧れが行き過ぎただけかもしれない。こんなに親しくなった友人は初めてだからかもしれない。
男同士だからと特に悩みはしなかった。この想いを押さえきれる自信はある。いつも通りに接すればそれでいい。うまく感情をコントロールできればそれでいい。風介は南雲を見る度、その想いを押さえつつ平静を保ち続けた。きっとこの感情を打ち明けたとしても、彼が受け入れてくれる筈がない。それは覚悟していた。
だのに、この男は本当に予想外な事をしてくれる。風介、と擦れ気味な声音で呼ばれ、大きく鼓動が高鳴った。彼はすぐに自分の言動に気付いて、わたわたし始める。面白いな、と愛らしい、と感じた。自然と風介も彼の名前を呼んでいた。何度も胸の中で繰り返した単語は案外すんなりと出てくる。晴矢、と彼のその太陽のように風介を照らし貫いたままで居てくれる素敵な名前。彼は動きを止めて、風介の顔をまじまじと見つめてくる。あまりにも恥ずかしくて、風介はぶっきらぼうにCDを貸せと言った。名前を呼んだだけだ。友人として自然な事をした、何も悪い事はしていない。晴矢は少し嬉しそうにしてくれた。彼が嬉しいなら、風介も幸せに感じる。心が温かくなる、頬が熱くなる。手が触れ合ってしまった時も、息ができなくなるかと思った。
彼の残り香は一切しないけれど、今日起きた出来事は夢ではないらしい。それだけで風介はこれからしばらく幸せで過ごしていけるだろうと感じる。夕飯の時も、風呂の時も、布団に潜り込んだ今も、南雲晴矢の顔と声と香りを思い浮かべてしまう。彼の体の熱さも、今日初めて知った。興奮してしまって眠れない。肌が触れた場所を包む。晴矢、と心の中で呟いた。晴矢、晴矢、晴矢、……。相当重傷だと思った。ずっと、ずっと、晴矢の事しか考えられない。一秒よりも短く、何重にも積み重なった感じる事のできない時間さえ晴矢が支配している。

「晴矢」

今此処で口に出してみると気恥ずかしかった。それがこそばゆくて気持ち良い。彼の事を考えていられるだけでもう満足だった。手に入らないものを駄々をこねて欲しがるほど、風介は子供ではない。焦がれるだけで充分だ。もう南雲晴矢には、意識と時を支配されている。それだけで、風介は南雲に対して良い友人を演じていられる。
不意に暗闇の中、携帯電話のライトが光った。常にマナーモードに設定してあるそれは、固いサイドテーブルの上で振動してベッドへと落ちてくる。落下地点が目の前だったので思わず体がひやっとなった。新着メールあり、とサブディスプレイが明滅する。しばらくすれば、送信相手の名前が映し出されて、黒い背景に白い文字で南雲晴矢と出た。画面の「南」の文字の形を見て跳ね起きてしまった。白い光を放つ携帯電話を取って、二つ折りのそれを開ける。待ち受けに手紙のアイコンを選択して開ければ、メール画面に飛ぶ。一番上、南雲晴矢、件名「ありがとう」。決定を押すと、何て事無くそれは表示される。

『今日はありがとう。楽しかった。宿題手伝ってもらって助かった。また今度、家に遊びに来いよ』

ありがとう、を言うのはこちらの方だ。風介は返信をする為、暗がりでボタンをいじった。指がつるりとプラスチックの上を滑る度にかたかたと震える。
送信、一息つく。そしてすぐに受信。

『じゃあ今度はお前の家に行きたい。テスト勉強一緒にしよう。涼野が良いならだけど』

断る理由などない。風介は了解、と返信をした。携帯電話を閉じる。
ほら、良い友人を演じていられる。風介はもう震える事のないだろう、携帯電話を枕元に置いた。目を閉じる。今日はこれ位で良い。心臓に悪い。



「涼野」

風介は南雲の声に振り返る。瞳に、昨日みたいに落ち着きのない南雲が映った。どうした、と首を傾げてみると、彼は頭をかいたり、制服を握ったり、あうあうと口ごもる。やっと口を開いた時には、HR開始五分前となっていた。

「昨日の、その……そういう意味じゃなくて、その、気にしなくていいから!」

何の事だろう。聞き返す前に、彼は後ろのロッカーへ教科書を取りに行ってしまった。昨日の、というのはメールの事だろうか。鞄から藍色の機械を取り出して、待ち受けを見れば左下に手紙のアイコンがある。眠ってしまった後に来たのだろうか。開いてみると、南雲からだった。

『ありがとう! 俺、涼野の事大好き』

かあ、と頬が熱くなる。南雲はそういう意味じゃない、と言っていた。それでも、これは。
帰ってきた南雲が、風介にこのメールの言い訳を言ってくる。その時のノリだとか、俺たち友達だしだとか、俺、涼野の事友達として好きだから、とか。本当にこの男はとんでもない事をしてくれる。チャイムが始業時刻を告げる。だがそんな事どうでもいい。

「晴矢、わたしも好きだぞ」

自然と吐き出してしまった言葉に、言ってしまったと思った。





須臾により遠い刹那








雲居様リクの「『初夏により〜』のような初々しい南涼」でした。初々しい二人を書くのに悩んだ結果、『初夏により〜』の続きで涼野視点です…。がっかりクオリティですみません。須臾(しゅゆ)というのは1000兆分の1秒で刹那というのは1000京分の1秒という事らしく、その体感できない時を南雲に支配されている涼野です。自分が気づく事のない時さえ南雲を意識しているならば、それだけで満足。いつもより大人な涼野です。それなのに名前を呼んだり、大好きと言ったり頑張って自分なりのアプローチをしてくる南雲にどきどき。自分も好きだ、と言ったのはいいですが、なんと言い訳をするのだろうか…。
変な仕上がりとなってしまいましたが、雲居様宜しければお受け取りくださいませ…。送り返しも絶賛受付中ですのでっ。

2010.03.06 初出



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