09

 工事中で道が通れないなんてことがないようにとはやめに家を出たら、朝練が始まる三十分も前に学校に着いてしまった。
 私が一番乗りのようで、テニスコートには誰もいない。当然、コートの入り口には鍵がかかっていた。部室にも鍵はかかっているだろう。これは職員室に鍵を取りに行くべきなのか。
 私が所属する華道部では、一番に部室に来た人が鍵を取りに行くことになっている。テニス部も同じだろうか。
 でももし私が職員室に取りに行ったとして、鍵を貸してもらえるとは限らない。だってマネージャーに決まったのは昨日の放課後だ。
 どうしよう、このままじゃ誰か来てしまうかもしれない。まだ鍵開けてねえのかよ使えねえとか言われたらどうしよう。ああでも勝手に開けてんなよと言われる可能性もある。
 コートの前であわあわと考えを巡らせていると、背中に土を踏む音が聞こえた。恐る恐る振り返る。
「はやいな、名字」
「あ、おっ、おはようございます」
 どもる口で挨拶を返しながら、内心ほっとした。柳先輩は頭ごなしに口汚く罵倒してくるような人じゃないはずだ。よかった。
 怒られる心配はないようで一先ず安心していると、柳先輩が納得したような声色で言った。
「ああ、コートと部室の鍵は一番に来た者が取りに行くようになっている」
 私の頭のなかを見透かしたような言葉。そう言えば柳先輩にはデータマンなんて二つ名があったような気がする。なんでもお見通しというやつか。何それこわい。
「あ、はい。じゃあ取ってきます」
 と柳先輩に言って駆け足で職員室に来たものの、鍵の借り方が分からないことに気づいた。
 華道部では今まで一度も一番最初に来たことはなかったから、取りに行くということは知っていてもやり方が分からない。どうしよう。
 誰か他の部活の人が借りに来ないかなとその辺をうろうろしていると、赤い髪が見えた。丸井先輩だ。
「おー、やっぱ困ってんな。さすが柳」
 丸井先輩の言葉に、こうなることを見透かした柳先輩が助っ人に丸井先輩を遣わせてくれたらしい。申し訳ない。
 けどそれなら最初から一緒に来てくれればと思ったけど、そうなると次に来た人とすれ違いになる可能性もあったのか、と思ってさすが柳先輩だなあと思った。
「お前、草むしりしてふらふらしてたやつだろい」
「(だ、だろい?)あっ、はい、たぶん」
 個性的な語尾に一瞬ぽかんとした。慌てて返事をすると、丸井先輩は人懐っこい笑みを浮かべる。
「俺、三年の丸井ブン太、シクヨロ」
「えっと、一年の名字名前です、よろしくお願いします」
 昨日すでに自己紹介は済ませていたけど名乗られたからには名乗らないとと思って、ぺこりと頭を下げた。第一印象は大事だ。
 まあ、鍵を借りれずにおろおろしていたところを見られているから、もうすでに間抜けな印象がついているかもしれないけど。がってむ。
「で、鍵の借り方だけど、俺が借りてくるからちゃんと見とけよ」
 そう言うと丸井先輩は職員室のドアをこんこんと二回ノックした。続けてゆるく失礼しまーすと言ってドアを開ける。
「三年の丸井でーす。テニスコートと部室の鍵借りに来ましたー」
 入り口に立ったまま全体的に間延びした声で言うと、少し眠たげな先生が鍵を取ってくれた。自分で取りに行かなくていいらしい。
 鍵を受け取った丸井先輩は、失礼しましたーと言うとドアを閉めた。
 慣れから来るゆるさはあれど一連の動作はスムーズで、やっぱり三年生だなあと感動した。
「って感じだから」
「はい、ありがとうございます」
 鍵を片手に振り向いた丸井先輩に返事をする。
 私がテニス部関係者と認知されるかという問題はまだあるけれど、これで鍵の借り方は分かった。
「じゃ、行くか」
 ちらりと見えた職員室の時計は、朝練開始の十分前だった。あわあわうろうろしているうちにそんな時間が経っていたなんて。
 自分の不甲斐なさを嘆いているといつの間にか丸井先輩はだいぶ遠くなっていて、慌てて背中を追った。

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