ちょっとした事故から5日。俺は今日もそれなりに業務に励んでいる。あれから駅前を通ると、妙にきょろきょろしてしまう様になった。しかしそんな俺の心配をよそに、何事もなく平和に毎日は過ぎている。例の掲示板を覗いてみようかと思ったりもした。あいつはもうあんなことはしていないだろうが(と、信じている)、関係の無い俺がこそこそ彼女の知らないところで動向を探るのも、それこそ気色悪いと思って止めた。

外回りを終えデスクに着き、キーボードを叩いていた時だ。事務の先輩が俺の方に茶を持ってきたかと思えば声をひそめてこう言った。

「土曜日一緒にいた子、彼女?随分年下みたいだったけど」
「ぶっ」
「やだ荒北くん汚いわね」

仕事もできて美人だが、男性社員から恐れられている彼女(33歳独身)は楽しそうに笑う。大丈夫秘密にしとくから、じゃねェよ。一体どのタイミングで見てたって言うんだまさか、…まさかまさか。冷汗が額を流れる様な気がした。体温がさーっと引いていく。

「や、ただの知り合いっスよォ…?」
「…そう、まあいいんだけど。お疲れ」

自分でも声が上擦っていやがったし、下手な嘘だというのは分かっていた。きっと彼女にもばれていたと思うが、それ以上何も追及してこなかったので俺も口を閉ざしパソコンと向き合った。…とりあえず別れ際のあの場面は見られていなかったみてェだ。あいつは大学生、20歳でつい最近まで未成年だったわけだ。そんなガキと俺は………。

深夜に感じた吐息と柔らかな体の感触。そして別れ際のキス。そんなことを思い出すと仕事が手につかず、いつまでたっても書類はまとまらなかった。



「あ、ブラックでいいっス」

さくっと書類はまとまるわけがなく、やっと仕事を終え今に至る。駅前いつものカフェ200円のブレンドコーヒー。コーヒーの良し悪しなんかが分かる俺ではないので、この値段のもので十分だった。先週の金曜日、あのクソガキと座った席とは違う喫煙席に座り、煙草に火をつけた。残りはあと2本しかねェ。つい最近買ったと思っていたが、大なり小なりストレスの多い毎日だ。知らねェ間に吸っていたのか。健康診断で吸いすぎだと去年は注意された気がする。何も変わっちゃいねェ。たんぱく質が足らないカルシウムが足らないだのなんだのも言われたが、特に改善しちゃいない。部活してた頃は細かくそういうの、気にしてたんだけどなァ…。みんな元気にしてっかな。箱根の温泉、久々に入りてェな。高校や大学の頃の部活の仲間たちの顔をふと思い出した。

最後の一口を流し込み、店を出る。空は暗いが星は見えない。そんな空を眺めながら、夕飯は何にすっかなんて考えてた。冷蔵庫には…思い出すと大したものは入っていなかったと思う。スッカスカで彼女いないだろ、ってか。笑っちまうが反論はできなかった。今日はやけにあのガキのことを思い出してしまう。先輩に言われたせいでもあるだろうが。



目の前に見えるのは何だろうか。俺の記憶違いでなけりゃこれはデジャヴというやつかもしれない。柔らかな笑みを浮かべてその桃色の唇から、何か楽し気に言葉を発する少女。その話をすぐ隣で聞いているのは、高そうなスーツを着たオッサン。いつもの駅前いつもの仕事終わり。俺は帰ってビールを飲みながらテレビを見る。そのつもりだった。だけど見てしまったもんは仕方ねェ。…いや、もしかしたら人違いかもしれない、止めとけよ。そんな心の声がした気もした。だけどどうしてだ、足は二人の方へと速度を上げる。頭に悶々と浮かんだまとまらない考えは何の意味もなかった。

「…ッオイ!」

掴んだ手首は想像していたよりも随分細くて、冷たかった。後ろから現れた俺の方を、反射的に振り返る彼女とオッサン。何怪訝そうな顔で見てンだよ、俺からしたらお前の方が変態だし相当危険だっつーの。俺を見上げる少女の顔は、間違いない。この間の、クソ生意気なあのガキだった。

「あの、」
「お前さァ、こんなオッサンと何やってるわけ?」
「荒北さん」
「荒北さん、じゃねェよ!!あんたも、こんなガキ連れまわして…」

俺の名前を覚えてたのか、とかそんなこたァどうでもいい。それよりも俺はこいつが懲りずに「そういうこと」をやってるということに腹が立った。全く関係の無い俺がどうしてだって、俺が一番聞きたい。だけど頭より先に体が動いた、それは理由にはならねェのか。

「君、この子の手を離しなさい」
「ハァ!?てめ、」
「荒北さん、落ち着いて。お父さんも」
「何が落ち着いて、って……オトウサン??」

いつの間にか俺とガキの間には、オトウサンと呼ばれた男が立っていた。待て、待て待てオトウサンっつーのは何だ、何人かいる内の一人か?「そういう」オトウサンか?偏見かもしれねェがオッサンの癖に、俺よりでけェしガタイもいい。自分の胸板の薄さをこんな所で思い知らされるとは思わなかった。しかもなんだ、どことなく品があってこの間見た奴とは雰囲気が全く違う。

「君、名前は?会社は?うちの娘に何か…?」

口調も声音も穏やかなはずなのに、なぜか圧力を感じる。目は笑ってはいるものの、その奥にあるのはきっと穏やかでは…ない。こいつはうちの会社の上司なんかより何倍もヤバい奴だ。俺の本能がそう言っている。どうやらこいつの父親ということは本当らしい。

「っ俺は、あんたの娘が…」
「お父さん、黙っててごめんなさい」
「…は?」

俺もただの変質者と思われるのは癪だったので、口を開いた。しかしそれはこのガキの言葉によって遮られた。それは俺もこのオッサンも、予想だにしていないことだった。さっきまで俺が掴んでいたあの細い手は、オッサンの袖口をきゅっと握っている。おいおい今ここで親父に「あのこと」を話すってのか。

「荒北さん、私の恋人なの」

…アレ?俺って年下の彼女とかいたっけェ?年下年上どうこうのまえに俺今、彼女いないんすけど?ハ?ふわりと微塵も動揺を感じさせない表情で、クソガキは俺に笑いかけた。
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