デッキブラシでコンクリートを擦る音。じりじりと照りつける太陽。上級生が水の抜かれたプールの中で騒いでいる。一年生はプールサイドや更衣室清掃。なんて地味。美化委員は花に水をあげるだけの簡単な役目かと思いきや、みんなのために汚いプールを洗うらしい。騙された。帰宅部の私には、これだけで十分こたえる。胸の間をつーっと汗が流れて気持ち悪い。学校指定の体操着は、ちっとも通気性がよくない。

「先輩たち、いいね。楽しそう」

やる気なんてほとんどない私に声をかけたのは、クラスのもう一人の美化委員、真波だった。彼もデッキブラシこそ持ってはいるものの、真面目に磨いていたようではないみたい。

「でも水着だよ、着替えるの面倒じゃない」

私たちと違って、水着に体操着の上だけを着た上級生。確かに体操着よりは涼しいのかもしれないけれど、スクール水着というものが私は色んな理由で嫌いだった。まず何よりださいし、高校生になって男の子と一緒に水泳だなんて。狭い更衣室で、服を全部脱ぐことも嫌いだった。人と一緒に着替えることはあまり好きじゃない。帰りも水を吸ったタオルなんかと持って帰るわけだから、重たいし、変なにおいもする。それらを思うとこれから始まる水泳という授業が憂鬱で仕方ない。

「ふーん。プール、嫌いなの?」
「泳ぐのは嫌いじゃないけど…」
「そっか。俺も」

へらっと笑ってそう答えた真波だったけれど、何に対しての同意か私にはいまいち分からなかった。曖昧な私の答えに対する答えなのだから、彼の言葉もきっとそんな感じなんだろう。それより私はじりじりしたこの暑さの方が気になった。

「てめ真波ィ!サボってんなヨ!」
「あ、先輩だ」

半ば棒立ちだった私たち(正確には真波)に突然投げかけられた声。水のないプールの底から聞こえてきたもので、ひょいと視線を向ければ目つきの悪い上級生が睨んでいた。何、あの人怖い。そんな私をよそに真波はその人へひらひらと手を振る。「自転車部の三年生なんだ」って言うけど、あなた怒られてるのにその笑顔は何。

「怒られちゃった。掃除しよっか」

一応怒られたということは自覚しているみたい。だけどその表情は「めんどくさいなあ」と言っている様な気がした。プール開き前だというのにとてもとても暑い。真波の首にも汗が一筋流れていた。ゆっくり流れたそれを彼は手の甲ですっと拭った。「あっち行こうよ」と彼が指さしたのは、ビート板置き場。少し日陰になっていて、いいかもと思った。デッキブラシはその辺に立てかけておいた。

「なんか、かび臭いね」
「何なんだろうね、ビート板って」
「俺まな板かと思ってた」
「何それ」

直射日光は当たらない、少しだけ涼しいところで黒ずんだビート板を磨く。白いクリーナーをつけて、ごしごしごし。水をかければ濁った色が流れた。何てことはない話をつらつらとする。真波は泳げるのか、とか。今度ある数学の小テストがやばい、とか。同じクラスだからといって一緒に掃除をしなくちゃいけないわけでもないのに、私たちはなぜか隣にいた。一年生の一学期。私は他のクラスに知り合いがあまりいないから、かもしれない。真波もそうなのかな。可哀想な私のことを察してくれて…そんなわけはないか。まあいいや、彼と話をするのは好きだし、一人でいるより何倍もマシだ。だいたいこういう清掃活動を、放課後にやらないでほしい。最近仲良くなったクラスの子たちから、アイスを食べに行こうって、せっかく誘われたのに。ついてないなあ。こすっては流し、こすっては流し。こすりすぎてじゅくじゅくになって、ぽろぽろビート板の端がなくなっていく。罪悪感はまるで感じない。だって私のじゃないし、学校のプール、嫌いだし。



「あー暑い」
「暑いね」

さっきから何度このやり取りをしているんだろう。口にしたところで何も変わらないのは十分分かってはいるけれど、言わずにはいられないのだ。暑い。流れる汗が気持ち悪い。みんみんみんみん、蝉の声が「夏」だということを意識させて、耳障りだ。

「見て、プールの中、綺麗になってる」
「…そうかなあ」
「なんとなくね。水入るの楽しみ」

真波の顔はわくわくしていた。さっきまで面倒くさそうに、プールサイドをぷらぷら歩いていたくせに。それは私も同じなんだけど。水に入るのが気持ちいいのは分かる。分かるけど、やっぱり私は学校のプールは好きじゃない。みんなで揃ってする準備運動も、あのカルキ臭さも。だけど終わった後に飲むお茶は好きだった。

「ねえ真波」
「なあに」

憂鬱な気持ちを晴らしたくて、いつも笑っている真波に明るさを求めるような気持ちで声をかけた。ずっと座っていたから腰が痛い。すっくと立って背筋を伸ばせば、ぼきぼきと音がした。

「真波は夏、好き?」

ビート板をごしごし磨いていた手は止まり、私の方を見上げる。その視線は少し眩しそうにも見えた。みーんみんみんと鳴く蝉や騒ぐ人たちの声が、私たちの会話の邪魔をする。へらっと笑って、また視線をビート板にもどした彼の口元が動いた。聞こえなかったけれど、「すきだよ」と言った気がした。とても短い夏。私は、好き。

「夏が終わるの、嫌だなあ」
「まだ終わってないよ」

何気なく零した私の言葉に対して、軽く言ってくれた彼の言葉が嬉しかった。去年も夏はあった。今年も。そしてまた当然、来年もこの暑い季節は来るというのに、私は何を怖がっているんだろう。憂鬱になっているんだろう。プールのせいだけじゃない。もやもやした、陽炎みたいなぼんやりした不安。小さいころお母さんとプールに行って、帰りがけに買ってもらったアイスがとても美味しかった。それはいつも夕方で、「帰りたくない」なんて思った。中学生になって、高校生になって、プールに入る、なんてことをあまりしなくなった。授業で入るそれだけで、億劫な気持ちにしかなれなかった。小さいころに感じていたあの気持ちは、もう今の私に感じることはできないのかな。それはなんだかやっぱり寂しいと思った。下を向いてごしごしとビート板をこする真波の表情は見えない。

「ねぇ、終わったらアイス食べに行こう」

みーんみんみんと、蝉が鳴いている。動きをぴたり止めて、顔を上げた彼はにっこり笑って「うん」と言ってくれた。それを見て、昔感じた「プール終わり」を思い出せるような気がした。


20150804
「ねえ、終わったらアイス食べに行こう」
story with 美々 san
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