別に甘いものなんて特別好きでもなかった。だけど目の前にさァ食え、と出されれば食うし、嫌いという訳でもなかった。つまりは、まあ普通。 「荒北もそういうの食べるんだね」 俺の注文したパンケーキを見て、楽しそうに彼女は笑った。なんとなく今日は甘いものが食いたかった。それで単純に店一番のオススメとかいう、これにした。それだけだ。久しぶりに会ったみょうじさんは、すっかりオトナで、大学生の俺なんかとは纏っている雰囲気がまるで違うような気がした。そんなに年の差があるわけではないのに、やはり学生と社会人というのでは全く違うんだろう。社会人、というものが今の俺にはいまいち想像できないけれど。 「部活は、順調?」 「まァ…みょうじさん、卒業してからまだ部活来てませんでしたっけ」 「うん、まだだよー。仕事けっこう忙しくて」 なにが来てませんでしたっけ、だ。この人が来てくれるのを一番待っていたのは俺だった。だから来ていないことなんて、知っていた。多分仕事が忙しいんだろうということも、分かっていた。ただの後輩である俺が「来い」だなんて、そんなこと言えるはずはなかった。「来て欲しい」だとか、それくらいなら口にしてもよかったのかもしれない。だけどそれはあまりに照れくさかったし、俺の気持ちがバレてしまいそうでビビって口にはできなかった。だから金城のやつが「みょうじさんに連絡した」だなんて言いやがったから、とりあえず一発あの坊主殴ってやった。それに対して妙に優しげな微笑みを投げてきたから、もう一発殴った。畜生。だけどそんなクソ坊主のおかげ(?)で俺は今ここにみょうじさんといれるのだから、礼を言うべきなのか。 「金城は、バイト?」 「…みたいっスね」 「そっか、明日の部活も楽しみだけど、二人がこうやって誘ってくれてよかった」 彼女は目の前にあるパンケーキを丁寧に切って、口に運ぶ。俺はというとまだなんとなく食う気分になれなくて、一口アイスコーヒーを飲んだ。この人と二人きりなんて、スッゲェ嬉しいけど、心臓に悪ィ。早く来いよクソ坊主。自分の頼んだパンケーキの上にある生クリームが、ひどく多いように見えた。ちょっと、これ、甘すぎるんじゃナァイ…? 「荒北はさぁ」 「ハイ」 「今彼女とかいるの?」 「…ぶっ」 なんてベタな反応をしてンだヨ。若干口からコーヒーが吹き出してしまった。本当に若干、だけど汚ェ…。彼女は幸いにもパンケーキを切るのに夢中で、そんな俺のことを見てはいなかった。 「い、いない…ですネ」 「へぇ、そうなんだ」 「…」 「…」 「…みょうじさん、は」 「…私?」 きょとんと、顔を上げて俺の方に視線を向ける彼女。こんなことくらいで俺の気持ちがバレてしまう、と心配してしまう自分が嫌だ。中学生か。 「あはは、残念ながらいないよ」 また一口ぱくりと、パンケーキを口に運んでそう言った。大学の頃付き合っていた同じ学部の奴とは 別れたんだろうか。俺はそいつのことがいけ好かネェと思っていたから、卒業した後のことはおろか、名前も顔もよく知らなかった。 「…ハァ」 「何、聞いておいてそういう反応するの」 「や、別に…」 「深い意味はないって?ごめんごめん」 「イエ…」 大学の頃と変わらない笑顔で彼女は笑った。変わらない笑顔、だけどその目の下には疲れた様な隈が見えた。化粧のことなんか全然分かんネェけど、多分そんなもんじゃ隠しきれないんだと思うとやりきれない気持ちになった。俺はこの人に何をしてやれるわけでもないし、この人にとっての何者でもネェから。 「食べないの」 「今から食いますヨォ」 「わ、何何荒北反抗期なの」 「何スか、やめてくださいヨ反抗期って…」 「だってー。まあいいや、早くお食べ。給料の少ない私のおごりだから。ありがたーく食べるんだよ」 「わー、食いづれェ…」 ナイフでなんとなく切って、さぁ食うか、としていたら彼女から静止の言葉が挟まれた。食え食えと言っておきながら、何だって言うんだ。 「蜂蜜!」 「ハチミツゥ?」 「これが人気な理由なんだって。騙されたと思ってかけてみなよ。ほんと、美味しいから」 はいどうぞと渡されたソーサーの中には、透き通るほどに綺麗な黄金色。蜂蜜なんてそういえば最近全く口にしていなかったかもしれない。そういやみょうじさんの作る蜂蜜レモンは美味かったなァ。この人はそんなこと覚えているんだろうか。部員全員のため、という名目のものだったけれど、俺はそれがどんな差し入れより好きだった。この人が卒業してからそれも食えなくなって、記憶から薄れてしまっていたのか。あんなに好きだったのに。あえてそれを今言おうとは思わなかった。 「甘いっスか」 「そんなに」 「じゃ、少しだけ」 「うんうん」 かけすぎないように、そっとソーサーを傾ける。さらさらしすぎず、どろどろしすぎず。だけどとても滑らかでかつ濃厚そうな蜂蜜。アー確かにこれは美味そう、かも。ほんの少しの予定だったけれど、もう少しだけかけることにした。 「荒北ぁ」 「ハイ」 「金城には悪いんだけど、」 「ハァイ」 「二人でどこか行きたいな」 「ハァ」 「荒北私のこと、好き?」 「ハイ」 「私も」 「…」 「…」 「…ハ?」 「あ、蜂蜜すごいねそれ」 それ、と指差された先には俺のパンケーキ。俺の右手は傾いたままで、ぽとり、ぽとりと雫を垂らすソーサー。つまりそれはその中身がほぼないということ。つまり、俺のパンケーキは蜂蜜まみれになっていたわけで…。 「ゲッ!!」 「なんだ荒北、甘党だったんだね」 「あ、あの!!」 そんなことより、や、これはこれでスッゲー大事ではあるんだけど。先程ぼうっとしたまま聞いていた彼女の話。あれは単なる聞き間違いか?この人と久しぶりに会って浮かれていた俺の、都合のいい解釈か。いや、そんなはずはない。そうであって欲しくない。だけどにわかには信じられず、口を開いた。 「…冗談は、止めて下さ「ほんとだよ」 ぱっと顔を上げると、真っ直ぐ俺のことを見ているみょうじさん。その目はふざけているようにはまるで見えず、逸らすことができなかった。 「もっといい雰囲気で言いたかったんだけど、急いじゃった。荒北、全然気付いてくれないんだもん」 「…え」 カラン、と氷のぶつかる音。グラスをかき混ぜながらも、視線は落とさず依然として俺に注がれたまま。 「さっきの、荒北は、ほんと?」 「…っ」 「今すぐ付き合って、とか言わないよ。だけど私は荒北のこと、好きになっちゃった。卒業してからだなんて、都合がいいかな。だけどずっと好きだったよ」 そんなの。そんなのはずりィ。俺はアンタしか見ていなかった。ほんと?だなんて、そんなのアンタが本当は一番分かっているんじゃないのか。少しだけオトナになったアンタのその、余裕な顔がむかつく。たまらなく、ずっと欲しかった人。俺から言うはず…だったのに。だけどずっと言えなかった。むかつくとは思いながらも結局俺はこの人の後ろばかりを歩いている様な、そんな気持ちになった。不甲斐なさが胸の中に溜まってゆく。 「…っ俺はァ」 「はい」 「俺は、初めて会った時からアンタしか見てなかった。彼氏がいた時、スッゲーむかついた。社会人になって、部活に全然来なくなったのも…忙しいってのは分かる…けど、むかついたんだよ」 今度は俺がこの人の目をじっと見てから言ってやった。正直言うとスッゲェ恥ずかしいし、自分でも顔が赤くなってンだろうなって思う。かっこよく決めるつもりが、こんなんになっちまった。 「…それは、なんだろ。両想いってことで、いいのかな」 「…っ馬鹿か、アンタ」 「あはは、馬鹿って。私一応先輩なんだけどなあ」 「…アー…」 「ねぇ、金城にごめんって連絡しとくね」 「…いいんスか」 「でも、それ食べてからね」 照れくさくなったのもあって、下を向くと手をつけられていないパンケーキ。蜂蜜をかけてから時間が経ち、先程よりさらにひたひただ。想像しただけで口の中が甘くなって、虫歯にでもなるみてェだ。これ、食べンのォ?俺が? 「荒北、」 「…ハイ」 「好きです」 案の定顔を上げると、こちらをじいっと見つめるみょうじさんがいた。小首を傾げている、この人が何を求めてンのかが今の俺にはすぐ分かった。変わらずこの人の思い通りになっているのに、悔しさを感じつつも俺はそれに応えることにした。何よりまァ、そういう気分でもあったし。金城、今日は悪ィ。 「…俺も好きですヨォ」 満足そうに笑う顔が見えた。 20150513 forなぎ様 |