昼間、それも雨の日に入るお風呂がとてつもなく好きだった。明るい時間に、しとしととした雰囲気を感じながら生温い湯に浸かる。いつもより自分の肌が綺麗に見える気がしてそれも好きだった。今日は生憎お気に入りの入浴剤は切れている。だけど香りも色もない、透明のお湯も悪くはなかった。ぱしゃりと自分で波を立てて遊んでみたりもする。一人暮らしを初めて、実家の浴槽の広さを感じて有難かったなと思う。足も十分に伸ばすことのできないこの狭い湯船の中、家族のことを思って目を閉じた。


(…あれ)


今、何か物音がしたような。したような、というか確実にバタンという、玄関の音がした。お隣さんとかそういうわけではなくて、他でもない私の家の玄関の音。合鍵を渡しているのは一人しかいない。だから別にそんなに驚くことでもないんだけど、多分不審者でなければ。その合鍵を持った人物は今日来るなんて、聞いていない。やっぱりもしや不審者…いや、そんなはずはない。このアパート家賃はそこそこだし、セキュリティはちゃんとしていると思うんだけど…。と、うだうだお湯の中で考えていたらすぐに声がした。

「せんぱーい、俺です。あれ?あ、お風呂ですかー?」


あ、よかった。やっぱりあの子だった。真波。まったく、一瞬でも焦らせないでほしい。というか、連絡ぐらいしてよね。


「真波ー?今日来るって言ってたっけ?」
「あはは、来ちゃいましたー」
「来ちゃいましたーって、あんたねぇ…」
「よかったーいてくれて。あ、どうぞお風呂ゆっくり入って下さい。俺待ってますんで」

ゆっくりって言われても、ゆっくりできないでしょ…。もう少し湯船に浸かっていたかったけれど、髪の毛だけさっさと洗って出よう。入浴剤が切れていたのはちょうど良かったのかもしれない。

ドライヤーで適当に髪を乾かして、うっすらと化粧をした。すっぴんを見られたことはあるけれど、まだお昼だし、きっと真波はある程度きちんとした格好で来てくれているだろうから。だけど服装はゆるっとしたルームワンピース。これくらいは許してほしい。

「早かったですね」

部屋に戻ると真波がキッチンに立っていた。その手には見慣れない洒落たパッケージのお茶?が握られていた。

「ん、どうしたの真波」
「これ、来る途中買ったんです、紅茶」
「別にあるのに」
「先輩紅茶好きだから。今日はそれに少し寒いし、お土産ですよ」
「…」


お土産だって。いつもはそんなの持ってこないくせに今日はどうしたんだろう。気が向いたのかなあ。お湯がしゅんしゅん湧いている。タイミングばっちりだね。少しだけ彼の髪の毛も濡れていた。まだ雨は降っている。

「あ、沸いた沸いた〜」
「何紅茶?」
「バニラみたいです、あ、牛乳あります?」

あります?なんて聞きながら冷蔵庫を勝手に開けてごそごそし出す。別にいいけど、牛乳まだあったかな。最近飲んでいないから、賞味期限がやばかったりするかもしれない。私の心配をよそに彼は鼻歌交じりに牛乳を注ぐ。あ、大丈夫、だったのかな。そして砂糖を入れて、くるくるとかき混ぜる。我が家のキッチン状況をよーくご存じで。いい香りがする。ほんとだ、バニラ。

「おいしそう」
「でしょ、先輩好きだと思いますよ」
「ありがと…」

はい、と手渡されたカップは温かくて、本当に甘くて優しい香りがした。いつも自分でお茶なんて淹れているけれど、やっぱり誰かが、それも真波が淹れてくれたとなると、全然違う。

「あ、美味しい」
「わーい。よかった」

そう言って真波もずず、と一口飲んで微笑んだ。今日会えると思ってもいなかったので、彼の訪問に私の顔も綻んでしまう。私が高校を卒業して、今までの様に毎日は会えなくなった。そのことを別に「寂しい」だとかお互い口にはしなかった。だけど私はいつだって会いたいと思っていた。それでもやっぱり年上だし、こんなことを言うと面倒な女だと思われそうだから黙っている。

「真波ミルクティー好きなの?」
「うーん。どうだろう」
「何それ」
「いやあ、高校の時先輩よく自販機で買ってたじゃないですか」
「…え」
「荒北さんはベプシで、先輩はミルクティーってイメージがあって」

でしょ?って。にっこりと微笑むその笑顔は計算なのか天然なのか。付き合ってそれなりに時間が経つけれど、未だによく分かっていなかったりする。荒北が言っていた不思議チャンという呼び名もしっくりきていたわけだ。

「え、そうだったかな」
「そうですよー」
「ふーん…」
「ふーんって、ひどいなあ先輩」

私がマネージャーを引退してから真波とお付き合い…を始めたわけで、つまり真波は私のことをそれなりに気にしてくれていた…ってことでいいのかな。私ばかりが彼のことを好きな気がしていたけれど、真波の今の言葉を聞いて、自惚れてしまいそうになる。きっと深い意味なんてないんだろうけど、それでも十分嬉しかった。一人でうーんと真波の考えについて深読みしていたら、強い視線を感じた。きらきらした瞳が私を見ている。

「好きですか?」
「え、うん。どこで買ったのこれ」
「じゃなくて」
「?」

何がそんなに楽しいのかってぐらい、にこにこした笑顔を浮かべている。あまりにも無垢なその瞳が逆に怖かったりする。山を登っている時の目とはまた違う怖さ。

「…先輩って、鈍感ですよね」
「…まな、」
「クッキーもありますよ、食べましょー」

…多分、その質問の意味を私は分かってる。だけどそんなもの、分からないふりをした。だってあまりにも真波の笑顔が綺麗で、怖かった。どうしようもない程に私は真波のことが好き。一瞬でも力を抜いてしまえばきっときっと私は彼に溺れてしまうなんてこと、分かっている。だからこんな風に気づかないふりや、余裕の素振りを見せないと私が私でいられなくなる。いっそ溺れてしまうのもいいのかもしれない、だけどそれにはまだ少しだけ早い様な、そんな気もするのだ。だけどこんなに脆い仮面を被った「年上」の私を、彼は見破っているのかもしれない。そんなことを考えていても答えなんて結局出なくて、頭が痛くなってきた。彼の持っている美味しそうなクッキーに目をやり、「食べる」とそれだけ答えた。




20150503
for香織様


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