十二話


京都が好きだ好きだと言いながら、かの有名な伏見稲荷大社に行ったことがないというのは、「京都好き」と名乗るにはまだまだ未熟だった。今回の旅は一人というのもあって、わりと行きあたりばったりみたいなところが多い。反省するところは多々あるけれど、ハプニングのおかげか、楽しい出会いもあってまあつまりは結果オーライ、だなんて思えてしまっている。

駅を降りると周りには意外と学校や商店街などがあり、もっと田舎なものだと思っていたので正直少し驚いた。昨日出会ったみんなは京都伏見高校、だって言っていた。見慣れた景色でこういうことは何度も言われているのかもしれない。だけどやっぱり私は、そんなみんなの暮らしている日常が羨ましいと思う。

昔ながらの雰囲気を残す商店街や、たくさんの寺社仏閣にも心惹かれるけれど、やっぱりまずは伏見稲荷大社。わくわく逸る気持ちを抑えられない。周りの観光客の人たちの流れに乗って私もそこを目指した。

表参道を進むと、立派な楼門が見えて思わず足が止まってしまった。私の頭の中にあった朱色が今目の前にある。文字通りその門構え、はとても堂々としていて威厳と強さ、そして神秘的な魅力を放っているような気がした。全国にある稲荷神社の総本宮というだけある。この美しさを写真に残したい、そう思ってカメラを構えたけれどシャッターをなかなか切ることができない。

(…帰りに撮ろうかな)

理由は特に分からなくて、ただなんとなく写真を撮る気になれなかった。自分の腕前が初心者の中の初心者だということなど百も承知だ。だから素晴らしい写真が撮れないから!だとかそんな大それた理由はなかった。本当にただなんとなく、「今じゃないな」って、そんな理由。




楼門と本殿を通り過ぎ、ついに待ち焦がれた千本鳥居。人はもちろんたくさんいるけれど、それ以上に鳥居の多さに圧倒されてまたも私は立ち止まるしかない。地元のおばさんから「千本」という名ではあるものの、実際一万を超える鳥居があるという話を聞いて、改めてこの地の歴史を感じた。お金を払えば私も鳥居を奉納することができるらしいんだけど、いくらかかるんだろう…。そんなことができたらとても素敵だと思うけれど、なにぶんまだまだミーハーだし、軽い気持ちで奉納するものでもないと思う。そんなわけでその話は笑って聞き流してしまった。

それにしても数々連なる朱色の光景は息を呑むものがある。写真で見たことは何度もあるけれど、来てよかったと心から思う。空は晴れ渡っていて、鳥居の間から光が差し込んでいる。鳥居の影か木々の葉の影か、それとも歩いている人たちのものか。ゆらゆら揺れている影がまた神秘的な雰囲気に拍車をかける。見る角度によって朱色は表情を変えて、おもしろい。なんてベタな考えなんだろうとは思うけれど、不思議な世界に迷い込んでしまった、それこそ昔の日本にタイムスリップしたようなそんな気持ち。カメラや携帯電話を持っておきながら、だけど。ここでも写真を撮りたい、と思っていたけれどどうもそんな気分にはなれなくてただぼうっとこの朱色の中を歩いた。



結局気持ちが乗らなくて、なんとなく撮ったものが5、6枚。だけどそれで十分だった。私がここに来て、撮ったという事実。形に残るものは分かりやすくて好きだけど、初めて見たあの朱色で私の胸はいっぱいだった。

稲荷大社を後に、何かお土産を買いたくて商店街の方へと向かった。せっかくだから狐モチーフのものが欲しいなあなんて思いながら、特にあてもなく歩いた。食べられるものがいいかな…それとも置物もあり?あっ、あのお面いいなあ。浮かんでは消える私の頭の中の考え達。そんな風に浮かれた、半分夢心地で歩いていたら肩に衝撃を感じた。

「あっごめんなさい、」
「いたっ、…あー」
「あ…」

普通、人とぶつかってもそこで何事もなかったようにすれ違う。だけど私のぶつかった彼女はそうではなかった。ぴた、と足を止め私の顔をじっと見た。その顔に私は見覚えがあった。ここに来る前のカフェ、私の後ろに並んでいた子だった。もちろんあの彼氏と思しき男も一緒にいて、私の方を見ている。少しだけ嫌な予感がする。私の楽しい時間を、綺麗な時間を汚さないで。心臓がどきどきする。見ず知らずの人に、どうやら好意的とは反対の感情を向けられているみたい。

「気をつけて下さ〜い」
「ご、ごめんなさい」

挑発するようなその声音はひどく不快だった。おそらく、あの抹茶フォンデュが食べられなかった腹いせも込められているような気がした。そんなの私の知ったことではないし、とても幼稚だと思うけれどきっとそう。そうでなければこんなにも彼女から恨みを買う覚えなんてない。隣にいる彼氏はというと、半笑いを浮かべて何も言いやしない。女の子の趣味、悪いな…なんてことをうっすらと思った。

「女ひとりで京都とか、寂しい〜。ねっ」
「な〜…一人はねぇよ」

…何これ。百歩譲って私がぶつかったことは謝るけれど、それ以外のことに関してはあなたたちに何を言われる筋合いもない。話し方や態度に不快感、怒りを通り越して呆れてしまう。そんなに年も私と変わらないと思うんだけど、あまりに馬鹿馬鹿しい。どうしてそんなことを言われなくちゃいけないの。旅行に来て、他人によくそんなことを言おうという気になったものだ。私が怯えていると思ったのか、くすくすと二人で何やら笑っている。時間の無駄だと思い、もう立ち去ろうと背中を向けた。

「ハァ〜。品のない観光客はこれだから嫌いやわぁ」

後ろから聞こえた気だるげな声。初めそれは私たちには関係のない、別のところでなされた会話だと思って振り返りはしなかった。だけど、その声は先ほどのカップルへと言葉を投げつけた。私は、まだ振り向くことができない。

「な、何だよお前」
「べぇつにぃ〜?あんたらずぅっと一緒なんやね。どこ行くんもずぅっと。一人でおる人み〜んな寂しいって思うん?阿保くさぁ」
「はあ?いきなり失礼じゃないの?」
「イキナリィ?それ言うたらあんたらも一緒やで。怖いわ〜、京都が汚されてまう」

声、話し方。まさかまさかとは思ったけれど、振り返るしか私には選択肢はなかった。ひょろりと長い手足、大きな黒い目に綺麗な歯並び。他人の空似なんかじゃない。だってその隣には特徴的な、あの自転車があったから。私はそれとその人物をはっきりと覚えていた。

「御堂筋くん、」