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夜の公園。お父さんの煙草をこっそり一本持ち出して、台所にあったマッチで火をつけた。ライターは触ったことがなくて怖かった。しゅ、しゅとマッチは音を立てる。一度では上手く火が付かない。そういえばマッチなんて使うの、いつぶりだろう。もう煙草を吸ってもいい年なのに、とても悪いことをしているみたいで妙な心地がする。

(…ついた)

一瞬躊躇ったけれど、それをぱくりと口にくわえてみる。すう、と空気を吸う。妙な心地がして、変な空気が体の中に入って来る。違和感しか感じなくて、すぐに口から煙草を放し、息を吐き出す。苦しい。濁った煙が私の口から出て行く。呼吸なんて常にしているのに、それをどの様にやればいいのかが分からない。酸素を求めているのに、むせてしまってただ苦しいばかり。

「げほっ!げほっ…」

何これ何これ、全然美味しくも楽しくもなんともない。どうしてこんなものが好きなんだろう。苦しくて涙が出てきてしまった。ほんの少し吸っただけなのに、この有り様。私はきっと一生喫煙者になんてならない。受動喫煙でも大嫌いなのに、自分自身が吸うだなんて。好奇心で手を出したのが間違いだった。火のついた煙草を地面に落とし、持っていたペットボトルのジュースをかけた。甘い香りに、蟻が寄ってきたらどうしよう。お父さん一本無駄にしてごめんなさい。

こんなことになったのも、石垣さんのせいだ。社会人になって、煙草を吸うようになった、石垣さん。大学生になっても、「俺は煙草吸う大人にはならへんよ」って言っていたあの人は大嘘つきだ。あんなことを言っていたくせに、今ではかなりのヘビースモーカー。ロードに乗る頻度は、学生の頃に比べるとぐっと落ちた。元アシストの現在の姿を、今でも現役の御堂筋くんが見たら何て言うかな。

吸い始めた理由を聞いても、明確な応えは返って来ずぼんやりとしたものだった。だからこそ私は気になったし、自分で試してみようという気になった。そこで納得できればよかったのかもしれない。だけど、できなかった。ただ苦しくて、臭いだけ。いいところなんて見つからない。寿命が縮まる、病気になると何度言っても止める気配はなかった。「我慢して下さい」とお決まりのワードを出しても、それは変わらなかった。なにが我慢の石垣光太郎だ。

このためだけに外へ出たなんて馬鹿馬鹿しいから、奴に電話をかけてみることにした。ポケットに入れた携帯の充電はそんなに残っていない。もう仕事は終わっている時間だと思う。家にいるかなあ。

「もしもし」

意外にも電話はすぐに繋がった。その声音は至っていつも通りで、周りも騒がしくはないみたい。私が煙草を吸ったりなんかして、石垣さんに対して勝手に怒ってる。そんな事情知りもしない彼は「どうしたん珍しなぁ」なんて呑気に笑っている。自分だって、あんまり電話かけてきてくれないじゃないですか。別に遠距離恋愛でもないし、毎日毎日電話してほしいわけじゃない。だけどいつだって電話をかけるのは私から。

「なんとなく、声が聞きたくて」
「おー…」

おーって何ですかおーって。こんな甘えるみたいなこと、普段は全然言わないから変に思われたのかも。ほとんど嘘だけど、少し本当。石垣さんの声を聞くとやっぱり安心するから。だけど御堂筋くんもいい声してると思う。それは内緒。

「石垣さん、今お家ですか?」
「ん?せやで」
「煙草吸いすぎちゃ駄目ですよ」
「はは、気ぃつけるわ」

いつもそう言うけど、会うたび煙草の香りがする。私の前では極力吸わないようにしているみたいだけど、私の鼻も覚えてる。石垣さんが吸っている銘柄も知ってる。

「病気になっちゃいますよ」
「せやなー、分かってはいるんやけど…」
「私煙草嫌いですもん」
「すまんなぁ」

ははは、じゃない!本当はもっと言いたいけれど、頻繁にこういうことばかりを言っていたらうざい彼女だと思われてしまう。今日はもうこの辺で止めておこうかな。

「なまえ」
「はい」
「妙な話やけど」
「…?はい、」
「やっぱ、その…」
「…?」
「キスする時って、煙草の…」
「…あー………」

歯切れが悪いと思ったらそういうことか。本当に妙な話ですよね。まさか石垣さんがそんなこと聞くとは思わなかった。煙草の香りのキス、だなんて聞こえは大人っぽくて、何かドラマか映画みたいだけど、実際は違う。石垣さんは確かにとてもかっこよくて優しいけれど、それとこれとは色々な話が違う。

「しますね、煙草の」
「や、やっぱりそうなんや…」

電話の向こう側で、肩を落としている石垣さんが見える気がした。誰のせいですか、誰の。石垣さんとのキスは好きだけど、やっぱり煙草の臭いは好きじゃない。唇に触れてくれる優しい感触は彼のものだけど、その香りは違うから。彼が吸っているものでも、それが彼の一部だと私は感じなかった。あんな煙なんかに私の好きな人が支配されてしまっている気がして、どうしたって好きにはなれなかった。

「嫌やろ、やっぱりそれは」
「…好きじゃないです」
「禁煙…せなあかんな」
「してくれます?」
「…我慢や」
「出た」
「口寂しくなったら相手してくれるんやろ」
「…石垣さん酔ってます?」

酔ってへんよ、まだビール二本しか飲んでへんし…っていうのは、ほろ酔いですやん。この人はこれだから困る。さっき家って言っていたから、一人で飲んでるのかな。

「私もご一緒していいですか?」
「え、今どこおるん。迎え行くで」
「あ、大丈夫です。石垣さんは待ってて下さい!」

ぷつりと電話を切って、今夜は友達の家に泊まりますとお母さんに連絡を入れた。さっき吸った煙草の香りはまだ私の中に残っているかな。いつも私が感じていたこれを、石垣さんにも味わって欲しい。彼女から煙草の臭いがするって、嫌じゃない?私が男だったら絶対嫌なんだけど。その辺、石垣さんに聞いてみよう。どんな顔をするのかがとても楽しみ。びっくりするかな、怒るかな。怒られそうだ。今夜は私からキスをしてみよう。ほろ酔いの石垣さんが思わずヒートアップしてしまうかもしれない。禁煙を誓ってくれるなら、ノってもいいかなあ。軽い足取りで彼の家を目指した。


20150507
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