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梅の花が満開だった。冬の寒さに耐え咲くその花はとても、とても綺麗だった。鼻をくすぐる香りは強すぎず、けれど自らの美しさをそっと主張している気がした。毎年この神社に咲くのは知っていた。綺麗だなあと、ぼんやり思っていた。今年は、今は、なぜ私はこのように立ち止まってこの花々を見ているのだろうか。境内に入るつもりもなかった。自然と、足がこの花の方へと引き寄せられた。そんな気がしていた。時間帯のせいでもあるが、まだ少し肌寒く参拝者はまばらだ。そんな春の静かな朝。綺麗、と自然に声が出た。私の声は誰にも聞こえていない。紅梅に白梅、二種が植えてあるこの神社は分かりにくい場所にあるものの、その手入れはとても行き届いており、神社という聖域の雰囲気に文字通り華を添えている。

(写真でも撮ろうかな…)

おもむろに鞄の中から携帯電話を取り出す。綺麗、だと感じたこの花々を、風景を残しておきたいと思った。どの辺りを撮ろうかと境内をぶらつく。人が少ない時間帯に来てよかった。どの木も美しいけれど、私が惹かれたのは少々背の低い紅梅だった。枝もまだ細くどこか頼りないけれど、その先に咲く紅い花びらは柔らかで優しく、凛とした美しさを放っていた。もっと近くで見たい、と足を一歩踏み出したその時。


(…あ、)


私が綺麗だと思ったその紅梅の一角に、人がいると気がついた。その人は私には気がついていないようだった。すらりと高い背丈に黒い学生服を着ている。きっと同い年くらいだと思う。あの制服は見たことがある、えっと、名前は忘れたけれどこのあたりの高校。その人は長い指をそっと枝に添え、顔を花びらへと近づけていた。瞳は軽く閉じられていて表情は読み取れない。枝に触るなんて、と普段の私なら怒りを覚えていたかもしれない。しかし今は、私の目の前にいる彼の仕草は全てが柔らかく、穏やかに見えた。あくまでも私の主観であるけれど、彼のその仕草は花に口づけでもしているかのようだった。


(…えっと、)


伏せられていた目は開かれ、私の方を見ていた。それは気のせいではなく、黒々とした気だるい視線が確かに私に向けられていた。私は見られている、という意識もあってかこの場から動くことができない。視線を外したと、そのように思われるかもしれない。見知らぬ誰かに対してどのように思われてもいいのに、何故か視線を外せずにいたのだ。外してはいけない、私の中の何かがそう言っている。第六感というやつかもしれない。


「こ、こんにちは…」
「…」

多分私の声は聞こえている。視線を絡ませているのが気まずくなって思わず出た言葉だった。挨拶という、なんとも当たり障りのないもの。花びらに口づけていた彼は、ゆっくりと私の方へと近づいて来る。一歩、また一歩。止まった。2mほどの距離が私たちの間にはある。まさか近づいてくるなんて思わなかった。こんにちは、はい、こんにちは、それでよかったのに。眉一つ動かさず、彼は黙ったまま。返事をしてくれないのなら、近づいて来てくれなくてもよかったのに。妙に気恥ずかしくなってしまい、何も言葉が出てこない。口を開けずもだもだとしている私にはお構いなしに、彼が軽く息を吸う。そして、何かを私に向けて言う。


「おおきに」


確かに彼はそう言った。それはお礼の言葉であったけれど、私は彼に対して何もしていないし、会ったのも初めてで偶然。お礼を言われる筋合いなどなかった。普通であれば嬉しいその言葉も、奇妙なものにしか聞こえなかった。

「あの、」


目を細めてにんまりと笑うその笑顔はお世辞にも素敵、と言えるものではなかった。だけど先ほどの彼の仕草は紛れもなく素敵、なものだった。きっと誰にも真似なんてできない。彼の纏う浮世離れした雰囲気のせいかもしれない。


「どうしてさっき」
「ほなね」
「待って、」

くるりと後ろを向いた彼は木々の間を通って去って行く。花に光が反射しているのか、いや、そんなことあるわけない。とてもとても眩しい光が彼を包み込んでいる。太陽はまだ高い位置にない。おかしい。光はどんどんどんどん輝きを増して、増して、白くなる。その光の中に彼はゆっくりと消えて行く。私は前に進むことができない。声を出すこともできなかった。目が、開けられない。待って、



◇◆




すごい汗だった。背中はびっしょりと濡れている。私の部屋、目の前に見えるのはいつもの天井だった。ーー夢、だったのか。オチも何もない夢だった。だけどどうしてだろう胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちになった。悲しい、寂しい、虚しい。そんな気持ち。あの男の子は誰。知らない人だった。だけど顔を鮮明に思い出すことができる。目が覚めてしまって今日は少し早く家を出ることにした。


「…綺麗、」



夢にも出てきた神社は、変わらず梅が見事に咲いていた。そよそよとした風が心地良い。人の気配は無く、ここにいるのは私と石狐のみ。にんまり笑ったような狐の表情は好きでもあったし時々気味悪いとも思った。けれどいつも自分の解釈で見ているので、嫌いではなかった。私のことをじっと彼らは見ている様な気がした。気のせい。



夢見た場所に赴く、なんて私にも可愛らしいところがあるじゃないか。そんなことをふと思ってもみたりした。当然のことながらあの男の子はいない。黒くて大きな目にひょろりとした立ち姿。それにあのにんまり笑った時に見えた綺麗な並びの歯。こんなにも鮮明に覚えているなんて我ながら不思議でしかない。会ったこともないのに、どうしてだろう。あの人は実在するのだろうか。声は思い出すことができない。景色は思い出せるのに、音が分からないのだ。


もうすぐ桜が咲く。花は綺麗だから好き。すぐ散ってしまって切ない、とはよく言うけれど私たちはそんなことすぐに忘れてしまうのだ。儚いからこそ素晴らしい、だなんてなんとも月並みな表現である。嬉しいことも悲しいことも、時間が経てばその記憶は少なからず薄れてしまうもの。悲しいけれどそれは本当で、私が今こんなくだらないとりとめもないことを考えていたということもきっときっと、忘れてしまう。

(だからあの夢もきっと)

優しい香りが鼻をくすぐる。これもまたありきたりな言葉だけれど、春の香りなのだと思う。出会いと別れ、始まり。そんな季節だからか、妙に感傷的にもなれた。神社を横目に歩き出す。夢は夢。そんな当たり前のこと、分かってはいたけれど少しだけがっかりしている自分がいた。どうして?あの男の子がいなかったから?名前も知らないのに?
綺麗な花を見ることができただけで、満足。有意義な朝を過ごすことができた。これで十分じゃない。もういちど神社の梅を見て「綺麗」と呟いた。それは自然に出たものではなくて、言おうとして、言った意図的なもの。口にすることで何かが変わるかな、なんて夢見がちなことを思った。当然、何も起こらないし変わるはずもない。馬鹿みたいだ。

(帰ろう)

もう一度彼が夢に出てきてくれたなら、またここに来てみよう。桜が咲く頃だと嬉しい、なんてまた非現実的なことを思った。春の陽気のせいかもしれない。花粉なのか日差しなのか、理由なんて分からないけれど涙が目に溜まっている気がした。


20150405
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