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私の中にあった言葉は、外に出なかった。まるでそれは鋭く尖り、私の喉へと戻ってそこを突き刺してしまいそうだった。

「アシスト、頑張って下さいね」
「ん、おおきに」

部員の誰よりも早く部室に来て、練習が終わるととても丁寧に部室を片付ける。部長だから、と言ってしまえばそれまでだけれど、それは簡単なことではない。マネージャーの私もそれは分かっていた。石垣さんはいつだって自分に厳しくて、人には優しい人だった。ストイックで、練習熱心で、超がつくほどのお人好し。真摯に自転車と向き合う石垣さんに私は密かに憧れていた。憧れの、京都伏見エース、石垣光太郎。

「…」
「どうしたん、帰らへんの?」
「あ、いや、えっと…」

今日も他の部員たちはみんな帰ってしまったというのに、彼一人はまだ部室の中にいた。部誌に丁寧に今日の練習内容等を書き込んでいる。伏せた瞼。黒くて長い、艶のある睫毛が見える。

「石垣さん、は」
「ん?」

悔しくないんですか、そう言いたかった。ずっとずっと口にしたいと思っている言葉。だけど今日もそれが出ることはなかった。実力のある一年生にエースの座を奪われただけでなく、チーム全体の指揮も今までとは違い一年生に任せている。御堂筋くん。そこまでロードに詳しくはない私が見てもその力の差は歴然としていた。いくら私が石垣さんに憧れているからと言っても、それは変えようのない事実だった。御堂筋くんは、エースだ。それを分かっているからこそ私は悔しかった。今まできっと御堂筋くんもすごく努力をしてきたのだと思う。だけど私は、私は側でずっと石垣さんの努力を見てきた。上の先輩達からお前がエースだと言われた時の石垣さん、とても嬉しそうだった。この人が京都伏見のエースなんだって、私たちのエースなんだって、私まで嬉しくて、どきどきしたのに。御堂筋くんが悪いんじゃない。彼みたいに秀でた実力の持ち主もチームのためには必要だと思う。だけど、だけど。

「ヘラヘラ笑って、俺はエースアシストだ、なんて」

そんなの、ずるいじゃないですか。私の憧れていた石垣光太郎はそんな人じゃなかった。我慢して我慢して、ストイックで、俺がみんなのために京伏のジャージをゴールに持って行くって。そういつも言っていたじゃない。

「みょうじ、」
「どうして今更アシスト、なんですか」

エースになれた時は嬉しかったって、そう言っていたのに。みんなの思いを背負ってゴールまで俺が、俺が行くんやって。

「御堂筋くんは確かにすごく速いし、強い。オーラもあります。でも、石垣さんは、石垣さんは私にとって、私たちにとってエースだったじゃないですか、」

握っていた拳にさらに力がこもる。石垣さんは私の方をじっと見つめたまま何も言わない。

「本当は辻さんだって井原さんだって、みんな石垣さんにエースで引っ張って行ってほしかったはずです。御堂筋くんが悪いとか、そういうわけじゃないんです」

言うべきじゃないと思っていたのに、私は。言いたかったけれど、マネージャーの私なんかが言っていいことではないと、心のどこかで思っていた。だけど、口は言葉をつむぐことを止めてはくれない。

「石垣さんは、それでいいんですか。京伏のジャージをゴールに届けてくれるんじゃなかったんですか。私は、私は石垣さんの真っ直ぐなところにずっとー…」
「みょうじ」

とめどなく話していた私を、ようやく制する声。石垣さんのそれは、いつもと変わらない穏やかで優しいものだった。それに私は驚き、伏せ気味にしていた顔をそっと上げた。

「俺は御堂筋を、ゴールまで届けるよ。それは、京伏をゴールに運ぶのと一緒や。エースは俺やなくてもええんよ。みんなのうち、速いのが御堂筋やった。ただそれだけの、単純なことや」
「石垣さん、エースになれて嬉しかった、って…」
「確かにな、でも俺もあいつにエース譲ったんは間違いやない思てる、チームのためにな」
「…チームのために、」
「ん、俺個人の気持ちだけやったら絶対優勝はおろかゴールすら出来るか分からん。チームのためになることやったら、厭わんよ」

そんな風に話す石垣さんの表情は、とても柔らか。そんなこと、そんなこと分かっています。チームのためというのは当たり前。あなたが誰よりもこの京都伏見というチームを大切に思っていることは知っています。だからこそ、その中で自分が活躍したいと思うのも当たり前ではないのですか。

「京伏のために何かできるんやったら、俺は全力でやる。それが、御堂筋のアシストや」
「……」
「心配してくれとったんやな、おおきに」

ふわりと、頭を優しく撫でられる。その表情がどことなく辛そうに見えた気がしてまた何か言いたくなったけれど、言葉は出てこなかった。

「余計なことを言って、すみませんでした…」

頭の熱が冷めてから、自分の言ってしまったことを後悔した。私もマネージャーとしてチームを支える立場なら、選手の精神面に負担をかけるようなことを言うべきではなかったのに。 石垣さんの目に感情の起伏は見られなかった。私の言葉なんて彼に何の影響も与えないのだ。彼の強い意志の前では、何を言ってもそれを揺らがせることなどできない。そんなことずっと前から知っていたのに。

「余計なこと、ちゃうよ」
「え、」
「チームのために何が一番かを考えたら、自ずと答えは出とった。けど、やっぱり心のどっかで引っかかるもんがなかったわけやない」

目をすっと細めて私の方を見つめる。瞳に揺らぎなんて見られなかったのに、それは先ほどよりどこか切なげに見えた気がした。私の胸の中には、依然として罪悪感がずしりと残っていた。

「そんな風に言ってくれる奴がいるんは、有難いことやなあ…。嬉しかったで」
「そんな、私…」
「けど、もう決めたんよ。俺はもうエースやない。お前が、みんなが俺がエースしよったいうこと覚えてくれとるだけで十分や」
「あの…っ」

ごめんなさい、そう言おうとしたけれどそれは彼の声によってかき消された。

「…外暗いな。送ってくで」
「…はい」

それは、もうこの話をして欲しくなかったからなのか。それともただの偶然に過ぎなかったのかは分からない。石垣さんに限ってそんなことはしないと思うけれど、この空気感の中、暗い考えばかりが私の頭を巡っていた。それらはもう口にはしなかった。


20150225
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