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水色の空に浮かぶ白い月が見える。夜はあんなにも眩しい光を放って輝いているのに、昼間の姿はどこか寂しげだ。今にも消えてしまいそうなそれを、ただぼんやりと眺めながら通学路を歩く。最近新しくしたローファーの踵はまだ固くて、痛い。上を向きながら歩くというのは、こんなにも速度が落ちるものかと不思議な感じだった。平衡感覚が少し、狂う。体が少しふらつく。だけどそんなことは気にならなかった。こけてしまっても構わなかった。それよりもただ、消えそうな月を見つめていたかった。太陽は眩しくて、ずっと見ていられないどころか、一瞬でも見つめることは難しい。だけど月は、ずっとずっと見ていられるから好きだ。金色、銀色、白。「何色」と決めつけてしまうのがもったいないくらいの綺麗な色を見せてくれる。細くなったり、真ん丸になったり、色んな表情を見せてくれる。そんな自信ありげな月が私は好きだ。だけど、昼の姿はどうだろう。まるで別の人(ではないけれど)のようなふりをしている。ひっそりと、ただそこに浮かんでいるだけの、頼り気のない姿。みんなが寝てしまう夜に輝いて、みんなが起きている昼にはその光を隠してしまう。太陽に居場所を、役目を譲っているのか。そんな、子供のようなことばかりを思った。









「わ」



バランスを崩した私をぐ、と掴んでくれた手はひょろりとしていた。指の感じから、それが誰のものなのかはすぐに分かった。骨ばっていて、細くて、ちょっと、痛いよ。顔をそちらに向けると「やっぱり」と声が出た。そんな私のことを見て彼は呆れた顔をしていた。「ちゃんと前向いて歩かんと」「そうだね」「ハア」ため息をひとつつくと、その手を放す。

「また何か考え事ぉ」
「うん、いろいろ」

何を?とか、そんなことをいつも聞いてこない彼の態度が好きだし嫌いだ。寂しいときは聞いてほしいって思うけれど、聞いてほしくないときは本当に話しかけてすらほしくない。そんなのは私の我儘だし自己中だと知っている。

「月綺麗だね」
「月?」

ほら、と言って指差すのは白い月。さっきよりまた、色が薄くなっている気がした。消えそう。彼は私の指が示す先を見つめている。「そやね」とただ一言答えてくれた。本当にそう思ってる?すぐに視線を下げて、隣を歩き出す。自転車には乗らないで一緒に歩いてくれるということが、いつものことだけど私はとても嬉しかった。彼にとって一番大切な自転車よりも、私のことを考えてくれているということが嬉しかった。彼にとってはこんなこと、なんの意味もないことなのだろうけれど、私は嬉しいのだ。

「色、薄いな」

ぽつりと小さな声で彼がつぶやいた。その声は確かに聞こえるもので、独り言にも、私に言っているようにも聞こえた。色、というのは他でもなくあの月のことだとすぐに分かった。関心がなさそうだったのに、時間差でそういうことを言う。

「嫌い?」
「好きも嫌いもない」
「あ、そう」

答えは案外普通なものだった。別に私も何か特別なことを期待していたわけではなかったけれど。それからまた何か言おうと口を開く。あ、って。思いついたみたいな、そんな顔だった。彼の綺麗な歯が見えた。

「すぐに消えるやろ、あれ」
「…別に、そんなことはないよ」
「せやから、やっぱり嫌いや」


今度の言葉は少し、驚いた。彼も同じことを思っていたなんて、嬉しい、のかな。でも私は月、白い月も、嫌いではないよ。消えそうだから嫌いなのか、消えなくてずっとそこにあったら好きなのか。そんな面倒なことは考えないでおいたし、聞くつもりもなかった。依然として頭上に浮かぶ月は私たちの話をそこで聞いているようだった。逃げようと思っても、「そこ」にいて、着いてくる。

「消えないものが好きなの?」
「…?」

私の言葉に何を言っているんだ、とでも言いたげな顔をする。自分でも少々馬鹿げた質問だとは思う。だけどそんなことが頭にふいに浮かんだのだ。聞いてみたいとそう思ったから投げかけてみた。

「だけど最後はなんでもなくなっちゃうよ。美味しいものも食べたらなくなるし、綺麗なものだっていつか綻びが必ず来る、自然だって花は枯れちゃうでしょ。それに、」

じ、と彼の目をみつめながら息を吸う。言っていいかな、こんなこと。一瞬良心のようなものが胸の中で音を立てた気がした。だけどそれには、知らないふり。

「人だって死んじゃう」


歩いていた私たちの足はいつの間にか止まっていて、見つめあっている。だけどそこに甘い雰囲気なんてものはなかった。私も彼も言葉を発さないで数秒、だけどずいぶんと時間が経ったように感じた。表情が読めない。崩れない。

「うん」

返ってきたのは至ってシンプルなものだった。その声音はいつもの彼と変わらない落ち着いたもので、感情の揺れなんて微塵も感じなかった。

「ねえ、御堂筋くんは、もしも…大切な人が消えたらどうするの?」


泣いてくれるの、そう聞こうとした。だけどそれは彼の言葉が重なって、彼へと届かなかった。

「もう、「消えた」よ」


死んだ、とそうは言わなかった。彼は「消えた」と言った。私は仮定の話をしたのに、彼は今事実を話している。しかももう「消えた」と。大切な人はいないと、「死んだ」と、そう言っている。私が聞こうとした「泣いてくれるの」という言葉、言わなくてよかったかもしれない。なんて自分勝手な言葉。彼の大切な人が私であると決めつけた言葉だったみたい。そんな思いあがったこと、よく聞こうと思ったものだ。彼の大切な人は私ではない。私も少しは、「大切な人」なのかもしれないけれど、彼にとっての「消えて」ほしくない、永遠の象徴、存在は絶対に私ではない。言い切れる。彼が今もずっと会いたいと思っている人は一番近くにいる(と、思っていたけれどそれも違うかもしれない)私ではなくて、遠い遠いところにいる人。

「それじゃあ私がいなくなったら寂しいって思う?」

こんなこと聞きたくなかった。それじゃあ、と言って、「大切な人」が自分ではないと認めてしまったから。自分で認めなくてもそれは変わらないことだけれど。彼の表情は普段と変わらなさすぎて、怖いと思った。何を今考えているの。「大切な人」のこと?


「うん、寂しい」

嬉しかった。その一言がただ、嬉しかった。それ以上もそれ以下もなかった。少なくとも彼にとって私は、どうでもいい存在ではないと分かったことが嬉しかった。

「消えないよ」
「どうしたん、今日のキミ、変やで」


彼にとって今のは単なる世間話なのかもしれない。私にとってはそうじゃないよ。まるで死刑宣告をされたみたいな気持ちだったなんて、知らないでしょう。私も死刑囚の気持ちなんか分からないけれど、首をぎゅっと絞められた気分だったんだよ。しかも、大好きな人から。私の「大切な人」から、首を。


「変なこと言ってごめんね」


彼から目を逸らし、もう一度頭上を見上げた。白い月は消えそうなくせに、まだ確かにそこにいた。私たちを見ていた。

「私が死んだらー…」


御堂筋くんは「大切な人」と私、どちらに先に会いに来てくれるのかな。彼が心配してしまうから、そんなことは私の胸の内にしまっておこう。聞かないでおこう。もし聞いたら、私の首はきっとぎゅっと、さっきよりも強く絞められてしまうから。

少し前を歩く彼を見つめ、その綺麗な綺麗な手で私を殺さないでいてねと思った。




20150113
▽「モルヒネと愛情」様に提出
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