short | ナノ

こんな寒いときにどうしてそれを押すんだ、という私の視線は荒北には届いていないようだった。時計の針はてっぺんを指そうという真夜中、隣にいる男は自動販売機の青い方のボタンを押した。がこんと乱暴な音がして、それは落ちてくる。信じられないという目で私はそれを見つめた。お釣りの小銭を適当にスーツのポケットにしまい込み、ぷしゅっと炭酸飲料特有のキャップを開ける音がする。それを聞いただけでも寒気がした、いや実際に寒いのだけれど。12月も半ば、気温は夜遅くというのもあり非常に低い。私の両手はポケットから出てこようとしないまま。黙って炭酸を飲んでいるこの男を見つめる。「飲む?」だって、そんなのごめんだ。「いらない」と返せば「そ」と短い返事が返ってきた。なんとも彼らしい。飲むかと聞いてきたのだって、私が断るって知っているくせに、社交辞令のつもりなんだろうか。いちいち聞かなくてもいいのに。自動販売機を後にして、若干彼が前を行って歩き出す。すぐ横をなんとなく歩く気分ではなかった。二人ともアルコールが入っていて、気分はいいはずなのになぜか会話が弾む気がしない。だいたい、どうして飲み会の帰りに酔い覚ましで炭酸を買おうとするのかが私には一切分からなかった。水にすればと言うのは面倒で、何も言わなかった。

「落ち込んでんのォ?」

白くて綺麗な首筋を見ていたら、前を向いたままそんなことを言われた。この男にはデリカシーというものがどうやら無いらしい。そんなの前から知っていたことだけれど。その声音は茶化しているようにも、同情しているようにも、またどうでもいいようにも聞こえた。こちらを振り向かないで言うからなおさら分からなかった。

「何が」

私は彼の問いに分からない振りをする。私の中のアルコールはもう随分と抜けきっている気分だった。頭はぼうっとするけれど、そんなことをきちんと考えることはできたから。こいつはどうなんだろうか、口ぶりはいつもと変わらない。どこか人を挑発しているような話し方。

「新開が彼女連れてきてたから」

一人の名前を出されて心臓がどきりと反応してしまう。だけどそんなことを悟らせないような調子で私は答える。荒北は前を向いたままだから、私の驚いた表情もきっと分からない。

「可愛い子だったね」
「俺のタイプじゃねェけど」

お門違いなことを言って、話の本筋は埋もれていく。こいつも何を言いたいのか。

「お前が告白すればよかったのに」
「どうしたの荒北。飲み過ぎた?」

暗い道には私たち以外に人はいなくて、向こうの方の道路で少し車が走っているくらいだった。ブレーキランプがちかちかして眩しい。照らして欲しくない。まるで私の気持ちを暴かれているような気がして目を逸らした。

「あからさまにあいつの彼女のこと気にしてたじゃねェか、新開とも全然話してなかったしよ」
「…へえ」
「福チャンも東堂も気づいてなかったみてェだけど、違ったァ?」

そうだったかなあ。確かに新開の彼女のこと、じっと見てたかもしれない。どんな女の子が好きなの、どんな顔をして、声で、どんな服でどんな香りか。私はそんなことをじっと見ていた。こんな子になればあなたの恋人になれたのかなあって。その子の着ていた服は、私もたまに買い物をするところで、顔は正直私の方が可愛いんじゃない?って失礼だけど思ったりした。ちょっと意地悪だけど、あの子のつけていた香水、私は嫌いだった。あの子の全てが私には気にくわなかった、新開のことを隼人と呼ぶ唇に塗られたグロスが下品に見えて仕方なかった。

「結構怖い顔して見てたからヨ、」
「…あらきたぁ」
「あ?」
「そうだよ」

ああ、荒北はよく見てるんだなあ。私のそんな汚い感情だらけの表情を見られていただなんて、情けない。振り向いた荒北の顔は暗闇でも分かるくらいほの赤かった。私より飲んでいたからきっとそのせい。帰り道が同じだから送る、なんて荒北にしては優しいなって思っていた。今までは新開も一緒だったり、むしろ新開と私二人だけのときも多かったのに。これからきっとその機会は少なくなるんだろう。飲みに行く回数も減るのかな、あ、あの子も一緒ならあるかな。そうだったら私、行きたくないな。

「新開のこと、一番好きなのは私だったのになあ」

泣きそうだった。新開の名前を口にしたら。自分でもびっくりしたけれど、改めて想いを口にするのがこんなに痛いだなんて思わなかった。きゅっと心臓が締まる感覚がした。こういう感覚は新開を目の前にして味わいたかった、だなんて少女漫画みたいな事を考えた。しんかい、と言った口が震えるのも分かった。荒北は自分から話を振っておいたくせに、驚いた顔をしている、不細工だし、むかつく。炭酸を飲もうとしていた動きを止めて、蓋を閉める。飲めばいいのに、ばっかみたい。同情してくれてるのかな。荒北のくせに。

「…わ、り」

出てきた言葉は意外にも謝罪のものだった。別に荒北に謝る理由なんてないのに。指摘されてびっくりしたのも、今日の飲み会で落ち込んだのも、全然楽しめなかったのも本当。だから実は荒北にそんなことを言ってもらえてよかったのかもしれない。

「何で謝んの。そっちから言ってきたくせに」
「…まァだ好きだったんだなって、思ったからよ」
「え」
「もう卒業して、諦めたのかと思ってた」
「…私は、新開しか見てなかったよ」
「そっか」

荒北の言葉は慰めているように聞こえた。普段の荒北だったら、人のそういう話には深く入ってこないから言わなかったと思う。だけど今日はきっと、きっとアルコールのせい。それが荒北をこんなに饒舌にしているんだと思う。福富くんにも、東堂にも言ってないから、って。福富くんには相談してたよ、馬鹿。高校の頃から、私はずっとずっと新開だけ見ていたんだよ。荒北はいつから私の気持ちに気づいていたのかなあ。

「知ってんヨ、そんくれェ」
「…え、」
「高校の頃から、お前があいつしか見てねェってことくらい」
「…」
「俺は、新開に彼女ができて、よかったって思った」

ポケットの中で携帯が振動した。さっきアドレスを交換したばかりの新開の彼女から、メールが届いていた。ぼうっとした気持ちのままそれを開く。「なまえちゃん今日はありがとう。隼人くん共々これからよろしくね」。ねえ、私の方があなたより新開のこと知ってるよ。また汚い気持ちが生まれて、メールは削除した。荒北の声は聞こえなかった。


20141206
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -