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「はーい」

彼のことを私はまだかまだかと、そわそわしながら待っていた。インターホンが鳴ると、鏡でメイクをチェックして、そんなことを悟らせないような表情で玄関へと向かう。だけど彼をいざ、目の前にしたらやっぱりだめだったみたい。自分でも口元が緩んで、顔の力が抜けきっていることが分かる。彼の口から出る白い息と、ほのかに赤く染まった頬。彼は肌が白いから、その赤みがよく分かる。練習の後だから無理しなくてもいいって言ったのに、こうやって私の家まで来てくれるのが申し訳ないけれど、とても嬉しい。

「お疲れ、寒かったでしょ」
「ん」
「お腹空いてる?」
「当たり前やろ、遊んでたんちゃうで」
「あはは、そうだね」

普段から猫背だけど、今日は一段と体をきゅっと丸めているように見えて、なんだか可愛い。自転車をいつものように玄関の隅に丁寧に置いて、私の後ろをついてくる。自転車とは対照的に、鞄をぽいっとその辺に投げ捨てる。

「おばさんに連絡した?」
「した」
「ん、今日は湯豆腐にしたんだよ」

豆腐、という言葉を聞いて彼は大きな目をさらに大きくした。感情はいまいちまだ読み取れないけれど、どこか嬉しそうだった。いつも彼が来るときは、好きなものを作っているつもりなんだけどなあ。手をばしゃばしゃと台所で洗ってから、私の横に立ってじっと見つめてくる。

「大丈夫、座ってていいよ」
「ほうか」
「緑茶とお水、どっちがいい?」
「それくらいボクやるで」
「ほんと、じゃあ緑茶がいいな」

慣れた手つきでお茶を淹れてくれる彼。お家にお邪魔したときに淹れてくれたお茶もすごく美味しかったから、きっと普段からしてるんだろうなって思う。上手だねって言ったらキモいって言われたからもう言ってあげないけれど。その間に私はご飯を準備する。彼のために私と色違いのお茶碗を買ったりしては一人でにやにやしていた。友達からは、別れたときどうするのとか、思い出が残って嫌じゃない?とかわりとマイナスなことも言われたけど、私はそんなこと一ミリだって思わないし、彼との思い出が残るのはどんな形にせよ嬉しいから。まだ彼は高校生だから、頻繁に私の家で夕食をとらせるわけにもいかないけれど、せっかく来てくれるんだったら精一杯もてなしてあげたい。彼のご飯はちょっと多め。細いけれど、やっぱり男の子だし、ちゃんと食べてほしい。料理はそんなに得意じゃないし、栄養面に関しても全然詳しくない。だけど私なりに考えていつも献立を組み立てているつもり。何より、愛情も込めてるからね!

「…」
「じゃじゃん、鰻の炊き込みご飯です」
「…」

今日のメインは実はご飯にあったりして、奮発して鰻を買っちゃいました。本当はもっとたくさん買いたかったんだけど、大学生の私にはこれが限界。きゅ、給料日前だし…。

「あ、あれ、翔くん?嬉しくない?」

こういうことをストレートに聞いてしまう自分が時々嫌になる。年上の余裕で、黙ってさりげな〜く食卓に並べればよかったのに。彼はご飯を眺めて黙ったままである。

「なまえちゃん、給料まだやん、何でなん?」
「よ、よくご存じで」
「鰻高いやろ、確かにボクは好きやけど、いつも言うてるやん。何でもええって。なまえちゃんに苦労かけるために来よるんと違…」
「来週、レースあるんでしょ」

私は彼の言葉を遮って言った。嬉しいってただ言ってくれればよかったのに、翔くんはそうだ。いつも優しい。何を食べても美味しいって言ってくれるけれど、私の心配をいつもしてくれる。自分のご飯はちゃんと食べてるのかとか、迷惑じゃないのかとか。そんなこと一度だって思ったことなんかないのに翔くんは馬鹿だ。そういうところはダメダメだ。


「石垣からメールがあったよ。お前も行くやろって。私聞いてないよ翔くん」
「…」
「確かに鰻高いけど、私がちょっと我慢すればいいだけだもん。スイーツとか化粧品なんかより、翔くんが喜んでくれるほうが私は嬉しい。レースあるって石垣に聞いて、力つけてほしいなって、そう思って…」

自分でも何を言っているのか分からなくて、翔くんが喜んでくれなくて、頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。いつも黙って食べてくれて、おおきにって、私の好きな声で言ってくれるのに。どうして逆に怒られなくちゃいけないの。分かってくれないの。

「レースのことだって、知りたかった。応援に来られるのは迷惑なのかって、私こそ、翔くんの迷惑になってないかっていつも不安で…」

黙っている翔くんに一方的に話し続けていたら涙が思わず零れてきて、それを手の平でぬぐう。もう見られてしまっているけれど、見てほしくなっかった。ああ、せっかく来てくれたのに最悪だ、そう思ってはいるのに涙は止まってくれない。彼の方を見ることもできなくて、目を瞑った次の瞬間、涙を拭っている方の手をぐっと掴まれる感覚。隠していた顔は彼の手によって暴かれ、きっとひどく不細工な顔を晒しているに違いない。
「どうして泣くん…」
「だって、」
「レースは、小さいやつやから、勝つんは当たり前や。せやからわざわざ言う必要もないやろ。…別に、迷惑とか思たことない」
「石垣は…」
「ボクは言うてへんよ。ザクの誰かが言うたんやろ。だいたい何でボクが石垣くんに連絡せえなあかんの。キモイ」

それから口を少し引き結んでから、彼はその細い指で私の目元の涙を拭った。その手つきはとても優しかった。何か壊れ物でも扱っているようで、そんなこともできるんだと、思わず顔に熱が集まる感覚がした。

「鰻も、ほんまはえらい嬉しかった」
「…あほお」
「何でや」
「ちゃんと言ってよ、あほうすじ」
「ウザイでなまえちゃん。不細工やし」
「なっ、」
「ご飯食べようや、冷えてまうよ」

そう言って静かに、何事もなかったかのように箸をのばす翔くん。ちょっと待ってよ。ぱくぱくと、いつものように彼は食べていて、私だけ置いてけぼりだった。いつも食事中は会話が少ないけれど、今はいつにも増してなんと声をかけたらいいか分からなかった。そんな私に気づいてか、目をこちらに向ける彼。箸の先は口の中に入ったままだ。そんな可愛い顔しても駄目だよ。

「…怒っとるん」
「うん…」
「ハァ」

箸を置いて、また目をじっと見つめられる。何を翔くんは今考えているのか分からない。でも面倒な女だと思ってるんだろうな。

「レース見に行きたい」
「ん」
「小さくても、何でも、翔くんが走るなら、見たいんだよ」
「…悪かった、言わんくて」
「うん」
「せやから、泣かんとって。ボクが泣かせたみたいやんか」
「…そうだよ」
「さよか」
「…ぷっ」

あの、あの翔くんがしゅんとしていることが面白くなって、思わず吹き出してしまった。
いや、そうさせたのは私なのだけれど、それでもこんな翔くんを他の人が見たらびっくりするだろうって、そんなことを思うと笑わずにはいられなかった。

「何笑てるん」
「いや、えっと翔くん、可愛いなって…」
「キモイで、なまえちゃん、泣いたり怒ったり笑たり、忙しなあ自分」
「ご、ごめんごめん。私も子供っぽかったよね」

もう涙は止まっていて、だけどきっとまだ不細工なことには変わらないんだと思う。翔くんが来る前に直した化粧なんてすっかり崩れていて。

「仲直りしよ」
「…別に喧嘩、してへんやろ」
「そう、かな。ありがと」
「何言っとるん、キモ!今日のキミいつもよりキモイ」
「えへへ」
「…キモ」

今度は二人で私が作った夕食に箸を伸ばす。彼の淹れてくれたお茶も、少し冷えてしまったけれどとても美味しくて優しい味がした。湯豆腐も鰻ご飯も、少しずつではあるけれどお代わりをしてくれて、嬉しかった。気使ってるの?と言うと、なわけあるかい。うまいからや、ともぐもぐしながら言われてしまった。可愛い。








「ごちそうさま」

翔くんも手を合わせてごちそうさま、してくれている。そんなに話はしていないけれど、とりあえず来週のレースの時間と場所は聞き出した。関西地区の小さなレースだって言ってるけれど、関西って、結構広いじゃん。そんなことを考えながら後片付けをしていた。一人で食べたときとは違って、翔くんのお皿がこんな風に流しにあるのは嬉しい。本当は毎日だって一緒にいたいんだけれど、そんなことはまだ言えない。

「茶ァ淹れてもええ?」
「うん、お願いします、あ、そうだ翔くん。来週のレースなんだけど、石垣の他に誰か来るとか知って…」
「なまえちゃん」

くるりと振り向くと、翔くんの顔がすぐ目の前にあってびっくりした。スポンジを持っている手はまた、翔くんに掴まれる。さっき涙を拭ってくれた時より、その力は強かった。

「石垣くん石垣くん、言いすぎや」
「え、」
「ボクとおるのに他の男の名前呼ぶ方が多いって、あかんやろ」
「そ、そうだったかな、でも石垣はただの友だ、」
「黙りや」


あ、って私が呟いたのとほぼ同時くらいに、翔くんとの距離はなくなっていた。触れるだけのキスは、掴んだ手の強さとは違って、優しかった。彼はこんな風にいつも、どきどきするキスをしてくれる。今まで私以外の子としたこと、あるのかな。そうだったらなんだか妬けてしまう、だなんて考える余裕が私の頭には残っていた。触れているだけなのに、なかなか離れないからこっそり薄目を開けてみた。そこには律儀にしっかりと目を閉じた彼の顔があって、あまりの綺麗さと、年下とは思えない官能的な表情に心臓が跳ねて、また目を閉じた。


20141206
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