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ミルクと砂糖を多めに入れた甘めのコーヒーは、もうすっかり冷えていた。沈殿した砂糖の甘さが気持ち悪い。さっさと飲み干してしまえばよかったと少々後悔した。水曜日の夕方、まだ一週間の真ん中。週末までには明日、明後日と乗り切らねばならないことを思って憂鬱になる。行きつけのカフェで明日の課題に目を通しながら座ってはいるものの、その内容はほとんど頭に入っていやしない。小一時間待っただろうか、日もすっかり落ちて軽い眠気が襲って来たころと同時に、私の待ち人もやって来た。遅れて来たというのに急いで走ってくるとか、衣服を乱している様子ではない。まだ私に気づいてすらいないようだった。そんなあの人はいつ私に気がつくかと、じっと見つめてみることにした。ガラスも挟んでいるし、通行人も多いから、分からないかな。目線は全くこちらをむいていないから、なんとなく悔しかった。私の方が先に気がつくだなんて、悔しい。結局彼は私の視線に気がつくことなく視界から消えてしまった。鈍感な人。

肩をとんとん、と叩かれる感覚。その手が誰のものかは分かっていた。何色の服を着ているのかも分かっていた。さっき、私は一方的にあなたを見つめていたから。

「荒北さん」
「悪ィ、遅くなった」
「そんなことないです」

行くか、と自然に引かれた手。ぶっきらぼうだけど、その手が私はとても好きだった。煙草の香りがする彼の黒いコートは、自分の子供っぽさを感じる気がした。荒北さんと会う日は精一杯お洒落をして、背伸びをしているつもり。だけどまだ私の見た目も、中身も、彼には追いついてなんかいない。お母さんにもらったハイブランドの香水の香りだけ、私には不相応で浮いていた。彼にとっての私も浮いていないかと、いつも心配でたまらない。

「明日何限からあんの」
「二限です」
「じゃあ早く帰さねェとな」
「そんなの…気にしなくていいです」
「や、ダァメ。学生チャンだからな」

自分だって、二年前はそうだったくせに。私のお父さんとお母さんは二歳差だけど、年の差をあまり感じない。だけど今の私は、荒北さんとの二年の差を、すごくすごく感じてしまう。

「何か食いたいもんある?」
「お肉食べたいです」
「いいねェ、洒落たとこじゃなくてイイ?」
「どこでもいいです、荒北さんと一緒ですもん」
「…可愛いこと言うじゃナァイ」

握った手が少し強められた気がして嬉しかった。荒北さんは社会人になってから、大人の女の人と接する機会が増えたんだろう。私への態度が、優しく、慣れたものになってきた気がする。今まではそんなに女の人と関わりがなかった人だから、手をつなぐだけでもどこかぎこちなかったのに。そんな荒北さんのことを独り占めしているみたいで、心地よかった。今の彼も勿論大好きなことに変わりはないんだけれど、私の知らないところで大人の女の人とお話をしている荒北さんを想像すると胃が痛くなった。当たり前だし、荒北さんはその人達を恋愛対象として見ていないって分かってはいるけれど、どうしても気になってしまう。嫌だなって思う。きっと私より賢くて、色気もあって、品もある素敵な人ばかりなんだろうなって、そういう想像しか浮かばない。

「私社会人に見えますか」
「はァ?…んー、」

上から下まですーっと視線を向けられて少し恥ずかしい。それからはん、と鼻で笑ったような声音で、まだまだお子様だなァと言った。今日は新しいワンピースを着て、香水も少しだけ多めにつけてみたのに、なあ。どうやらまだ子供に見えるんだって。周りの子達は大人になりたくないって言うけれど、私は早く大人になりたい。ちゃんといいところに内定をもらって仕事をして、素敵なお洋服を着て、いつだってお化粧は完璧、素敵な空気を纏って、荒北さんに似合う女性になりたいの。


「お前はそのまんまでいいよ」


なんだかはぐらかされたような、暗にまだまだ子供だと言われたみたいで嫌な返事だった。私の精一杯の背伸びも、荒北さんにはそれが子供の背伸びだと分かられているみたいで悔しかった。荒北さんは私からすればとても大人で、いつだってかっこよくて余裕で、ずるい。彼はとてもずるい人だと思う。以前会社の同僚に私といるときに出くわして、後輩、と紹介した彼のことを嫌いだと思った。彼女って言ってくれないのかって。そんなこといちいち言うのも幼いかと思って、ぐっと喉の奥に押し込めた。それに関して彼は何も私に言わなかった。それがまた、苛々した。


「荒北さんの会社の人に会わないかな」
「あ?何で」
「どう紹介してくれますか?」

じっと彼の綺麗な目を見つめながら、精一杯色っぽく聞いてみたつもり。多分これも彼には大して効いていないと思うと虚しくなった。

「んー、カノジョ」


また、余裕のあるあの顔で笑う。私がとても好きなその顔で。嘘つき。本当にずるい人。ありがとうございますって、良い子のふりをして答えた。


20141217
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