体を重ねるのとキスでは意味合いが全然違うと誰かが言っていたけれど、それは実にそうだと思う。まだ誰かとそういう経験はないにしてもそう思うのだ。体を重ねることは気持ちがなくったってできる、と生意気にもそう思う。私が好きだった人、まあ言ってしまえば荒北なんだけれど、彼には彼女がいたらしい。しかも付き合って結構長いんだって。背が小さくて、ふわふわしていて、いい匂いがしそうな女の子だった。不思議とその時私には悲しいとか悔しいとか、そういった感情は湧いてこなかった。そうなんだ、と思ったそれだけ。荒北の、あの荒北の女性関係なんか想像したくなかっただけかもしれない。目をそらしたかった。また、私の考え方が少し曲がっているからそう受け止めることが出来たんだきっと。私は彼と肉体的に関係を持ちたいのかというと、そうではない、むしろ気持ち悪いとさえ思ってしまう。それを友達に話せばなまえは純粋なんだねと優しい笑顔で言ってくれた、そんなんじゃない、と思った。でも答えなかった。優しい彼女自身はどうなのかと少し気になったけれど、それを聞くのも止めておいた。友達のそういう話も実はというとそんなに得意ではないから。
「みょうじ」
「…新開」
「靖友あっちにいたよ」
「は?」
新開だった。携帯を触りながら視線をこちらに向ける。もう部活は始まっているというのに、どうして部室にまだいるのか。荒北があっちにいるのがおかしいのではなくて、新開がここにいるのがおかしい。荒北がどこにいるのかなんてわざわざ今、伝えることでもない。練習中に決まってる。
「まだ好きなのかと思ってさ」
そうかー、ともう一言。状況が分かっていないのか、ひょうひょうとした様子で世間話をするように距離をつめてくる。そして、今何て言った?私が荒北を好き(だった)なことは仲のいい友人数人にしか話していない。おしゃべりで、女好きのこいつに彼女たちが言うはずがなかった。
「ねえ、それどこで」
「さあ」
携帯をちらつかせながら楽しそうに笑った。もういい、隠してもこいつには通用しないだろうと諦めてそれ以上は追及しなかった。…荒北には言っていないんだろうか。それだけが気になった。そんな私の視線を察したのか、また口を開く。
「誰にも言ってない」
「…本当に?」
「信用ないんだなあ、俺って」
あるかボケと口をつきそうになるのを抑える。そんなに仲がいいつもりはないけれど、何かと新開はよく話しかけてくるやつだとは思っていた。女子から人気があって、色んな女の子と遊んでいるこの男。本気で言っているのか嘘で言っているのかそれもまた分からなくて苛ついた。彼自身が嫌いとか、そういうのではないけれど、いつもとてつもなく苦手なタイプだと思っていた。自転車に乗っている時の真剣な顔も、女の子と二人でいるとき見せる笑顔も、どこか苦手だった。何を考えているのか荒北以上に分からないとそう思ったのだ。
?
子供みたいに無邪気に首をかしげる。次にニヤッとレースの時に見せる笑顔を浮かべた。そしてそこからは全てがゆっくりに見えた。本当にゆっくりで何もできなかった。しっかりと筋肉のついた新開の両腕が、私の肩を引き寄せる。視線がぶつかって、形の良い彼の唇が、私の唇へと押しつけられる。その最初の感触など感じる暇もなく口の中に熱いものが押し入ってきた。彼の舌だった。ぬるぬると私の舌に絡んできて、卑猥な音が静かな部室に響く。離れようとするけれどそれはがっしりと掴まれた腕によって許されない。息が苦しくなってきた。気持ち悪い、気持ち悪くて仕方がない。くちゅくちゅとわざとの様に立てられるその音に羞恥を覚えた。その音を確実にこいつは楽しんでいた。見上げた目は意地悪に笑っていた。何を言いたいのか。それに自分のものか彼のものかも今はすっかり分からない唾液がだらしなく口から垂れているのが分かった。拭うことさえ出来ないこの状態。
「んっ…っ…」
「…はあ、はっ」
やっと解放された唇と体。空気を求める反動で私はその場に座り込んだ。体に力が入らない。流れた唾液を力いっぱいこする、気持ち悪い。少なからずその唾液を飲み込んでしまった、吐きそうだ。新開の香りが自分に移ったようで、不快感を覚えた。態度で示した、とでも言いたいのだろうか。にっこり笑って私に背を向ける。
「練習戻ろうぜ、寿一が待ってる。靖友も」
今すぐこいつを殴ってやろうかと思ったけれど、情けないことに体には全く力が入らなかった。私のファーストキスは、最悪だった。あいつはどうだったのか、それは聞くまでもないと思う。初めてなわけが無い。初めての奴にあんなキスができるはずがない。じゃあ誰と。数え切れないんだろう。ずっと前クラスの女の子達が、新開の唇がセクシーだとか、キスしてみたいだとか話していたことを今思い出した。それを考えるとまた苛ついて、意味も分からず涙が頬を伝った。
20141127