今、君に
『壊れかけた白い世界で』続編です











『一曲お相手ねがえますか、レディ』


「・・・ごめんなさいね」




モーニング姿の男性は心底がっかりした様子で私の前を去っていく。私はボーイのトレイからグラスを受け取り、煌びやかなダンスホールを眺めた。

楽しそうに踊るたくさんの人々の姿。
ひとりため息をつき、ダンスホールの扉を開く。



誰かと踊る気にはなれなかった。
誰もいないバルコニーに出る。少し寒いけれど、ドレスと強いアルコールに火照った身体を休めるのには都合がいい場所だった。


「・・・はあ」


冷たい水を口に含み、一息ついた時だった。



『・・・おや、レディ。何処かでお会いしましたか』



外を眺めていた私に、背後から声が降ってきた。









振り返った先には、背の高い男が立っていた。
榛色の長髪に凛と整った顔立ちの男は、媚びない笑顔で私に会釈をした。


「・・・あなたは」


『久しぶり、お嬢さん』


見知った顔に私は驚く。

華やかな風貌の男は私を見てにっこりと微笑んだ。


「・・・レドモンド」

『変わってないな』


もう何年前のことだろうか。
「彼」から友人だと紹介されて知り合った男。彼の親友だった男とは、以降も親交があった。

その頃から、彼は知性を感じさせる風貌で、明るく私に話しかけてきてくれた。


「・・・あなたも」


どこか憂いを帯びた瞳は私の様子を見て、言葉を選ぶように先を続けた。


『・・・元気にしていたか』


「ええ。あなたは?」


きっとお互い聞きたいことは山ほどあるはずだ。けれど事情を知っているからこそ、聞けないこともある。



『・・・相変わらずだよ』



少しの沈黙があったのは、きっと私が人付き合いが苦手なせいだけではなかったと思う。
このまま別れてしまうのも気が引ける・・・
戸惑う私に、彼はかすかに笑った。


『・・・いや、気まずいのも仕方がないかもしれないな』

「・・・・・・」

『少し話をしないか。積もる話もあるだろう』



男が静かに歩み寄り、私の隣に並んだ。手すりに寄りかかり、星が綺麗だと感嘆する。男の気さくな様子に私の気持ちも和らいだ。







『あれから連絡が取れなくなってずっと気になってたんだ』


「・・・・・・・・・」


『君も・・・あいつも』


「あいつ」という男の言葉に私は「彼」の顔を思い浮かべた。
手元のグラスを見つめる。氷が溶けて音を立てた。


『・・・今までどうしてた』


「・・・・・・・・・」


『今も奴と一緒にいるのか』


私は沈黙をもって返答した。

思い出すだけで胸が詰まりそうになるけれど、私は今までの数年間を少しずつ言葉にした。


「・・・彼が今どこで何をしているか・・・私も知らないわ。生きているかどうかも・・・」


『・・・・・・そうか』


「・・・罪を償いたいって言って、どこかに行ってしまったの・・・」


『・・・・・・』


「・・・私はついて行かなかったから」



とっくに枯れたと思っていた涙が一筋だけ溢れた。隣の男に悟られないように、震える声を隠し涙は拭わなかった。


「・・・きっと何処かで生きてると思うわ」



『・・・あいつらしいな。最後まで君を心配させるなんて・・・紳士の風上にも置けん奴だ』



俯く私を見て、男は雰囲気を払拭するように少し笑う。




『・・・あいつのことだ。どこかで一人で鬱々と元気にやってるだろう』



「なにそれ・・・」



つられてくすりと笑ってしまう。
私の様子を見て男もほっとしたように、でもどこか真摯な眼差しで眼下を眺めている。



『・・・あれでも強くて一途なやつだ』


「・・・うん」


『気が済んだ頃にひょっこり戻ってくるさ』



確かめるように、懐かしむように言う男。
彼の長年の友人の言葉は私の胸にまっすぐに落ちる。







「あなたは・・・どうしてたの?」


男は言葉を探しているようだったが、ややあってため息と共に口を開いた。



『・・・相変わらず独り身だ。気晴らしに夜会に来てみたが・・・』


「・・・・・・・・・」


『・・・俺もこのまま一生独り身だろうな。もうそれでいいと諦めがついてきたところだ』


ふふ、と笑いグラスの酒を口に含む男。その笑顔はどこか哀しげにみえた。
気の利いた一言すら言えない私は景色だけを見つめ続けた。


『・・・俺達は命があるだけでも感謝しなければならない立場だからな』


「うん」


『・・・これ以上は望めないのさ。奴だって同じ事を思っているんだろう』



切々と語られる彼の言葉が胸に痛かった。
運命のいたずらに翻弄される彼らを、私はただ傍観することしかできないのだ。







・・・それから私達は色々な話をした。


彼らが在校生だった頃の話、彼から私を恋人として紹介されて驚いた話、彼らと私と共に休暇を過ごした話、友人達のその後の話・・・


『・・・ブルーアーもグリーンヒルも・・・皆、それなりにやってるよ』


「そう、安心した」


『・・・あいつがここにいればな』


重厚な時計の音が響き、気が付けば夜会が終わろうとしていた。



『・・・ああ、もう終わりか』

「・・・早いわね」

『・・・今日は君に会えてよかった』



彼が私に向き直り私の瞳を見つめた。
自由な方の手をぎゅっと握り、紳士は手の甲に軽く口付けた。



『・・・最後に。今君はどうしているんだ?』


「・・・この歳でひとりで夜会にいるのよ。分かるでしょう?」


『はは、そうだな』



こんなに誰かと話したのは久しぶりだった。
突然の再会に少し戸惑ったけれど、今日この男に会えたことはひとつの運命だったのかも知れない。


『じゃあ、また会おう』

「ええ、また」


外を眺めつづめる私に、彼は館内への扉を開けながら振り向いた。



『・・・そういえば在学中の奴はよく窓の外を眺めてたな』

「・・・なにそれ」

『大方君のことを考えてたんじゃないか』


いたずらっ子のように笑って館内に消える男の背中を見送る。






ひとりになった私は寒空の下、無数の星を抱える夜空を見上げ男の話を反芻した。


───彼は今どうしているだろう。
冷たい風が頬を撫で、寒い季節が近いことを知る。


「・・・バイオレット」


口に出せば愛しさが募るばかりだった。


涙をこらえ、肩にかかるストールをきゅっと締め踵を返そうとしたその時だった。


ひときわ強く吹いた風の音に紛れて、カサ、と乾いた音がかすかに耳に届いた。
ふと見ると、目の前の木に一枚の古びた紙が引っかかっていた。


私は導かれるようにうんと手を伸ばし、今にも風に飛ばされてしまいそうなそれを掴んだ。ストールが風に飛ばされていくのも構わなかった。



くしゃくしゃの紙を丁寧に開くと、それは薄い便箋だった。

紺のインクでしたためられた見覚えのある繊細な筆記体に、私は目を見開いた。




『君がこの手紙を見ることはないと知っていながら、僕はここに君への愛を綴る─────』




────そして風が、静かに消えた。






end


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