途中で放り出された絵が雨に溶けて零れる。
旅先の異世界、四月の東南亜某国。
水の都に突然降り出したスコール。雨宿りに二人が駆け込んだ先は、真水が雨に濁る水上の亭閣。
「ん・・・っ」
『・・・やっと・・・っ』
続く言葉を吐息にかえて、男は亜熱帯にそぐわないコートを後ろ手に脱ぎ捨てた。走って上がった呼吸が整わないまま、交わす口付け。
「ん・・・先輩・・・すごい汗・・・」
『暑かったから・・・』
コートなんか着なければいいのにと思うが、口にはせず苦笑を浮かべた。男のことを誰よりも理解しているからこそ、マリアにはその言葉がいかにナンセンスであるかが痛いほど分かった。
「せっかくの絵、残念でしたね・・・」
『ん、まあ・・・いいよ・・・・・』
ギィ、とラタンで編まれたソファの背もたれがしなって、マリアは影の主を見やる。汗と雨に濡れた髪をかきあげた男が、欲情を顕にした瞳で覆いかぶさってくる。
『しばらく・・・止みそうにないね』
「ん・・・っ」
深くなる口付けに、熱を帯びた頬に手を伸ばして応える。
濡れたサテンのワンピースを優しく剥がすように、脚から腰へ繊細な手がしなやかなカーブをなぞって。触れたところからするすると力が抜けて、彼の膝が脚を割って入り胸が高鳴る。
これから彼が何をするつもりなのか・・・感じるのは高揚感と、えも言われぬ背徳感。
「・・・先輩・・・」
『ふたりきり・・・だね』
「・・・はい」
ここではどんな音を立てたって、なにをしたって、雨のおかげで外からは何一つわからないだろう。スコールというモザイクの奥、この亭閣はふたりだけに許された桃源郷だった。
・・・茹だる暑さの中、非日常を免罪符に
やるべきことはただひとつ・・・
ふたりは額を合わせ、瞳の奥を覗きあった。
『──しようか、マリア』
*
風ひとつ吹かない生ぬるい湿気。亭閣に立ち込めるムスクが服を脱ぐ間も惜しいほどにふたりを駆り立てる。
「あっ、あ・・・せんっ、ふぁ・・・」
『んっ・・・・』
くぐもる声は彼に舌を絡め取られているせい。
彼に抱かれるのはもちろんこれが初めてではない。それでも、こんなに興奮した彼の様子を見るのは初めてだった。
「っ、ここで、その・・・」
『・・・ん』
「・・・最後まで・・・するんですか・・・?」
『・・・それ、今聞くの?』
無粋を働いたお仕置きと言わんばかりに、彼が濡れた服越しに胸の突起に噛み付いた。思わず上がる甲高い嬌声に口を覆う。その手を強引に剥がされ指が絡まる。
『やっとふたりきりなんだよ・・・』
「あぁ・・・!や、だっ・・・」
『ほら、もっと声出して・・・』
・・・こんなに悪い監督生はかつていただろうか。雨を口実に人目を避けて、恋人との逢瀬を愉しむなんて。
黒銀のベッドもチュールレースのクッションもコットンのシーツもない。四方を囲む壁すらないこの亭閣。あるのは、ふたりの身体を載せるオリエンタルなソファと淫靡な空気だけ。
「誰かに見られたら・・・どうするの・・・?」
『・・・その時はその時』
更々やめるつもりなどないらしい彼のシャツの胸元を掴む。とっくに麝香にヤラれた彼の紫眼からは、ためらいなど微塵も感じられなかった。
最後にもう一度意思を確かめるように、彼の名前を呼ぶ。
「バイオレット先輩・・・っ」
『・・・ダメ。止めないよ』
「・・・あっ!ああっ・・・!」
いつの間にかぬるぬると入り口を滑る彼自身。香と愛撫ですっかり溶けた蜜花は既に彼を飲み込もうとしている。ぐちりとあてがわれたかと思うと、粘液に絡まる彼をズブズブと奥まで咥え込まされた。
「あ・・・っ、ん・・・」
『・・・・・んっ・・・いい子・・・』
*
微笑む男はすぐには動かず優しく口付けをひとつだけくれた。それはこれから始まるめくるめく時間の合図。情欲に駆られても私を置いていかない彼が愛おしい。
そんな彼に流される覚悟を決めれば、あとはすべてを委ねるだけ。
依然やまないスコールに隠れてただふたり、小さな世界でお互いだけを感じて唇で熱を伝え合う。
『ん・・・』
「ふ・・・うっ・・・」
『そろそろ・・・動くよ・・・』
余裕の表情を浮かべて、男が律動を始める。ナカに溜まる蜜を味わうような律動。汗が湿気と混じって肌を伝う。
「なんだか・・・・・・っ」
『・・・ん、』
「いつもと・・・ちが・・・っ」
ふふ、と笑う彼のやけに甘く熱っぽい攻め口。ひと突き毎に熱いため息を吐き出して、合間に舌を絡ませて。
「いやぁっ・・・なん・・・っ」
『はぁ・・・キライ・・・?』
「はぁ、きもち・・・ぃ」
呼吸、表情、反応の一つ一つを確かめるような彼の目線を感じる。身体が跳ねるたび男の口角が僅かに上がって、キスを施されて。
華やかな相貌に加えて、雨と汗に濡れた髪が男の艶やかさを引き立てる。
「ん・・・先輩の・・・かたい・・・」
『・・・当たり前でしょ・・・マリアがこんな格好・・・してるんだから・・・・』
男の目線が私の身体に落ちて、今更自分が裸同然であることに気が付いた。
捲りあげられ張り付いた薄白のワンピース、はしたなく開いた内腿、湿気に雨に汗に唾液に濡れた肢体、そして蜜にまみれた彼を飲み込む結合部。
全てが雨に白む太陽の元、男にさらけ出されているのだ。
「やっ、やだぁっ・・・恥ずかし・・・っ」
慌てて腕で隠そうとした時、ゆっくりと男が自身を引き抜き、ぐちゃぐちゃに溶けた最奥を一気に突き上げた。
貫く強い刺激に息が詰まる。頭に真っ白な光が飛び、声にならない悲鳴を上げた。
「────っ!!」
『・・・何隠そうとしてるの』
「────だっ、てぇ・・・っ!」
『許さないよ・・・もっと見せてよ・・・』
濡れた髪をかきあげ唇を重ねる真摯な眼差し。
尚も繰り返される、ずちゅ、ずちゅと愛おしむような抽送。彼のいやらしい動きに合わせて背中がラタンに擦れる。今にも滴り落ちそうなほど、彼の紫黒の瞳がとめどない想いに蕩けている。
「はっ・・・あ・・・っ!」
『気持ちいい・・・?・・・マリア・・・』
「ん・・・あっ・・・言わせないで・・・っ」
『・・・ふふ』
身体の奥底から沸き立つ深い快感。雨とは別の、濃厚で卑猥な水音。吸い込む湿気に酸素を分け合うように、ふたりの吐息が重なり合う。
*
目の前で熱病に浮つく彼に縋るように腕を回せば、熟れた果実のように甘い舌に酔って。
『暑いね・・・』
「あっ・・・あ・・・んっ」
『・・・もっと気持ちよくなろ・・・』
男の手が肩を撫で、するりと細い肩紐が落とされる。汗ばむ首筋から鎖骨まで濡れた舌が這い、ぞわぞわとした熱感に身体が反る。
「ん・・・っやぁっ・・・」
『─っは、ちょ・・・っ!』
無意識に彼を締め付けて、眉をひそめた彼の表情が歪む。徐々に余裕をなくしていく彼が抑えきれない衝動を唇に預けてくる。
どこか切ない快感に温かい涙が一筋。男はそれを知ってか知らずか、徐々に抽送を早めていく。
『ん・・・やっぱり、君の身体・・・好きだっ・・・』
「やっ、か、身体・・・だけ・・・っ?」
『・・・・・・・・・っ』
「あ、あっ、あんっ・・・!」
『・・・君が好きだよ、マリア・・・』
「あ・・・・・ああ・・・・っ!」
*
───もう彼以外何も見えなかった。次第に薄くなるスコールのカーテンも、たゆたう池に浮かぶ極楽への舟も苔むす岩も、再び現れた灼熱の太陽も。
ただ彼からとめどなく与えられる情愛に逆上せあがって、身体中に熱を溜め込んで。
「あっ、あっ!先輩・・・もうっ・・・!」
『んっ・・・?』
「好きっ!大好き・・・!先輩・・・っ」
『────ちょっと・・・煽らないで・・・っ』
「やっ、やだ!あ・・・っ!」
溶けきった粘膜をぐちゃぐちゃ掻き回されながら、後ろ髪をぐしゃりと撫でられて。
何度も角度を変えて口付けて。
今までの余裕など全て熱病に喪失したような激しい律動に、彼の首筋をぐっと抱き寄せた。
二人の間を流れ出た想いが水溜りになってソファを零れ落ちる。
「先輩・・・っ、バイオレット先輩っ!」
『ん・・・!・・・マリアっ』
「やっ!あっ!も、だめ・・・!」
彼の背中に夢中で立てる真紅のネイル。
やり返さんとばかりに身体の奥に打ちつける愛欲。
既に止んだスコールが残した湿潤。
全てがひとつになったとき、
極楽に咲く蓮の花が滴に揺れた。
「あ、・・・あっ!・・・・・・・・・っ!!」
『────っ!』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『はぁ・・・っ』
「あ、あれっ・・・」
ギラギラと照らす太陽が肌を焼き、ぼんやりと空を見上げ目を細める。
「雨、止ん・・・でる・・・」
『・・・ほんとだね』
赤褐色のウッドデッキに差し込む光に、二人で見つめあって照れて笑って。
抱き合うふたりに訪れた至極の時間。
立ち上がろうとする脚ががくんと脱力し、くすくすと笑う彼が腕を支えてくれた。掴んだ彼のシャツが汗に張り付いている。いまだ残る熱気に今更恥ずかしさが込み上げてきて、彼の顔を見ることができずに目を背けた。
『・・・日焼けするよ』
「んっ!」
たくしあげられたワンピースを背後から下ろしてくれる彼の手。じっとりと湿る彼の手に先程までの行為を反芻して、思わず赤面する。
「あっ、自分で・・・しますっ」
『・・・ふふ、そう』
髪まで整えてくれる先輩の手を感じながら目を閉じれば、もう一度触れるだけのキス。
今日一日で一体何度キスをしたことだろう。唇にそっと触れ、少し俯いてそのひとつひとつを思い出すと身体がまた熱くなる。
名残惜しさにもう一度唇にかじりつこうとした時、彼が私の唇に指を押し当てた。
「んっ!」
『残念だけど・・・ここまで、だね』
くすりと笑って亭閣の外に目線を向ける彼。同じ方向を見やると、止んだスコールに何処からか湧いて出た他の生徒達の姿が見えた。ちらちらとこちらを見ている生徒も見受けられ、私たちは慌てて柱の影に身を潜める。
「やだ、見られちゃったかな?」
『構わないよ。むしろその格好・・・見せつけてあげたら?』
「もう、何言ってるんですかっ」
『・・・可愛かったよ、マリア』
彼がコートを肩に引っ掛けて私の頭をくしゃっと撫でる。足早に亭閣を後にする彼の後ろ姿をひとり呆然と見送る私。
さっきまで女を組み敷いてよがり声を上げさせていた男は、何事も無かったかのように水の都の中心へと戻っていった。
──私の身体の奥底に熱い夏の思い出を残して。
「────なんて男なの・・・」
『バイオレット、どこに行ってたんだ。濡れなかったか?』
『・・・雨宿りしてたけど、ずぶ濡れになっちゃった・・・・』
『本当だ。随分濡れてるな』
『勝手な行動は慎めと言ったはずだ!心配するだろう!』
『・・・ま、たまには・・・いいでしょ?』
『しかし・・・この国は本当に暑いな・・・溶けそうだ』
『・・・ね。』
end