初めて見る、彼のスラリとしたシルエットに胸が高鳴る。いつもは目深に被られ隠されている彼の紫の双眸が周囲の目を引く。社交界など滅多に顔を出さない彼だが、名門寄宿学校の自治を任される監督生という肩書きを持つエリートであることもまた事実。レアキャラの登場に色めき立つ周囲をよそに、彼はワインを口に含む。
マリアは薄紅のシャンパンを手に取り、その味に舌鼓を打った。
「これ美味しいよ、先輩」
『モエ・エ・シャンドン・・・ボクには甘いかな』
招待された舞踏会は郊外のカントリーハウス。豪商である先輩の父の友人が開くものだからと渋々了承した先輩。恋人として同伴するマリア。
『これはこれは、バイオレット家ご嫡男の・・・!』
話しかけられた彼が、流し目で振り向く。ハットを被ったスマートな出で立ちの男性が目前に立っていた。
『・・・ご無沙汰してます・・・』
ややあって、先輩が返事を返す。男性の投げかける世間話や学園での話に相槌を打って、時々なにか言葉を返して。マリアは普段見られない社交に励む彼の姿を隣で何も言わず見守った。これがレディの務めだと母に教わった通りに、静かに笑いながら、何も知らないふりをして。
『・・・ではまたお会いしましょう』
ひととおり話は済んだのか、男性が満足げに去っていった。彼が新しいグラスを受け取り、一息つく。うんざり、と言わんばかりの表情が可笑しくて、つい笑ってしまう。再び彼の隣に立つと、彼が小さくため息をついた。
『・・・さっきの誰だっけ』
「ぷっ!」
どうやら先輩は男の話にいい加減に相槌を打っていたようだ。器用な男だとマリアは関心する。
それにしても先輩がこんな大きな舞踏会に顔を出すなど、大砲でも降ってくるのではなかろうか。マリアは見当違いな不安に苦笑いしつつ、さり気なく差し出された腕を取り居心地の悪さを払拭した。
『マリア・・・こっちにおいで』
*
ロイヤルパープルの美しいドレスは先輩が選んでくれたもの。歩調を合わせてくれる彼の腕を頼りに、一歩一歩を確かめるように慎重に歩く。どうしても下を向いてしまう私は、まだまだハイヒールも履きなれていない未熟なレディ。せめて先輩の恥にならないよう、卒なく振る舞わねばと肝に銘じる。・・・が、やはりドレスの裾を踏んでしまい前につんのめる。転びそうになったところを先輩が支えてくれて事なきを得た。
『大丈夫?まだデビューして間もないんだから・・・無理しないで』
「・・・あ、ありがとう・・・」
『・・・似合うね、そのドレス』
優しく微笑む彼にしばし見とれる。真っ白で壮麗な豪邸の内装が彼の華やかな相貌を更に引き立てる。紫寮のゴーストなんて普段の彼しか知らない生徒達は彼を比喩するけれど、今日の彼を見ればそんなメージなど吹き飛ぶことだろう。
普段は学園の中で一つ屋根の下、忍ぶ恋をしている私達。しかし、一歩外に出れば行き交う人々と何一つ変わらない恋人同士。休暇中はバイオレット家の別荘で共に過ごし、こうやって行事があれば共に参加するのが、彼と付き合いだした数年前から決まった私の休暇の過ごし方だった。
久しぶりの夜会に倦怠感を隠せない彼に導かれ、食堂をあとにする。ふと、回廊の中央で彼の脚が止まる。見上げる目線の先には、重厚な石膏の枠に嵌められた銅版画があった。大きな絵画に見えるそれは、小さな絵画を寄せ集めて一枚の作品として見せているものだった。その一枚一枚に目を走らせ、マリアは大きく目を見開く。
「何この絵・・・っ」
『死の舞踏・・・随分な趣味だね・・・』
*
思わず脚が竦む。老若男女、様々な装いの人々が踊っている絵。しかしよく見ると、舞踏の相手は皆一様におどろおどろしい骸骨だった。すでに記憶の片隅にあったようなその絵が、嫌な印象を持って瞳に焼き付く。気味の悪さに胸がざわざわと落ち着かない。
『・・・怖い?』
「うん・・・」
恐ろしい芸術品から目を逸らし、マリアは静かに絵を見つめ続ける彼を上目遣いで見上げた。
惚けたように少しだけ開いた唇。力の抜けた腕。息遣いさえ感じられない彼が、その絵に囚われ、取り憑かれているのではないか・・・マリアは焦燥感に駆られた。解けかけた腕を引っ張り、半ば強引に彼の目線を絵から引き剥がす。
「バイオレット先輩・・・っ」
『ん・・・何?』
振り向く彼に抱きつく。驚いたように小さく呻く彼に構わず、胸元に頬を押し当てた。・・・大丈夫、生きている。生きて、彼は呼吸して、心臓が鼓動している。マリアは一層強く彼を抱きしめ、溢れそうな涙を堪えた。
何故こんな不安に駆られたのだろうか、マリアにもわからない。しかし目の前の絵画の中、一体の萎びた骸骨が動き出し、こちらを見て笑ったような気がしたのだ。
『・・・マリア、大丈夫だよ』
マリアの肩を優しく革の手袋が撫でる。そっと見れば、愛おしさをはらむ瞳が少しだけ微笑んでいる。引くように力が抜けていく身体を、彼が力強く抱き寄せた。そして、彼の口からぽろぽろと言葉が溢れ出す。
『人は誰しも死に魅入られる日が来る。それはね、マリア、富める人も貧しい人も、善人も悪人も・・・罪人だって、皆一緒なんだよ』
「・・・先輩?」
*
『死を恐れることはないよ、マリア。ボクは君さえいれば・・・何も怖くはない。たとえどんな最期を迎えたとしてもね・・・』
いつにも増して饒舌に語る彼が強い眼差しで絵を見る。聞いたことのない彼の声色がマリアを諭す。単に愛の言葉を囁いているだけではないのだろうとマリアは直感するが、その意図がわからず更に思考は迷宮に迷い込む。先輩は既に死を覚悟しているというの・・・?
戸惑うマリアの頬に彼の手がそっと触れ、はっ、と息を吹き返すように顔をあげた。
『・・・マリア、踊ろうか』
「え・・・!?」
『今日は・・・君をボクの恋人として皆にお披露目したい』
大きな絵画が見下ろす回廊の真ん中で、彼が私に向き直り静かに片膝をつく。手をレースで飾られた胸元に置き、流麗に頭を垂れる。まるで絵本の中の王子様のような彼の姿に、しばし言葉をなくす。
『・・・一曲お相手いただけますか、マリア』
『先輩っ・・・!踊れるの・・・!?』
『ナメないでよね・・・これでも紳士なんだからね』
たまにはかっこつけさせてよ、と拗ねるように言う彼に、つい笑みがこぼれる。そしてマリアは導かれるままに彼の手を取った。
マリアは思う。死ぬまでこの手を離すことはないだろうと。彼の言う『最期』がどんなものだとしても、ずっとこの手を掴んでいようと。例え死の淵を歩く時も、二人一緒なら優しい死神が現れて安らかな最期を迎えさせてくれる。
そう信じて、マリアは彼の黒革の手袋にそっと全てを委ねる。
「・・・喜んでお受けします、バイオレット先輩」
ダンスホールの扉を開く間際に、マリアはひとり振り向き、存在感を放つ絵画の中の今にも追いかけてきそうな骸骨に向かって微笑んでみせた。
・・・この人は絶対に渡さないんだから。
end
*
死の舞踏の骸骨は死神です。
一緒に踊ったものは死ぬのです・・・。
罪人の紫先輩が死神に魅入られ、その紫先輩と踊ったマリアちゃんは・・・っていうのが実は裏に隠れた意図でしたというろくでもないお話。笑
死の舞踏、あれやばい・・・
本物見たけど怖いよ・・・あれはあかん・・・!
ホラーの絵とかじゃないけど、
メッセージ性に気付いた時が怖い。
実はドイツの博物館にある絵なんですけど
ちょっとイギリスに出張していただきました。笑
芸術に疎くてこれくらいしか詳しくないお・・・!
bkm