久しぶりの超短編
2017/06/19 05:35
『……悲しい』
彼の唇から零れた言葉が見えない月を滑った。
痩身の彼は一体、この窓の外の大雨を見てどんな思いを巡らせているのだろう。少しだけ指を動かせば触れられる距離にいるというのに、彼の体温は一向に私には伝わってこない。
「…悲しい?」
私の囁きに、俯く彼。
「…どうして?」
白いシーツの中で横たわる彼が、金の双眸に寒雨を写し、言った。
『…この先の人生、何もないんだって…思うとさ。守りたいものも自分自身の未来も、大切なものも全て失った。全部自分が弱いせいなんだってことは分かってる。でも……それでも…』
「…………」
『…………なんて滑稽で、惨めなんだろう…』
喉の奥から絞り出すような彼の声は、雨の音で掠れ私の耳には微かにしか届かなかった。
それでも、私はこの時の彼の自嘲を、思いを、忘れることはないだろう。
「……私が貴方の傍にいる」
私はそっと、シーツの上で彼の指に触れた。ぴくりと跳ねる彼の指を逃すまいと、指に指を絡める。
『…僕は君を守れない。一緒にいることも出来ない。だって僕の行先は────』
そこまで言うと、満身創痍の身体で彼は起き上がった。痩せた彼の身体に驚く間もなく、気付けば彼の腕の中にいた。
今になって思えば、この時の彼は私の肩に額を埋めたまま泣いていたのかもしれない。当時の私は胸がいっぱいで、彼への愛おしさだけで喉まで詰まって苦しくて、抱きしめ返すことしかできなかった。
あれから何年の月日が経っただろう。
私は灰と雨が混じる空を見る度、あの時の彼の言葉を思い出す。
もう二度と彼の言葉を聞くことはないけれど、姿を見ることもないけれど……この街の誰もが彼を忘れ去ってしまったとしても、私だけは彼の暖かさを覚えていようと思う。
『───こんなにも、空っぽだ』
end