心臓

学校を休んだ。

それといって体調が悪いわけでもない。
頭痛とか、腹痛とか、生理痛とか、微熱とか。
そんな要素は一つもない。

ただ、気が向かない。なんか寝ていたい。
怠惰の気持ちに突き動かされて今に至る。

午前10:36
今頃クラスメイトは授業を受けているだろう。
あー、そういえば今日は英語の小テストがあったな、
来週にでも追試を受けさせられるのだろうか。

嗚呼、面倒で仕方がない。

休むことによってさらに面倒が増えるのは分かっているのだが、時々休んでしまいたくなることがある。
この行動はもう今となっては慣れてしまった。
親は親でズル休みというのは分かっているのだろうが、何も言ってこない。
私に何を言っても言うことを聞かないことが分かったのだろう。


ふ、と携帯電話を見てみる。
受信メールなし。着信なし。
それは当たり前のことだが、つい受信ボックスを覗いてみる。
一番上にある受信メール。送信者は浦原喜助。
「なまえさん、元気にしてますか」
たった一文だが、メールを送ってくれるのは嬉しい。
しかし、このメールに対して返事はしていない。
嫌なのだ。期待してしまうのが。

返事をすることで、相手も返事をする。
そうしてメールでの会話が成り立つ。
私と浦原さん。高校生と大人の人。
メールしかしない高校生、人間に思われたくない。
もともとメールをすることもないが、気になっている人に対しては尚更だ。


このメールが来たのは一昨日。
つまり、一昨日から会っていない。浦原さんは、会った日に必ずメールをくれる。
私が返事をしないのを分かっていながらも。
そういう所も彼を好きな理由だ。


「…返事、してみようかな」


ゆっくりと大きな画面に触れる。
まだあまり慣れないタッチ操作に戸惑いながらも、送信メールを作った。


「今から、会いに行きます。」


送信ボタンを押した頃には、11時を回っていた。


+++


ガラリ、と古い戸を開けると、何か懐かしいような匂いと共にそこの店の店長がいた。

「いらっしゃい、待ってましたよ」

と今ではタッチ式の携帯電話が普及している中、折りたたみ式の携帯電話を使っている彼は、それをぱかぱかと開け閉めしながら私に言った。

「ん」

不愛想だと分かっていながらもこんな返事しかできない私は全然可愛くない。


「あれ、でも今日は学校ある日ですよね?」

「だって。行くの嫌なっちゃった」

悪びれることなくさらりと言うと、そうっスか、と苦笑した。
責めたりしない。彼は自由な人だ。


「まあ今日はいい天気ですしねえ、そりゃ行きたくなくなりますよねえ」

はいな、と温かいお茶を出してくれた。

「あ、りがとう」

「はは、なんだか今日のなまえさんは素っ気ないですねえ、一応悪いっていう自覚はあるんスね」

「…一応ね」

「こら」

くしゃっと自分の髪の毛を触られて、頬が赤くなるのが分かる。
浦原さんのこの大きな手が大好きだ。



「ジン汰も雨もテッサイさんもいませんし。丁度アタシも暇だったんですよん」

そういえば、ちびっこもあの眼鏡の方もいない。
今日は用事があるそうで、と特に気にする様子もなく言う彼とは反対に、私はドキドキと心臓が速く打っていた。

ということは、いま、私は、浦原さんと二人きり。二人きり…

別に恋人でもなんでもないし、ちょっと近所なだけだし、でもメールもする仲だし、それに、それに、
と訳もなく理由を考えていると、彼はにやりと笑いながら言った。


「てことはなまえさん、二人きり、ですね」

ドキン!と心臓が脈打った。

「え、あ、そ、そうです、ね…」

「あはは、どうしたんですか、緊張しちゃってます?」

「……え?」

「なまえさん、ご心配なく。手は出しませんよ」


良かった、という安堵感と、なんだ、という不満な気持ち。
どちらかと言うと不満の方が大きかったりする。

やはり私と浦原さんは高校生と大人という関係で、きっと娘のようなものなんだろう。
まして恋人なんて彼は考えてない。

ただ、喋る相手が欲しいのかもしれない。


「…それとも、その逆が良かったですか?」

と、私の肩を引き寄せて、甘い声で囁いた。
一気に顔の血が昇るのが分かった。

確信犯だ。

この人は、分かっている。私が彼を好きなことを。
だからこそからかっている。


「あ、の!」

体勢はいつの間にか浦原さんの腕の中にすっぽりと収まっていた。

「なんですか?」

「からかわないで、ください!」

きっと今私の顔は真っ赤だ。
恥ずかしいというのと、悔しいという感情が心を占める。



「からかってない、って言ったら?」


一瞬、顔をあげると真剣な浦原さんの瞳が私を見つめていた。
またドキリ、と心臓が高く脈打った。

「え、と」


「…冗談ですよ」


にへらっといつもの柔らかい笑顔に戻した彼は、ごめんなさいね、と謝って私を腕の中から解放した。




正直このあとの会話は覚えていない。
あれは本気なのか、冗談なのか、ただこれだけが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
今更この話題を出せるわけでもなく、適当に相槌を打つことしか出来なかった。

夕方になり、お邪魔しました、と浦原さんに別れを告げ、徒歩数分の帰り道を歩いた。


あの出来事は、なんだったんだろう。
何時間か経った今でも顔が赤くなる、あんな真剣な顔を見たのは初めてだったからだ。


期待、してもいいのかな、



モヤモヤとしている中、新着メールが来ている事に気付いた。
恐る恐る受信ボックスを開けてみると、送信者は浦原さん。
胸が高なりながらもゆっくりとそのメッセージを押した。


「今から会えませんか」


今日だけでこの人から何度ドキドキさせられたんだろう。
もう倒れてしまいそうなくらいだ。


初めて、メールを受信した数分後に返信をした。



果たして私の心臓は持つのだろうか。