3月9日


「卒業おめでとうございます」


「ありがとう、喜助さん」


「――いい天気っスね」


「ふふ、卒業日和なのかな?」


「…なまえさんの制服姿も最後じゃないっスか」


「そうなの。なんだかんだ凄く寂しい」




なまえさんは今日高校を卒業した
その後の進路はと言うと、推薦で大学に入るそうだ
楽しそうに話していた姿も懐かしく感じられる

彼女と出会ったのは、彼女がまだ高校一年生の頃だった
つまり、高校の間はアタシとの想い出が沢山あるのだ


もう彼女も卒業したのか、なんだかやりきれない思いを抱きながら店の中に招いた



「最初に喜助さんと出会ったのもここでしたね」

思い出を辿っているのだろう、その横顔は寂しげだった



初めは、彼女と深く関わるつもりなんて無かったんだ
ただのお客さん、駄菓子を買って行ってくれた優しい女子高生だった

いつからか彼女が来るのを待っていて、来ない日があればよく落ち込んだものだ

いい年した自分が純真無垢な彼女に関わってはならない。まして人間だ。
いずれ離れなければならないときが来るではないか―――

欲望は恐ろしい
深く深くどろどろしていて、執念深い

だからアタシは事実に言い訳をした
少しだけなら。少しだけならいいだろう

せめて彼女が高校を卒業するまでは、このアタシの欲望通りに


なまえさんは本当に可愛らしかった
何をしていても穏やかで、優しい声で話し、本当に幸せだった


日に日に、彼女を離したくない
この自分がなまえさんを幸せにしたい

そんな想いは募っていった


そうやって、現実から目を背けてきた


だけど


「卒業、しちゃうんスね」


ぽつりと呟いたアタシの言葉に首を小さく傾げて顔を見る
その無邪気な顔に何度救われてきたのだろうか



「なまえさん」



おいでと手で招けば、嬉しそうにすり寄ってくる
お互いの指と指を絡ませ合い、小さな絡ませ肩が自分に寄りかかってくるのが分かった


これで最後だ


「右手を出してください」


「ん」


差し出された白い細い手にも明日からは触れない
涙が出そうになるのを堪えながら、何も知らない彼女の薬指にシンプルなシルバーのリングをはめた


アタシとなまえさんの最後の思い出


「わ、キレイ!」

嬉しそうに目を細め、ありがとうと笑顔で言われて苦笑しか出てこなかった
彼女は何も悪くない アタシが巻き込んだのだ



「なまえさん、愛してます」


耳元で甘い言葉を囁くのも最後



「私もね、喜助さんが大好きなの」


愛を確認し合うのも最後




「――――卒業、おめでとう」



堪えきれずに涙が溢れた





――――


彼女は自分との思い出を忘れた

余りにも酷く、辛くて残酷だった



彼女が卒業して幾年が過ぎた


彼女を町で歩いているのを見掛けた
髪はすっかり伸びていて、大人っぽい表情で、隣にはアタシの知らない男性がいた



だけど。

彼女の右手の薬指には、アタシがあげたシルバーのリングがあった


それだけで良かった



アタシと貴女の秘密の記憶




***

卒業シーズンなので、一度は書いておきたかったもの