▼ デートは三十分前行動で
あたし達は勘七郎を抱いて逃げた賀兵衛を追っていた。賀兵衛が逃げているのは屋根の上というなんとも恐ろしげな場所だった。落ちたらどーすんのさ。
「くっ…くるな!!勘七郎は私の孫だ!この橋田屋も私のものだ!誰にも渡さん!誰にも渡さんぞ!」
「橋田屋なんて好きにして下さい。でもその子は私の子です」
賀兵衛に近づいていくお房さん。
「クソ、いまいましい女め。私から息子を奪いあまつさえ勘七郎も橋田屋までも奪う気か」
「子供を抱きながらそんな事言うのはやめて下さい」
「バカな。こんな赤ん坊に何がわかる?」
「覚えているんですよ、どんな乳飲み子でも。特に優しく抱かれている時の記憶は…。勘太郎様もよくおっしゃっていました」
そこには花がたくさん供えてある祭壇があって、キレイな女の人の写真が飾ってあって──…
「……大丈夫さ。お前がいなくてもやっていけるさ、私たちは。飯も私がつくるしオシメも…まァ勝手はわからんが何とか取り替える。だから、安心していくといい。勘太郎と橋田屋は私が護るよ」
「……それであなたはこんな事をやってるんですか。こんな事をして勘太郎さまや奥様が喜ぶとでも?」
「……勘太郎は生まれた時から病弱だった。長生きしても人の三分の一がいいところだと医者に言われてな」
だけど奥さんはそれを聞いて、
人の三分の一しか生きられないのなら人の三倍笑って生きていけるようししてあげればいいと。
蝉のように短くても腹いっぱい鳴いて生きていければいいと。
「だが私は妻ほど利口じゃなくてな。医者を腐るほど雇ってまるでオリにでも入れるかのように息子を育てた」
奥さんにも勘太郎さんにも、どんな形でもいいから生きていてほしかった。
「…結局みんななくしてしまったがね。私は結局約束を一つも…」
その時、勘七郎の手が賀兵衛の頬をなでた。
「もふっ」
「勘七郎…」
「全部なくしてなんかないじゃないですか。勘七郎は私の子供です。でもまぎれもなく…あなたの孫でもあるんですよ」
しゃがんだ賀兵衛にあわせてお房さんもしゃがむ。
「だから、今度ウチに来るときは橋田屋の主人としてではなくただの孫思いのおじいちゃんとして来て下さいね。茶菓子くらい出しますから」
微笑むお房さんを見て、賀兵衛は涙を流した。
というのをあたし達は離れた場所から見ていた。
「…やっぱ母親にはかなわねーな。母は強しって奴?」
「オイ…なんでオムツはいてんだ、オイ」
『あれ、ホントだ気づかなかった』
どうやらもらしたのは屋根から転げ落ちそうになった時らしい。だからあの時神楽に肩ぽんぽん叩かれてたのか、納得。
***
もうすっかり日が暮れて、周りは暗くなっていた。
「それじゃあ私達はこれで。あの…本当にお世話になりました。私、このご恩は一生忘れません」
「俺が人の尊厳失った事は忘れてね」
『言いふらしてやろーっと』
「やめて!?」
談笑をするあたし達。
銀時はベンチに座っていた。イチゴ牛乳を飲むのは銀時で、牛乳を飲むのは勘七郎だった。
「どうだ?うめーか」
「なふっ」
「なにィ?ミルクじゃ物足りねーってか?オイオイ百年早ェよ。酒はいろんな所に毛が生えてから飲むもんだ」
「………」
「……そーさな。お前がもうちょっと大人になったら、そん時まだ俺のこと覚えてたら…また会いに来い。そん時ゃ酒でもなんでもいくらでもつきあうよ」
「すぷん」
「ああ、約束だ。侍は果たせねー約束はしないんだ」
勘七郎の頭を一撫でし、ベンチから立ち上がる。
「精々いっぱい笑っていっぱい泣いてさっさといい大人になるこった。待ってるぜ」
「うわーん!!」
銀時が立ち去るのを見て涙をため、勘七郎は泣き出した。
「! アラどうしたの勘七郎!?」
『あららこんなに泣いちゃって…どしたの?』
「おかしいわね、この子滅多に泣くことなんてないのに…」
あたしはふと銀時の方を見る。すると聞こえてくる蝉の声。
腹いっぱい鳴いて生きている、蝉の声。
「ったく、うるせー蝉だぜ」
完
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