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 不思議ちゃん、気持ち悪い、近寄らない方が良い、祟られる、近寄りがたい、感情がない…

 その全てが一人の人間に向けられていた。

 そいつとは中学から一緒の学校だったけど同じクラスになったことも、言葉を交わしたことも一度だってなかった。
 だけどそんな噂だけはすごいスピードで駆け回った。くだらないと思ってはいたけど、現にそいつはいつだって無表情で俺はその顔が崩れた所を一度だって見たことが無かった。

 高校になっても噂は消えなかったし、いつだって一人だった。





 こそこそとサボれる場所を探して行き着いたのは図書室だった。後ろの扉に掛かっている黒いカーテンに隠されて実は鍵が掛けられていない、という事は一部の生徒には当たり前のように知れ渡っている。

 受付に近い扉を素通りするように一度中を見渡し、人が居ない事を確認して後ろの扉に回った。扉をそっと開いて身体を滑り込ませる。

 授業が終わるまであと30分はある、ゆっくり寝れるだろうか、などと考えながら日の当たる場所へと向かった。

 カサリ、

「――ぅあ!!」

 振り向いた足元に、座り込んで本をめくっている生徒の姿。ビビリまくっている俺の姿に顔色一つ変えず、いや身動き一つとらず、ページをめくっていた。

「ちょーびびったし、言えよっ」

 まだドキドキしている胸に手を当てながらそんな事を言うと、ずっと下を向いたままの顔が上がった。

 そこに座っていたのは不思議ちゃんだった。

「あーーー、」

 名前なんだっけ、なんて失礼な事を思いつつ、キッチリと胸元に付けられている名札に視線をやった。いつも不思議ちゃん、と呼ばれているのしか俺は知らない。

「こうべ、こんなトコ座ってんなよ。邪魔だし、」
「かんべ。神戸って書いてかんべ…」

「…あぁ、そう」

 そんな俺の間違いを怒るでもなく、失笑するでもなく、やっぱり無表情だった。頬の筋肉はちゃんと働いてるのか?と問いたくなるほど何も変わらない神戸の表情に、これ以上話すこともないなと思って日の当たる席に向かった。

 神戸はずっと床に座って本をめくっている。

 さすが不思議ちゃん。いつも床で読むのか?なんて疑問も問うことはしない。俺だってただサボりに来てるだけなんだからお互い好きな事をすれば良いんだ。

 きゅ、きゅ、と上履きを鳴らして神戸が近づいてきたのを感じ取ったけど俺はそれを無視してうつ伏して目を閉じたままだった。きっと帰るのか、ケツが痛くなって席に座るのかどちらかだろう。
 そんな俺の予想にはかすりもせず、神戸の気配はすぐ傍で止まった。何か喋りでもするのかと思っていたらおもむろに耳元で手を振り払う音がして慌てて頭を上げた。
 現に神戸は必死になって俺の頭の横で手を払っている。まるで俺がハエにでも集られているようだった。

「か、神戸…何やってんだよ。虫でも居た?」

 の割には羽音の一つも聞いていない。

「ご、ごめ、ちょ…。こら。あっ…」

 相変わらず表情一つ変えずに何かと戦う神戸。俺にはそれが何かは見えない。神戸には何か見えてるのか――?

 こ、怖えぇぇ!これか、祟られるってのは。神戸には霊だとか何か見えるっていう、そっち系!?

 何かを捕まえるように(いや多分何か捕まえたんだきっと)その手を丸くして何かを握り「騒がしくしてゴメン」とまたさっきの場所にと戻る神戸。その神戸の腕を俺は慌てて取った。

「ちょ、待って。キモイから」

 無表情のまま、俺の言葉を受け止めた神戸。表情だけでは何も分からない、けれど俺の掴んだ腕は緊張を伝えていた。

「あぁ―、違う。キモイのは何か見えてるんならちゃんと教えてくれなきゃ気持ち悪いって事。変な霊が憑いたりとかマジ勘弁なんですけど」

「…あ、ごめん、僕の中の虫が…有田君に入り込もうとしたから止めてたんだ。僕もこんなの初めてで、どうして良いか判んなくてちょっとビックリした」 

 僕の中の虫が?
 俺の中に入り込もうと?

 やっぱ怖えぇぇ!きめぇ!口には出さないけど本格的に頭やられちゃってんだ?噂は本物!不思議ちゃんって本当に居るんだ。
 つうか、俺の名前知ってんだね。


「ごめんね、こんな事言っても気持ち悪いだけだよね。ごめんね」

 表情は変わらない、でも腕だけは、身体はちゃんと神戸の感情を伝えていた。繰り返し謝る神戸に胸の内で揶揄った事に罪悪感を感じた。


「そんな、あやまんなよ。祟られないんなら別に迷惑でもないから」
「う、ん。祟りはしないよ。多分。僕にも初めてでホントわかんないけど、どうもこの子が…有田君を気に入ったのかな?」

 そういって宙に浮いた視線は確かに何かを捕らえてみていた。俺にはやっぱり何も見えない。思わず鳥肌が立った。

「あ、はは、そう。気に入ってもらってんだ、」
「あっ、またっ…!」

 ビクリと震えた俺にまた神戸が固まった。

「ほんとごめんね。もう連れて行くから、」

 そういって神戸は俺の二の腕に付いたらしい虫?を捕まえたらしい。俺には何も見えないからそんな動きの神戸を推測するしかない。
 そして神戸は床に置きっぱなしだった本を片付けて図書室から去っていった。

 神戸が去った後も、俺は虫の存在だとか、表情の変わらなかった神戸の顔だとか、緊張を伝えた神戸の腕だとかに意識を持っていかれて折角のサボリの時間も台無しだった。





 神戸と虫の一件以降、どうも俺は落ち着かなかった。気がつけば腕をさすり、夜も布団に入ってから自分の身体に虫が這っているんじゃないかとさえ錯覚した。

 これって祟られてるんじゃないのか。などと考えるが別に不幸な事が立て続けに起こったり、変な現象が身の回りに起こることも無かった。

 ――でも、なぁんか気持ち悪いんだよなぁ…

 神戸にしかあの虫が見えないのなら、また神戸に俺の身体を虫が這っていないかどうかを聞きたかった。なのに度々図書室に行っても神戸に会うことが出来ずにいた。

 

 それから一週間ほどして下駄箱で神戸の姿を見付けた。

「神戸!」

 ビクリと過剰に驚いて、神戸は手に持った上履きを床に落とした。それからたっぷり間を置いて、神戸が振り返った。

「よ、神戸。聞きたい事あったんだよ…って、なに上履き持って帰ってんの?めんどくせぇ事してんなぁ」

 俺の言葉を聞きながら、神戸は上履きを拾い上げると袋に入れた。そしてカバンと一緒に持ち上げると入れ替わりに置かれたスニーカーに足を突っ込んだ。

「下駄箱使ってねぇの?」

「昔、イジメですぐに上履きとか靴とか、いたずら、されて…それから自分で、持ってる」

 あぁ不思議ちゃんだもんな。最近聞かなかったけど中学校の時にそんな話耳にした事があったような気がする。

「で、有田君話って何?」

「そうそう、俺の体にまだ虫ついてねぇ?なんか気持ち悪くってさ…」

 そういうとやっぱり表情一つ変えず、心持ち目が大きく見開かれたような気はして、その目で俺の身体をくまなく見つめた。

「…特に着いてないよ。っていうか有田君、虫が見えてるわけでは無いんだよね?」
「見えない」

「ふわっ!」
「えぇ!?何?神戸何か見えたのか!?」

 急に神戸が慌てだした。もちろん表情は変わらず。だけど手は忙しなく何かを手繰り寄せている。

「有田君、に、逃げて!」
「えぇぇぇぇ!」

「ああっ!」

 俺が背を向けると、虫を追いかけていたらしい神戸の突撃を背中に受けて、その場にもろとも転げた。
 つうか逃げてつったのお前だろうが!なんて突っ込みは飲み込んだ。

「ま、間に合わなかった」
「何が」

 背中に乗っかってる神戸にとりあえず聞いてみた。

「虫が、有田君の中に…入っちゃった」

 ぞわり、と鳥肌が立ったのは一瞬だった。考えてみれば俺には見えないし、害はなさそうだし、神戸の話を聞いてれば出たり入ったりはするものみたいだし…。
 何か不都合でもあるのか、と問いただそうとして振り返り、そこにある神戸の顔に驚いた。

 何が起こっても無表情で何を考えているか分からない神戸の顔が真っ赤だったのだ。

 潤んだ瞳と頬から耳まで広がる紅色。思わず見入ってしまうほどの代物だった。

「か…んべ?」


「あ、ああ有田君が、好きみたい」

 乙女の恥じらい、なんて言葉が似合いそうなほど、モジモジとしながらそんな事を伝えてきた。

 そんな表情も出来るんじゃないか。

「……はぁ?何の話だよ」
「僕の虫が、有田君の、中に入って。それ、って好き、だから…」

 それは俺が虫に好かれただけの話じゃないか。

「まぁ嫌われるよか良いのかもしれねぇな。でもよ、これどうやって出す…」

 俺が真剣に今後の虫のことについて聞こうと思っているのに(飼い方なんてものが在るのかどうか、見えない俺に出来るのかは定かじゃない)目の前で神戸が一人踊りを始めた。

「なに踊ってんだよ」
「ちが、ちょ、待って…あ、有田君の虫が、出てきて僕の身体に…あっ」

 一生懸命今度は何かを払ってる。

 って…もしかして虫なのか?神戸の身に付こうとしてる虫を払っているのか?

 しばらくするとピタリと神戸の動きが止まった。そして呆然と俺を見て、また顔を赤らめた。湯気まで見えそうだ。

「次はなんだよ、」

 本当に、今にも泣きそうな顔で、俺を見上げる神戸。俺は誰も知らない神戸の姿を今見てるんだ、って事だけは確かだった。

「有田君も、僕の、こと…」
「好きとか言い出すなよ。俺には分かんねぇ次元に神戸が居るんだからその次元の話をされても俺は理解できるわけねぇからな」

「…そ、だよね」

 すっぱりと切った俺の言葉に落胆するでもなく、また神戸は俺の首元に視線を上げた。そして手を伸ばしたかと思うと、すぐにソレを引っ込めた。

「僕の虫ね、帰る気ないみたい」
「害は無いんだろ?…つうか、俺にも虫が居たって事かよそれは今お前ん所に?」
「うん。皆虫持ってるんだよ。多分それは人によって見え方が違うのかもしれない。僕は虫で見えるんだ。そして僕の虫が僕から離れた事も初めてだったし、誰かの虫が僕の中に入ってくることも初めてなんだ。……有田君の虫は、あったかいね」

 しらねぇよ、そんなの。

「有田君の虫、僕のが有田君の中に居る間、僕も借りてていい?」

「俺には虫が見えねぇから。好きにすりゃ良いんじゃないの」

「あ、あとね、たまに様子みせてほしいな、って思って…」

「好きにしろって。でもちゃんと状況説明だけしろよ、とりあえずその虫がどんな物なのか―…」

 虫が住み着いてるなんて普通に考えて気持ち悪い。虫はそんなに得意じゃないんだ。


「…うん、僕の虫はね、」



end.


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