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いただきます 01





いつも静かだった。
テレビの音はとても小さかったし、自分自身テレビはたまにしか見なかった。お父さんが好むのはラジオで、お母さんはいつも台所で一日の大半を過ごしていた。
自分には兄弟も居なかったし、近所の友達といっても同い年の友達は居なかった。
小学校のクラスメイトはいなくて、全校合わせて14人だった。中学校には朝やってくる中学校のバスに乗り込み、片道30分揺られて登校していた。

自分はそれしか知らなかったから、テレビで見る都会と言うものはまるで外国のように写ったし、それに興味を持つ事もしなかった。
同じ日本でも言葉は通じそうにない、と思うくらいに自分には無縁の世界で、自分は一生を山の中で過ごすのだと思っていたんだ。
お父さんも、小さい頃から自分が死んだらこの家を守るんだ、お前の家なのだから、とうるさく言っていた。
そのたびにお母さんは悲しそうに微笑むだけだった。




目の前で上がる水蒸気の行方を追っていた。
仕組みが気になって仕方がないのだ。
水を入れて、台に置くとものの数秒でお湯が沸いた。
毎朝その光景を目にしているのに、ついついぼんやりと湯気を見つめて現代の家電のすごさに感心する。
すると後ろから、これは昔からそう変わらないだろう――チン、と音がして、ようやく自分が何をしていたかを思い出した。

「あっ、しまった」

振り向いた先には香ばしい匂いを漂わせるトースター。
そして今日も同じように中に入っているパンを目にして溜息をついた。
毎日毎日、傍らで紅茶を飲むために沸かしたお湯に気を取られてパンを真っ黒に焦してしまうのだ。

取り出したパンはすでにポロポロと粉が落ちるくらいに水分を飛ばして硬く焼きあがっている。表面はふちをうっすら茶色ににして、殆どが黒に近いものだった。
皿に取って、バターを塗る。
あまりの焦げ具合に、どうにか食べれる物にしようと自分が持ってきた蜂蜜を上から少し垂らしてみた。

この家に来てから、食器棚に置かれていた何時の物か分からないティーパックの紅茶を毎日飲んでいた。風味は少し落ちるけれど、特には気にならない。
これまた持ち込んだ自分のマグに紅茶を用意して、ダイニングテーブルに着いた。



四人掛けのダイニングテーブルは元は三人が使っていたものだった。
だった、と言っても自分はその風景を見たことはなかった。テレビで見かけたCMや、母親が見ていた昼ドラなんかでよくある家族のダイニング風景というものはそうだったから、きっとこのテーブルでもそういった風景が繰り返されていたのだろうと想像する。

自分が育った家はちゃぶ台、といわれる低いテーブルで食事していた。
この家のようにフローリングもなく、畳が敷かれた部屋しかなかった。唯一、廊下が板の間なくらいで、台所だって土間と言う、一つ下がったところにあるコンクリートで出来た物だった。
冬は隙間風が寒かったけれど、夏はそれなりに風が抜けて心地よかった。
母が夕涼みに庭に水を撒く時が好きだった。

「――いただきます」

脳裏に家での生活を思い浮かべながら、真っ黒なパンを一口かじった。
とても…食べれる物では、ない。
もったいない事をしたけれど、自分はこのパンを弁償するだけのお金を持ち合わせていなかった。親から貰ったお金や、自分があの町で父親の伝手で働かせてもらっていた農家での給料等は通帳に入っているけれど、それを使ってしまうのはどうかと思って手が出せない。
生活をし始めるための足しになら手を付ける気にもなるのだけど、こういった日常、食費となると、すぐに無くなってしまいそうで出来るだけ手はつけないで置いておきたかった。今後一人で暮らすかもしれない可能性も考えて、資金として触らない方が良いだろうと判断したのと、自分を窮地において少しでも早く働くところを見つけるために、と思った。

しかし、此処は自分が無縁だと思っていた大都会で、そんなところで田舎育ちの自分が働く不安もある。
とりあえず、交通費の残りのお金から求人情報誌だけはコンビニで購入した。
さすがの田舎町にも幹線沿いにはコンビにくらいはあったから、同じ青色を基調としたコンビニの看板に安心すらしたものだ。
コンビニ利用者の多さには驚いたけれど。

一口かじっただけのパンはそのままに、紅茶を飲み干し、挨拶をして席を立った。
申し訳ないけれど、真っ黒のパンはそのままゴミ箱へと直行した。
心の中で一応の謝罪を唱えて、明日はパンを焼き終えてから紅茶を淹れる事にしようと決めた。





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