お題 | ナノ



Home
朝の匂い 04





「――――。」

繭匡の表情がものすごく痛かった。
責められているわけではない、とにかく呆れられている。

「ご、め…」
「住所くらい覚えとけよ。つうか方向音痴ならウロウロすんじゃねぇよ。いい年して迷子?あきれるわー」

結局母親に連絡を入れるしか手段がなかった。
もう関わることもないだろうと思っていた元息子から住所を尋ねる電話がかかってくるなんて思いもしなかっただろう。
母親にも申し訳いし、情けない。

山での生活では方向音痴だなんてことはなかった。むしろ方向や記憶力には自信があるのに。今日はたまたまだった。いや、街並みに飲まれたような感覚ではあった。
どこか冷静になれなかったのかもしれない。
焦りもあった。早くこの街に慣れたい気持ちと、山に帰りたい気持ちと…。


干したままだったシーツは取り込まれていた。
携帯は充電器にはまったまま。
母親に住所を聞いて、人に尋ねる気力もなくタクシーに乗り込んだ。
持ち合わせもなかったから家についてから一度お金を取りに部屋に戻って支払うという、みっともないことして。無駄な出費もして。

「…あー、もうほんと、マジ…」

繭匡はとっくに帰宅していた。
繭匡の溜息がものすごく重たくて。

「俺今日は仕事持って帰ってきてるから今から籠るからな。腹減ったら勝手にしろよ。カップ麺もあるから」

そう言ってカップ麺が置かれているらしい棚を指さし、繭匡は自室に籠ってしまった。
俺が料理が得意でないとわかっての言葉だろう。

歩きすぎて足が棒のような俺はすぐにシャワーを浴び、商店街で買い物をした袋を片づけた。
お昼ご飯にするつもりで買ったおにぎりは結局夕食になってしまって、こんな気持ちで食事してる自分がすごくむなしくて…。
それでもしっかりおにぎりに向かって「いただきます」と声を張った。

布団にもぐりこみ、手を伸ばした先にある携帯を開き電源を入れれば、繭匡の着信が並んでいた。
帰宅して中途半端な家事の状態を不思議に思ったのだろうか。居ない俺をどう思っただろう。こうやって着信があるということは繭匡が探してくれたということ。
いらない気を遣わせてしまったんだ。
さっさと寝て、明日朝一番にちゃんと繭匡に謝ろう――。








懐かしい風景だった。
夏休みのお昼。朝から庭の掃除を手伝って、昼からは水遊びをする予定を立てていた。
お昼ご飯には玉子焼きを焼いてもらった。父がつまむだし巻じゃない方。
おかずは昨日の残り。ご飯はおにぎりにしてくれていた。
今日の絵日記は水遊びにしようか草むしりにしようか、と考えながら玉子焼きに手を伸ばして―――

はっ、と目を覚ました。
とてもリアルな玉子の焼ける匂いに自分がどこにいるのか一瞬わからなくなっていた。
いったいどこから、と思うもキッチンからしかありえないのに、誘われるように扉を開けて廊下に出る。

ダイニングテーブルには玉子焼きが。あとは白いご飯と漬物と。
俺が昨日の疲れからぐっすり眠ってたせいで、繭匡の方が先に起きていた。

「匡壱も食えよ。一応あるし」
「え…?」

新聞を横に置いて、繭匡は半分ほど食事を終わらせていた。
キッチンからの匂いが部屋にまで届いたのは、換気扇が回っていなかったらしい。いつもは俺が先に起きて、焦げたパンの匂いを吸わせていた換気扇。
繭匡だってそんなに料理はしないんだろう。換気扇に気がいかなかったのか、めんどくさかったのか…。

「毎日まともなもの食えてるとは思えねぇし。今日は俺も腹減ってたからな、朝から米食いたくなって。ついでだ。時間もねぇから味噌汁とかなくてしょぼいけど…まぁ焦げたパンより食えるし」

男の料理なんてこんなもんだろ、ってまた繭匡の視線は新聞に落ちた。

「――――あ、っ、ありがと…。あと、昨日は本当に…ごめんな」

換気扇のスイッチを入れながら、昨日のことを詫びる。
もう、あんなことにならないように。住所も覚えて、道は少しずつ広げて覚えていこう。

「あー、それ、な。まぁ、どっか休みの日でこの辺案内するから。最低限必要な範囲な。あとは自分でなんとかなるだろ」

「え、いい、の?」

「すぐとは約束できねぇけど。まぁ、俺の気分で」

繭匡の声は変わらず不機嫌だったけど。

がさりと新聞を畳み、テーブルに置かれた携帯が四角いカバンに放り込まれる。もう仕事に向かう時間が迫っているのだろう。


お母さんが朝に玉子焼きを焼くのはお弁当の時。
お弁当に入らなかった玉子焼きの端を食べるのが好きだった。
出来立ての暖かい端っこの玉子焼きも、時間が経って冷えてしまった形の整った玉子焼きも、好きだった。

キッチンに背を向けて朝食をとる繭匡の向こう。
黄色い玉子焼きはものすごくまばゆく見えた。



朝の匂い end





prevback|next




[≪novel]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -